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文在寅よりましな盧武鉉、李明博、朴槿恵の反日

2019年09月01日 06:00



これまでも韓国の大統領の反日言動はされていたが、文在寅大統領のはとくにひどいように見える。そのあたりを少し分析的に見ていこう。
すでに書いたように、韓国はその成り立ちからして反日が「国是」のようになっている。しかも、歴代の大統領はつねにエスカレートさせている。前任者より一歩進まないと後退させたとみられるからだ。
とはいえ、かつては、任期の初めは融和的な姿勢が目立ち、だんだん、反日色を強める傾向があった。それは、就任早々は支持率も高く余裕があるので、日本に融和的な姿勢を見せて実利を得ることで基盤強化が図れると思ったのではないか。
それに対して、日本側は融和姿勢への受け止めが必ずしも上手でなく、むしろ、厳しく出た方が妥協的になるような傾向もあったと思う。
金大中については、すでに解説したことがあるので、今回は盧武鉉、李明博を中心に朴槿恵まで三人の大統領の対日政策を振り返ろう。
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盧武鉉元大統領(Wikipediaより:編集部)
盧武鉉大統領(2003〜2008年)のときは、最初は、「私たちはいつまでも過去の足かせに囚われているわけにはいかない」とし、当時の小泉純一郎首相との間でシャトル首脳会談を創設した。
この時期の盧武鉉による反日は、日本に対するよりは韓国内の保守派に向けられた。それがゆえに、当初は日本に直接の被害はなかったのである。
つまり、2005年には、「親日反民族行為者財産調査委員会」 が創設されて親日派財産を没収し、「親日派」の子孫を排斥弾圧する法律(日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法及び親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法)が施行された。
さらに、日本に植民地支配への明確な謝罪と反省、賠償を要求したが、これには、小泉首相が靖国参拝を繰り返したことも影響した。そもそも、中国が総理などの靖国参拝に反対しているのは、いわゆるA級戦犯のなかに日中戦争の責任者でとみられる人たちがいることを理由にしており、もし、A級戦犯を分祀したら、中国は参拝にそれほど強い批判はしないとみられている。
それに対して、韓国には中国のような明確な参拝反対理由はないし、もし、明治以降の戦争のすべてを問題にされたら、A級戦犯を分祀したところで同じことであって、靖国神社の存在そのものへの反対なのであるから、日本側としてはいっさい相手にするべきでないのである。
また、盧武鉉は日本とドイツを同一視して、ドイツ訪問のときには同調を求めたりしたが、かえってナチスの蛮行を甘く見ることにつながるという批判も受けた。
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シュレーダー元独首相と再婚相手のキム・ソヨン氏(シュピーゲル・オンラインより:編集部)
ちなみに、このときの首相だったシュレーダーは、退任後にロシアのガスプロムの役員となって批判を浴びたが、離婚して韓国人女性と結婚し、そののちは、韓国目線での日本批判を行っているが、まったく、政治家としての誇りもなにもない醜態ぶりである。
米国はアメリカ政府幹部に日本を共通の仮想敵国に規定しようと提案したといわれ米国を呆れさせたが、その当時、日本では報道されなかった。
ただし、米国については、反米思想であることははっきりしていたが、文在寅と違って現実重視で、イラク戦争に派兵してみずからの支持層から猛反発を受けた。
ずいぶんとひどい大統領で、弾劾はなんとか切り抜けたものの、石もて追われるように任期を終えたが、離任後に親族の汚職容疑で追い詰められて自殺した。そのために、同情が集まり人気が回復した。そのために盧武鉉路線への反省があいまいになり、それが首席補佐官で盟友だった文在寅の大統領就任を助けた。
任期途中で人気が落ちると反日化した、最たるものが、李明博であって、就任したときは、麻生内閣が低支持率に悩んでいたときで、そのあと民主党政権になって、稚拙な外交を繰り広げたので、少し気の毒だった。
李明博大統領(2008〜2013年)は、大阪生まれで、生まれたときの名前は月山明博。一説によれば、明治天皇の明と伊藤博文の博だという。まさかと言う気もするが、「明」と「博」という字についてそういう由来を意識しなかったはずがなかろうから本当だと思う。
李明博は、「わたし自身は新しい成熟した韓日関係のために、『謝罪しろ』『反省しろ』とは言いたくない」「日本は形式的であるにせよ、謝罪や反省はすでに行っている」と比較的前向きの姿勢を示し、歴史認識問題で日本に謝罪を求める考えはないことを明らかにしたし、2011年訪日して天皇陛下に訪韓を要請した。
李明博の新自由主義的な経済政策はそれなりに成功した。しかし、米国とのFTAにともなう牛肉の輸入自由化は国民の反発を招いたうえに、リーマンショックに遭遇した。ウォン安に対して野田政権と交渉して通貨交換協定を130億ドルから700億ドルに拡大して救済してもらったりもした。けっこう手堅い手腕を見せたのだが、景気の悪化は国民の支持を失う結果となり、兄の汚職事件もあって、反日に活路を見出すことになった。
とくに念願としていた天皇訪韓も実現せず、それにかえて、慰安婦問題での追加措置を求めたが野田政権はにべもなく拒否した。そこで怒った李明博は、それまでの大統領も控えていた竹島上陸という暴挙に出て日韓関係は最悪の状況のまま任期切れとなった。
もちろん、李明博は現代建設の社長をつとめた有能なビジネスマンであったが、政治家としては経験が浅かったのが惜しまれる。
しかし、李明博にとって気の毒だったのは、その任期がほぼ民主党政権と重なったことである。十分に練られているとは言い難かったがそれなりに対日関係に前向きだった李明博を上手に面子が立つように誘導することなく、原則論を繰り返した民主党政権側にも責任があると思う。
天皇訪韓については、クリアすべき問題が多いが、もし実現するならどういう条件が整うべきなのかしっかり説明すべきだったし、あるいは、無理なら皇太子訪韓ならどうかとか、対応はいろいろあったかと思うのである。
そのあとが朴槿恵大統領(2013〜2016年)だが、彼女の場合は、父親の経歴などから親日的でないかと思われたのだが、就任早々から反日で「告げ口外交」を繰り広げた。
これは、ひとつには、父親の経歴から親日派とみられがちなので、あえてそういうポーズを取らざるを得ないという見方もあった。しかし、呉善花さんなどは、最初から、彼女の世代は反日教育(韓国では保守政権のもとでも歴史学者たちはわりに左寄りで、日本の戦後教育に似たようなところがある)を子どもの時から受けてきたので、親日だという期待は甘いと指摘していたが、まさにそういうことになった。
もうひとつ、金大中までの大統領は、日本統治時代を自分で経験しており、ひどいことばかりの時代だったというわけでないことを知ってたが盧武鉉以降の若い世代は自分では知らずにデタラメな歴史教育を通じてしか知らないと言うことがあるし、朴槿恵の場合は、貧農の子であったのが日本統治のお陰で教育を受け成り上がれた父親の本当の人生から目を背けたかったのだと思う。
しかし、安倍首相が一方で毅然と対応し、他方で朴槿恵大統領自身への批判は抑制し対話を求めた結果、オバマ政権の仲立ちもあって、2015年には、慰安婦についての「最終的かつ不可逆的な解決を確認」する合意がされるなど任期後半には融和的になっていった。

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評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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反日国家(中韓朝)に対する賢い向き合い方

2019年08月31日 11:30



大韓民国(韓国)は反日国家である。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)もそうだし、中華人民共和国(中国)もそうだが、それぞれ、意味は少しずつ違う。
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Wikipedia、韓国大統領府インスタグラム、朝鮮中央通信より:編集部
中国共産党は、中華民国時代に国民党の政権と内戦を戦い、西安事件によって内戦を停止し抗日戦争をともに戦うことを、蒋介石に承知させた。そして、終戦後は双十協定を経てその破綻ののちの内戦で建国した。
この成立史がゆえに抗日が建国の原点のひとつになっており、それがゆえに、靖国問題などでも強硬な立場をとる。
北朝鮮は、その憲法の序文で「金日成同志は不滅のチュチェ思想を創始し、その旗のもとに抗日革命闘争を組織、指導して栄えある革命の伝統を築き、祖国解放の歴史的偉業を成し遂げ、政治、経済、文化、軍事の各分野において自主独立国家建設の強固な基礎を築き、それに基づいて朝鮮民主主義人民共和国を創建した」としている。
パルチザンが原点であるが、建国は1948年という立場である。
韓国の憲法は、「悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し、・・・1948年7月12日に制定され8次に亘り改正された憲法を再度国会の議決を経って国民投票によって改正する」としている。
つまり、日韓併合を無効という認識のもと、1919年の三・一運動ののちに上海で成立した大韓民国臨時政府を前身として、1948年に李承晩による建国で実体化され、李承晩を倒した1960年の革命を民主国家としての節目でであると規定している。
国際法の世界では、1910年の日韓併合条約は有効であると解釈されている。日本による強い圧力のもとで締結されたものだが、韓国側の同意がなかったわけでない。それを無効というなら、世界の歴史も国際秩序も大混乱になる。
日本国憲法の制定も押しつけには違いないし、強固な保守派のなかには無効だという人もいるが、無効だとはいわないが押しつけだから改正したいというのが改憲派の大勢なのと同じだ。
いずれにしても、韓国、北朝鮮、中国の三か国はその成立過程から、反日国家としての性格をもっているというのは、忘れてはならない。そして、それがゆえに、彼らは反日を看板に手を組みやすいということもある。
だからといって、日本が彼らのいう歴史認識や正義をみとめなくてはならない理由はないが、成算のない愚かな戦争をした結果、なんとも困った国際秩序ができてしまって、日本はそのなかにあって、この逆境を跳ね返すためには、硬軟おりまぜて、よほど賢く反撃しなくてはならないという冷静な認識は必要だ。
場合によっては、適度に反省を口にするとか、相手国の反日的言動をあまり気にせずに「立場があるだろう」と聞き流すほうがいいこともある。しかし、逆に、そういう反日が国是の国とはまっとうな対等の付き合いは無理なのだから友好を期待しないほうがいいということだってあるし、相手国に言うだけ無駄だが、日本国内や世界に向かっては彼らの反日が不合理であることの認識を深めさせるように努力することも大事なのである。

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韓国紙が連日猛批判!禁断のベストセラー『反日種族主義』の中身

2019年08月29日 06:01



韓国では今『反日種族主義−大韓民国の危機の根源』なる本が10万部超のベストセラーらしい。共著者は「大韓民国の物語」を書いた落星台経済研究所理事長で李承晩学堂会長の李栄薫(イ・ソンフン)ソウル大教授、同研究所理事の金洛年(キム・ナクヨン)東国大教授、そして先ごろ国連で徴用工に関する「事実」を発言した同研究所の李宇衍(イ・ウヨン)氏など6名の研究者だ。
この事態に与党「共に民主党」の機関紙?ハンギョレが実に判り易い逆上ぶりを露呈している。
11日の「書評」では「光復節(*8月15日)」を前に
日本の植民地支配に対する一般の人々の常識が間違っており、強制徴用に対して“植民地支配の期間に多くの若者が金を目当てに、朝鮮より進んだ日本に対する“ロマン”を自発的に実行しただけ“と主張する本に出合うとは、..私たち内部の葛藤がいかに深刻であるかを象徴的に示している。
と嘆くことしきりだ。
26日には数々の疑惑で目下話題沸騰のチョ・グク氏が5日にフェイスブックで「附逆(反民族的)・売国親日派という呼称以外に何と呼ぶべきか、私には分からない」と同書の著者を批判したこと、及びこれに対し著者6人が20日、「数十年間の研究を盛り込んだ本には根拠を持って批判しなくてはならない、むやみに“著者が国を売った”と言うのは明らかな侮辱だ」とチョ氏を告訴したことを報じた。
加えて、「…この本の日本語版出版で日本人の誤った歴史認識がより深刻になり、事実に基づいた韓日関係正常化がさらに難しくならないかと心配になる」との匿名評論家の話やハン・チョルホ東国大学教授の次のような韓国歴史教科書の記述丸写し?の旧来型見解を載せている。
日本の右翼はいまだに「近代化されていなかった韓国を近代化させ、西欧帝国主義の脅威からも保護してあげた」という論理を展開しており、そうした論理に同調する韓国の学者がいるのはこの上なく嬉しいだろう。しかし、日本が近代の文物を持ちこんだのは、朝鮮人のためではなく、より効率的に収奪するためだった。このように根本的原因ではなく表面的現象だけを見ると、歴史的評価を間違って下すことになる。
27日の社説は「…開いた口が塞がらない。著者たちの反歴史的かつ没理性的行動はもとより、恥辱の歴史を省察・自覚できない一部の退行的流れについては、懸念せざるを得ない。…右翼の“嫌韓”攻撃の良い素材として使われるだろう。結局“実証的”研究という名の下、民族を売るようなことではないか。自問してもらいたい」として次のように述べている。
「韓国のうそ文化は国際的によく知られている事実」という文言で始まる同書は、いきなり「種族主義」という表現を使い、韓国人を“反日”に執着する未開集団であるかのように描いている。日帝による徴用に強制性がなかったという主張も、あきれてものが言えないものだ。1944年徴用令が始まる前には「募集と官斡旋」方式だったため、強制力がないというのが彼らの論理だ。
しかし、延世大学のイ・チョルウ教授が論駁するように、「搾取を目的に脅しや武力行使、詐欺などで人を募集」した場合は、人身売買と見なすのが国際的に認められた概念だ。日本の学者はもちろん、韓国の最高裁判所(大法院)も徴用の強制性を公認しているだけでなく、被害当事者たちが生々しく証言しているのに、これ以上何を言う必要があるだろうか。
「日本の学者はもちろん」と言ったところで、ハンギョレには頻繁に寄稿するものの、日本では殆ど相手にされない和田春樹氏や山口二郎氏のことだろう。そして27日のもう1本の記事は、イ・ウヨン氏の国連シンポ出席は、国際キャリア支援協会の藤木俊一氏(テキサス親父日本事務局代表の方が日本では判り易い)の支援を受けたものとの、まるでそのことに何か問題があるかのような誹謗中傷記事だ。
そこで「反日種族主義」の中身だが、これらハンギョレ記事で凡その見当はつく。日本語版は「文学や芸術関連の書籍を主に出版する日本の中堅出版社」の「文藝春秋から年内出版予定」と26日のハンギョレにある。早く読みたいが、概略がネットで紹介され、李栄薫教授の李承晩学堂なるサイトでも凡その内容が推測できる。
ネットの紹介には、同書が「プロローグと本文3部、エピローグで構成」され、第1部は「種族主義の記憶」(反日種族主義の起源を説明しつつ「土地・米収奪説」、「強制動員説」等に反論)、第2部は「種族主義の象徴と幻想」(反日種族主義の形成と拡散および白頭山神話、独島問題と亡国責任問題、過去の歴史清算問題)と題されているとある。
第3部の「種族主義の牙城、慰安婦」では、反日種族主義の中核である「日本軍慰安婦=強制動員された性的奴隷説」に反論し、「朝鮮王朝のキーセン制が日帝によって公娼制に再編されたこと、それを戦争期に日本軍が軍慰安所として活用したことが日本軍慰安婦制度であるとする」という。
第1部の「強制動員説」では李宇衍氏の研究が用いられ、「土地・米収奪説」と第2部の「反日種族主義の形成と拡散」では李栄薫教授の「大韓民国の物語」(文藝春秋:2009年)での主張が述べられていると思われる。筆者は前者について「国連シンポで主張された『朝鮮半島出身労働者』研究の中身」と題しアゴラに書いたが、そこで紹介した研究が詳述されているはずだ。
李栄薫教授の主張は紙幅の関係で「大韓民国の物語」の「さわり」と「目次」を紹介する。なお李栄薫教授が批判する金大中・廬武鉉・文在寅と受け継がれる時代認識は、先ごろ外国特派員協会に登壇した李泳采教授の発言を纏めた拙稿「事態を履き違えた反日攻勢の激化:破滅に向かう文在寅の時代認識」を予めご一読願う。これの「逆」が李栄薫教授の時代認識と考えられよう。
廬武鉉失脚の翌年に書かれた「大韓民国の物語」で李栄薫教授は、「先ず批判の標的を明確にしておくため」として、1979年から89年にかけて全六巻が刊行された「解放前後史の認識」(以下、「認識」)なる本を次のように紹介する。
解放前後史を民族主義の観点から解釈した決定版で・・1980年代から90年代に大学に通った韓国人に大きな影響を及ぼし・・六巻を合わせて百万部が売れ…在野時代の廬武鉉氏も耽読し、…(その政権の)要所に陣取るいわゆる三八六世代という政治家の現代史認識はこの本を通じ形成されました。
(廬武鉉)政権が・・甚だしくは1984年の東学農民蜂起までを対象にして、何と十六にも達する特別法を制定し、いわゆる「過去史清算」を前面に押し出していることも、同書を読むことによってその歴史的な背景を理解することができます。
つまり「認識」の否定こそが「大韓民国の物語」の目的ということだ。そしてその目次は以下だ。
第一部 歴史への視線

1 食い違う歴史認識
2 民族主義の陥穽から抜け出よ

第二部 文明史の大転換
3 李朝はなぜ滅んだのか
4 「植民地収奪論」批判
5 植民地進化論の正しき理解
6 協力者たち
7 日本軍慰安婦問題の実相
8 あの日、私はなぜあのように言ったのか
9 日帝がこの地に残した遺産

第三部 くに作り
10 「解放」とはどのようにもたらされたか
11 分断の原因とその責任
12 建国の文明的な意義
13 李承晩大統領を直視する
14 反民特委を振り返る
15 朝鮮戦争はなぜ起こったか
16 1950年代の再評価
17 新たなる開発の時代のために

終言:歴史からの自由を
「認識」が6巻で100万部なら1巻当たり16万部、目下10万部の「反日種族主義」がそれを超える暁に、果たして韓国は「歴史からの自由を」取り戻すのだろうか。いずれにせよ日本での出版が待たれる。

高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。

日韓条約破棄なら日本資産の返還要求が可能(特別寄稿)

2019年08月29日 11:40



半島からの日本人追放がそもそも国際法違反

日韓請求権協定をめぐる不幸の始まりは、朝鮮半島の独立が日本の了解なく決められ、在韓日本人が不当に退去を命じられ、財産も没収されたことにあることを前提に論じられるべきだ。
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日本統治時代の京城府(現ソウル)南大門通り(Wikipedia)
もちろん、日本が受諾したポツダム宣言には、「日本国の主権は本州、北海道、九州および四国と我らの決定した島嶼に限定されるべきだ」とあるから、朝鮮の領有を続けられないことは仕方ないことだった。
しかし、具体的にどのように分離しどういう国にするかについては、将来において結ばれる講和条約において決定するべきものと考えるのが国際法の常識であったし、それまでは、日本の統治機構が存続すべきでもあった。
さらに、朝鮮半島が日本の領土でなくなったとしても、日本人が退去したり、財産を奪われるべき理由などなにもなかった。
しかし、連合国は日本の賠償の一環としてそういうことをさせたらしい。ただし、そのかわりに、純然たる賠償は連合国に対してしないで済んだのだから、日本にとって経済的に損だったかどうかは別なのだが、在留邦人にとっては災難だった。独立した韓国とのあいだで複雑な問題をいまだ生じさせていると言うことになる。
ここでは、終戦ののち、日韓会談が始まるまでの経緯を正確に追っていこう。

日本の賠償をめぐる考え方の変遷

このころ、アメリカから1945年11月に来日したポーレー賠償調査団は、12月に中間報告書を発表し、日本の工場設備の撤去とアジア諸国の戦後復興への転用を主張。それは、日本の主要産業部門の半分を賠償指定し、鉄鋼生産能力を1930年と同一水準の年産250万トンに抑えるというものだった。
また、ポーレーは「かつて、朝鮮の資源と人民を搾取するために用いられた日本の工場・施設の、いかなる部分を日本本土から移転するか研究すべし」と主張した。
しかし、この賠償案はマッカーサーに反対され、冷戦が進む中で実現することはなかった。
1947年1月、来日したストライク調査団は、ポーレー案の中止と純軍事施設以外の一般工業部門の撤去を大幅に緩和した新しい賠償案を立案した。そして、1948年1月以降、GHQ賠償局の指導で1億6500万円に相当する工作機械などが軍工廠から撤去され、中国・フィリピン・オランダ・イギリスに搬出された。
そして、1948年5月の実業家のジョンストンを団長、陸軍次官ドレーパーらが加わった使節団の報告書で、6億6200万円(1939年価格)の賠償額を提示し、翌年には均衡財政、終戦処理費の削減、公定価格の修正、徴税の強化、為替レートの設定、民間貿易の拡大、軍用交換レートの改定、集中排除法の緩和などを内容とするドッジ・ラインが示された。
こうして、アジア諸国の工業生産力の平準化路線から、日本の復興を通じてアジアの経済を振興しようという現実路線に転換され、同時に主要連合国は賠償請求権を放棄していった。

終戦でも帰国するつもりがなかった在韓日本人

終戦時に朝鮮には70万人余の日本人が住んでいた。彼らにとっても、朝鮮人にとっても、8月15日の玉音放送は意外なもので戸惑いをもって迎えられたが大きな混乱はなかった。
ただ、8月15日の朝に朝鮮総督府政務総監・遠藤柳作は、穏健派の独立運動家、呂運亨を招いて、朝鮮建国準備委員会を設立させた。 16日には安在鴻が京城放送局のラジオで韓国民に委員会の意志を放送し、独立準備のようにみえた。
しかし、『京城日報』 は 「かかる間題は、 当局は目本帝国の名に於て将来四国代表との間で折衝決定すべきものであり、 個々の団体の関与すべき筋合のものではない」(8月20日)、「朝鮮の独立には極めて多大の前提条件を必要とするが、なかんづく日本の停戦に関する処理が来だ解決されず、 右に関する権限を附与されたマッカーサーと日本帝国代表との間に話し合いが未だ開始されてなぃ今日に於ては、 独立政府の樹立は未だ議題たり得なぃのである」(8月21日付)、「朝鮮に於る帝国の統治権は厳として存し」、「朝鮮軍は厳としてとして健在である」とし、治安を乱すなら武力行使する(8月20日付)とした。
ただ、 8月24日の外務次官から朝鮮政務総監に充てられた指示では、「 朝鮮二関スル主権ハ、 独立間題ヲ規程スル講和条約批准ノ日迄法律上我方二存スルモ、 カカル条約締結以前二於テモ、 外国軍隊に依リ占領セラルル等ノ事由に因リ、 我方ノ主権ハ事実上休止状態に陥ルコトアルべキコト」とした。
8月11日、 北緯38度線以南は米軍が、 以北と満州はソ連軍が担当することになった。
8月26日ソ連軍が平壊に進駐し、米軍は9月8日に仁川上陸。 9月9日朝鮮総督府で日米間の降伏調印式が行われた。降伏交渉はハリス代将と速藤政務総監の間で行われ、朝鮮総督府で行われた降伏調印式には米国からは在朝鮮米国軍司令官ハツヂ中将、 キンケード海軍大将、 日本からは阿部総督、上月朝鮮軍司令官らが著名し、日の丸が降ろされ、星条旗が上がった。
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釜山日本人世話人会の事務所(国立平和祈念展示資料館HP)
このころ在留日本人は、内地に帰りたいという人もいたが、主流は残留だった。京城日本人世話会の伊藤事務局次長は呆然自失、不安と悔悟に暮れるよりも、我らは朝鮮語を習つて、新朝鮮に新たなる協力をなすぺきである」と述べ、朝鮮語講習会が組織され盛況だった。なかには、独立を見越して、帰化したいという者もいた。
こうした世話人会は、引揚者の荷物預託事務、不動産売買事務、 日本人財産管理などの体制を整備するとともに、朝鮮の独立後には、日本人居留地を建設しようとしていたらしい。

予想外の退去命令と財産没収

しかし、9月14日にトルーマン大統領が 「朝鮮滞在の日本人は放逐する」とラジオで方針を明らかにし、10月13日からは、単独帰還軍人の引揚げが開始され、軍人復員者、一般民の引揚げが米軍の指揮の下で行われることになった。
最終的には、12月の法令33号により全面的な日本人撤退が強制されることになった。
9月25日の法令第2号 「敵産二関スル件」では、 8月9日以後財産処分禁止と現状維持義務が命じられ、 1o月の連合国総司令官令では、引き揚げる際の持ち出し財産と荷物の制限が決められた。
民間人は一人当り千円に限り港で交換でき、 金と銀、 有価証券、 金融上の書類、銃、カメラ、宝石、美術品、收集切手などの持ち出しが禁止され、携行荷物も自分で持ち運べるだけに限定された。
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船に乗る引揚者(国立平和祈念展示資料館HP)
しかし、米軍施政下の地域では、それほど大きな混乱はなく、内地人と朝鮮人のあいだで別れを惜しむ光景も見られた。一方、北ではソ連軍が日本人にも朝鮮人にもひどいことをしたことがよく知られた通りだ。
当初は5年の信託統治ののちに政府が組織されるはずだったが、米ソ共同委員会はl947年9月に決裂、米軍占領地域では国連臨時朝鮮委員会の監視下で1948 年5月10日単独の総選挙が実施され、7月に国会で憲法が制定され、 8月15日に韓国政府が樹立された。 他方、ソ連軍占領下の38度線以北では、最高人民会議の選挙を経て、9 月9日に北朝鮮政府が樹立された。

日本政府の反撃

こうした朝鮮半島での米軍の独走になすすべがなかった日本政府だが、1907年にハーグで調印された「陸戦の法規慣例に関する条約」の第46条に「私有財確はこれを没収することはできない」とあるのを根拠に抗議し、返還を要求する。
しかし、韓国政府成立後の1948年9月に、「米韓財政及び財産に関する協定」の第5条「大韓民国政府は、在朝鮮米軍政庁法令第33条により帰属した前日本人の公有または私有財産に対し、在朝鮮米軍政庁がすでに行なった処分を承認かつ批准する。本協定第1条および第9条により、米国政府が取得または使用する財産に関する保留のものを除き、 現在までに払い下げられない帰属財産(中略)を次のとおり大韓民国政府に委讓する」とされたことによって韓国政府に委譲されてしまった。
日本政府部内では、講和条約交渉に臨む準備と言うこともあり、理論武装を進めた。外務省に設置された「平和条約問題研究幹事会」は1949年12月に。「割譲地に関する経済財政的事項の処理に関する陳述」をまとめた。
論点は、①後進地域だった朝鮮の近代化は日本の貢献のお陰であることは広く国際的にも認められてきたし、そもそも、「持ち出し」であった。②日本人の私有財産の没収は国際慣例上、異例である。③日韓併合は国際法と慣例において普通の方法で取得されたもので世界各国に認められていたといったものだった。
また、大蔵省の在外財産調査会は、京城帝国大学の教授だった鈴木武雄らに委嘱して、経済発展、教育の普及、財政資金の投入などを引き合いに出して、カイロ宣言が使った「奴隷状態」という言葉に厳しく反論した。また、終戦の時点での日本財産は47億ドルだったとして、将来の交渉に備えた。

サンフランシスコ講和会議

1951年に、サンフランシスコ講和会議が開かれた。このときに、韓国の李承晩政権は、亡命政府の存在を理由に戦勝国として参加しようとした。米国は戦勝国としてかどうかはともかく、参加には肯定的だったが、英国と日本が猛反対した。つまり、日本の一部であった韓国は、日本と戦ったわけでないというわけであり、その言い分が通った。
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サンフランシスコ平和条約に調印する吉田首相(Wikipedia)
まず、領土については、以下のように書かれた。韓国は竹島についても書いて欲しかったのだが、認められなかった。
第二条 (a)日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
ついで、在外資産について以下のように書かれた。
第四条 (a)この条の(b)の規定を留保して、日本国及びその国民の財産で第二条に掲げる地域にあるもの並びに日本国及びその国民の請求権(債権を含む。)で現にこれらの地域の施政を行つている当局及びそこの住民(法人を含む。)に対するものの処理並びに日本国におけるこれらの当局及び住民の財産並びに日本国及びその国民に対するこれらの当局及び住民の請求権(債権を含む。)の処理は、日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とする。第二条に掲げる地域にある連合国又はその国民の財産は、まだ返還されていない限り、施政を行つている当局が現状で返還しなければならない。(国民という語は、この条約で用いるときはいつでも、法人を含む。)
(b)日本国は、第二条及び第三条に掲げる地域のいずれかにある合衆国軍政府により、又はその指令に従つて行われた日本国及びその国民の財産の処理の効力を承認する。
最初は、(b)はなかったので、日本の韓国内の資産については、「日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とする」。つまり、日本と韓国との話し合いで決めろと言うことであった。
そこで、韓国から要望があって、(b)が挿入され、これによって、米軍による日本資産の接収が有効になった。
これについて、国会で社会党の曾根益氏の質問に外務省の西村熊雄局長は、「第四条につきましては日韓で話し合いをする場合に、日本にとっては、なんと申しましょうか、話し合いの範囲とか、話し合いの効果というものが大いに制約されることになる条項でございまして、面白くないと存じております」と答弁している。
つまり、全面的に日本資産を放棄させられたとはいえないが、主張に制約が出るだろうということだ。
ただし、サンフランシスコ講和条約は賠償については、日本にそこそこ寛大なもので、以下のようにされていた。
第十四条 (a)日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことが承認される。しかし、また、存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本国の資源は、日本国がすべての前記の損害又は苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないことが承認される。
第1次世界大戦のベルサイユ講和条約でのドイツのように、支払い能力を無視した賠償は否定されたわけで、第四条(b)は不満だったが、全体としては、まずまずだったわけである。

日韓会談における日本の最初の主張

1951年の条約締結を受けて、日韓の予備会談が始まったが、それに先だって、池田勇人大蔵大臣は、国会で、①韓国はサンフランシスコ講和条約の調印国でないので賠償はしない。②日本資産の処分は第四条によって認めたが、日本人の財産については、今後、韓国と話し合うとした。
つまり、とりあえず、米国による接収と韓国政府への移管は有効だが、それに補償する権利は放棄しないと言うことだ。そして、日韓第1次会談は1952年2月に開始された。日本側の代表は松本俊一外務省顧問(元事務次官)だった。
このときに、「インドは独立したときに、インド国内にあったイギリス人の財産を認めた」「敵の財産の処分を行ったときに、その財産に対する元の所有権は消滅しない。たとえば、売却代金に対しては日本側の所有者が請求権をもっている」という方針だった。
これに対して韓国側は、「日本が真に誠意を示そうとするなら(韓国に対する)請求権は撤回しろ」と主張した。
それに対して、日本側はとりあえず、そうした問題は棚上げにして、合意できる問題から合意したらどうかと提案したが、韓国側が拒否したので、日本側は会談打ち切りを提案。韓国側も日本が請求権を撤回しない限り話し合いを続ける意味がないとしたので、日本は無期延期を提案し、韓国側もこれに合意するしかなかった。
これが、日韓会談における日本側の日本資産請求権についての出発点である。そして、これが話を通じて妥協が行われ、1965年の日韓請求権協定に結実しているのだから、もし、韓国側が日韓基本条約や請求権協定を否定するなら、日本側もこの1952年の主張に戻るしかないということになってしまう。
なお、こののち、サンフランシスコ講和条約第四条(b)の解釈について、1957年に米国政府が「解釈」を出している。
その内容については、また、機会を改めて紹介するが、「日本国は、これらの資産またはこれらの資産に関する利益に対する有効な請求権を主張することはできない。もっとも、日本国が平和条約第四条(b)において効力を承認したこれらの資産の処理は、合衆国の見解によれば、平和条約第四条(a)に定められている取極を考慮するに当たって関連があるものである」というものであった。
つまり、直接に返還を要求したり、その代金をよこせということはできないが、最終的な請求権交渉にあたって、それが韓国政府に与えられたことを考慮することは可能だということである。
そして、これを日韓両国は受け入れた。それが何を意味をするかは微妙である。それに拘束はされるのか、交渉を進めるために受け入れる判断をしたので、交渉の結果である条約を韓国が否定するなら日本はこれも拘束されないのか、そもそも、サンフランシスコ講和条約に基づいた話し合いの結果において結ばれた条約を否定するなら、日本は何も拘束されないのか、なかなか難しいところだ。
いずれにせよ、いったん結んだ条約を実質的に否定して、裁判所の決めたことだから知らないという大統領が登場するなどというのは想定外なのである。

(参考文献)
日韓条約と国内法の解説 附 日韓条約関係資料』(編集 外務省外務事務官 谷田正躬 法務省入国管理局参事官 辰巳信夫 農林省農林事務官 武智敏夫 時の法令別冊 大蔵省印刷局発行)
検証 日韓会談』(高崎宗司 岩波新書)
朝鮮における終戦と引揚げ』(李炯戞…杭蠍立大学国際社会学部研究紀要 第2号 7-16 2017年12月)

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

捏造だらけの韓国史 - レーダー照射、徴用工判決、慰安婦問題だけじゃない -

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日韓基本条約を廃棄するとどうなるか

2019年08月28日 20:00



8月24日に池田信夫氏が、「日韓基本条約は破棄できるか」という寄稿をされているので、それを受けて、私の見解を「日韓基本条約を廃棄するとどうなるか」という形でまとめさせていただいた。
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バンコクで会談する河野外相と康外相(2019年8月1日、日本外務省公式Facebookから)
韓国側が間違っているのは、1965年の日韓基本条約や日韓請求権協定は、韓国が苦しい時期だったので、「維新独裁政権の屈辱的拙速な」妥協をしたので、粘り続けたらもっと取れたと思っているらしいことだ。
しかし、日本側からすれば、ベトナム戦争で韓国に協力させたいアメリカから圧力をかけられるし、李承晩ラインで拿捕された漁船員を人質にとられているし、さらに、北朝鮮に比べて貧しかった韓国をバックアップするために大甘だったということであって、いまなら、あんな大盤振る舞いするはずないのである。
日本でも政府は社会党や朝日新聞まで含めて弱腰を追及されていたのである。とくに、回を改めて詳細を書くが、そもそも、ポツダム宣言を受諾したことが、韓国の速やかな独立、在韓日本人の強制帰国、財産没収につながるなどと日本側では考えていなかったのである。
フィリピンのアメリカ人、インドの英国人、ジャワのオランダ人、セネガルのフランス人だってそんな理不尽な目にあっていないのである。
逆に日本人が韓国から追放されたのなら、在日の韓国人も日本から帰国するのが当然だ。少なくとも、普通の外国人として扱われる、つまり、生活保護などは受けられない、犯罪を犯せば追放される、外国人に認められていないことはできない、帰国するときに無制限に財産を持ち出せないなど当然というはずだった。
だから、基本条約を破棄するなら経済協力として得たものを今日の価格で返してもらうしかない。利子を付ければいいというものですらない。なぜなら、当時は外貨事情も苦しいなかで無理をしたのであって、表面的な金額を大幅に超える負担だったのだ。
また、在日の人々に認めた「特別永住権」も解消するしかない。これまで、半世紀以上にわたって認めてきた代償もなんらかのかたちで韓国政府が支払うべきだろう。
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日本企業を訴えた元徴用工の原告団(KBSより:編集部)
「徴用工」や「慰安婦」の分まで含めた個人請求権は日本が個別に応じようかというのを、韓国側が一括してもらうことを懇願したのでそうしたのだが、日本側がそういう軍事政権の要請に応じたから、個人に十分に渡らなかったのであって、それを予想しなかった日本政府が悪いとかいう人もいるが、これも勘違いだ。
ここのところを理解できない人が多いのだが、こういうことだ。韓国では1949年から53年まで朝鮮戦争が戦われて、南北合わせて人口の6分の1にあたる500万人以上が死んで、財産の被害も天文学的なものになった。
そんななかで、日本による被害者にだけ巨額の補償など出ると国民が納得しなかったのだ。だから、一言で言えば、国民全体で「平等」に分けたのだ。
また、このつきの経済協力は日本から購入したりする紐付きが多かったが、それは、当時はそれが常識だったというだけだ。そもそも外貨事情からいってもそうでなければ、大幅減額が当然だった。
そんなことは少し考えれば分かるはずだ。また、日韓の政治家などがピンハネしたのでないかという人もいる。全くそういうことがなかったのは言わないが、この経済協力の結果として実現した「漢江の奇跡」をみれば、おおむね賢い使われ方がされたと言えるだろう。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

捏造だらけの韓国史 - レーダー照射、徴用工判決、慰安婦問題だけじゃない -

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  • 出版日2019/01/28
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  • 単行本(ソフトカバー)303ページ
  • ISBN-104847097610
  • ISBN-139784847097614
  • 出版社ワニブックス

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