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<元米兵捕虜>強制労働を強いた日本企業へ謝罪求める旅

毎日新聞 9月16日(木)22時13分配信
 日本政府の公式招待で訪日している元米兵捕虜6人とその家族らは、第二次大戦当時に強制労働を強いた日本企業を訪ねるなど、謝罪を求める旅を16日まで続けた。一部の日本企業が話を聞き入れたことを高く評価したものの、謝罪の言葉はなかったため、元捕虜らは「申し訳ないとの言葉を聞くまで戦後は終わらない」と日本企業に謝罪への前向きな対応を求めている。

 6人は16日には世界各国の軍人が追悼されている京都市の霊山観音を訪問。17日には東京で記者会見する。

 6人は第二次大戦中にフィリピンで旧日本軍の捕虜となり、日本などで強制労働に従事させられた。

 米陸軍航空隊の元兵士、エドワード・ジャックファートさん(88)は14日、強制労働に従事した川崎市の「昭和電工」川崎工場を訪問した。

 関係者によると、昭和電工では同社の総務部長が応対。かつての工場跡地なども見学した。ジャックファートさんは「補償ではなく、謝罪してほしいだけ。つらい記憶に苦しんでいる人たちを解放し和解を進めたい。上層部に伝えてほしい」と求めると、総務部長は「承知しました」と応じたという。

 一方、ジャックファートさんが強制労働させられた三井埠頭(現在の太平洋セメントの子会社)は、14日、ジャックファートさんを受け入れなかった。

 「『アイム・ソーリー』という言葉を65年待った」と話すジャックファートさんは、昭和電工の受け入れについて、「これを契機により良い日米の和解につながると願っている」と一定の評価をした。
 
 

 元捕虜らは99年以降、日本企業に賠償と謝罪を求め米国で提訴。
 
 
03年、連邦最高裁は「サンフランシスコ平和条約で賠償請求権は放棄された」と訴えを認めず
 
敗訴が確定した。
 
≪検証趣味岡田の解決ずみをわざわざ掘り返す馬鹿の実績。≫
 


 元捕虜らは「企業には謝罪する道義的責任はある」として経団連にも対応を求めてきたが、回答はない。強制労働を行った企業の一つは毎日新聞に「賠償につながるため回答できない」と説明した。


 ジャックファートさんは1942年5月、ミンダナオ島で捕虜となり、日本に移送された。昭和電工や三井埠頭などで、爆薬の原料である硝酸アンモニウムを容器に詰める作業や岸壁での米袋の積み下ろし作業などに従事した。点呼で自分の番号をうまく言えないと殴られた。わんに半分ほどの米飯とみそ汁が与えられたが、約60キロの体重は約45キロに激減したという。【隅俊之、春増翔太】
 

バターン死の行進:強制労働の元米兵捕虜、初の公式招待で来日 岡田外相「おわび」

第二次世界大戦中に旧日本軍の捕虜となり、日本で強制労働をさせられた元大学教授のレスター・テニーさん(90)=米カリフォルニア州在住=ら元米兵捕虜とその家族らが12日、日本政府の初の公式招待で来日した。岡田克也外相は13日、外務省で一行と面会し「非人道的な扱いを受けたことに対し、日本政府を代表して心からおわび申し上げる」と謝罪した。テニーさんは「このような機会を歓迎したい。ただ、日本企業は強制労働をさせながら65年間沈黙を続けている」と指摘し、企業による謝罪を日本政府としても働き掛けるよう求めた。
 フィリピン戦線で捕虜となった元米兵6人と家族らの計14人。1942年にバターン半島で、米兵捕虜らが収容所までの約100キロを連行される過程で多数が死亡した「バターン死の行進」の生存者やその息子も含まれる。日本政府は過去に英、豪などの元捕虜を和解に向けた試みとして招待したが、米国の元捕虜の招待は初めて。一行は、強制労働に従事した地方都市などを訪問し、19日に帰国する。
 
九州の炭鉱などで働かされたテニーさんは「強制労働問題では日本企業に責任を果たしてほしい」と話した。【隅俊之】

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