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熊本地震の本震

2016年4月15日

外はとても天気がよくて日常。
職場がある熊本市内はニュースで見てたから行けるのか不安でもあり。

とりあえず出社。
途中、ブロック塀が壊れてたりしてたなー。
アーケードも吊り看板が頭上にあるので立ち入り禁止のテープ貼ってあったり。
うちの事務所の建物の大きな石も4階から今にも落ちそうな状態!!!!
アーケードも人は少ないし、お店は休みばかり。
相当こっちは被害受けてるなーと目の当たりにしました。

そんなこんなで、事務所に到着したら、別現場の同僚からLINEがきて営業所に行ったら「自宅待機」とのこと。
え、、、、もう事務所だし。。。
ってことで、帰るのもなんだし、1日仕事をして。
話はやっぱり昨夜の地震になるわけで。

とりあえず現場は何の問題もないし、みんな無事。
うちの男性社員は既存の建物の確認に営業所へ。
事務所には私を含め数名だけ残りました。

そんな状態だし、余震はあるしで仕事なんて手につくはずもなく。
なんとか1日、電話番みたいな感じでおりました。
営業所の方は車で2時間半かけて通勤したらしい。。。

昨夜の地震の話を聞いたら、数名は事務所にいたらしくて。
最初はあー地震だなーと思ってたら急にぐらぐらきたから、これはヤバイやつだ!と思って避難したそう。
ただ、古い事務所なのもあって、エレベーターしかないのです。
非常階段は1,2階がお店で、そこえお通り抜けるしかないのです。

で、話を聞いたら、非常階段を開けようとしたらあかなかったと。
どうやらお店の荷物をたくさん置いてたらしくって。
なので、とっさに4階に非常階段(外にむき出し)を上って、いま建設中の仮設足場によじ登って仮設足場の階段を降りて避難したと。

それは夜。私は昼に見たけど、、、、足がすくみました。。。
高所恐怖症だし、仮設足場によじ登るってスカートとヒールじゃ無理だしよじ登るって!!!!!

となり、ビルの管理会社の方がいらしたときに、そのときの状況を聞いたまま話して、非常階段はいつでも開くようにしておいてくださいとお伝えしました。
ほんと、困るし迷惑。

仕事中もずーーーーーーーーーーーーーっと揺れてて。

あ、翌日ある予定だった東方神起フィルムコンサート熊本公演は延期に。。。
メールが届いた。
楽しみにしてたけど、余震きたら怖いし。。
残念だけど、仕方ない。。。

なんとか1日終わって冷蔵庫は空っぽなんでコンビニやスーパーに寄りつつ帰宅。
でも、どこもパンと弁当はまったくなし。
お腹を満たしそうなお菓子類、自然解凍の冷凍食品、カップ麺などの簡単に食べれるものはほぼ売り切れ。
水もなかなか見つからず。

昼間に弟に食材ないからちょっと買いに行って、売り切れるかもだからって連絡したら、父が「そんな暇あるか!!」と。。。
イラっとしたんで、帰宅したら「もうご飯食べるなっ!!」って言ってやった。
ほんっと、自分のことしか考えてないバカ親父。

私はとりあえず簡単に食べれそうな缶詰やおかずになるものを見つけ次第買って、生鮮食品も買い込んで帰宅。
余震が続いてたんで明日のおかずを作って、ご飯も炊いて、お風呂もちゃちゃっと済ませて水ためて、洗濯して干して。

友達に連絡したら、旦那様も風呂中だったみたいで。
慌てて出てきて、停電してたから懐中電灯で照らしたら旦那様の旦那様がライトアップされたと(笑)
これには笑わせてもらった(笑)

テレビも既に普通の番組やりだしてたし。
もうあとはこの余震に耐えるだけと思ってた。
明日は土曜で休みだからちょっと夜更かししてHDDの編集して寝ようと思って編集してて。

1:26
もう弱いのしかこない、それが余震だと思ってたのに。

自分の2階の部屋にいて、グラグラガタガタと凄い音がした。
部屋もがっしゃんがっしゃんして、停電したから見えないし。

家には父と弟と私。
停電で真っ暗な中、ドアへ。靴下を履くなんて無理。
ベッドの足元に低いDVDやマンガをおさめた本棚が倒れてドアが少ししか開かず。
足が痛かったけど、逃げなきゃって思ってワーワー言ってたらもう下に降りた父が「はよ。こんかー!」と。

いや、助けろいっ!!!!!!!!!!!!!

我が家は停電しても足元ランプが光ってくれるんですが、そんなのもう記憶ない。
必死に下まで降りて玄関に3人集合。
テレビがつかないから携帯みたら、友達からのLINEで「津波警報だって」と。

一番恐れてた「津波」。
もうパニック。
避難しなきゃ!!と思って、そのまま靴履いて、ベトナムくん達に声かけて「津波ー!避難するよー!」と叫びながら。

祖父母は朝聞いたら昨夜の地震には気づかずに寝てたと。。。。。
なので、祖父母を起こしに行ったら、祖父が「俺は行かない」と。
祖母は起きてるけど寝ぼけてるみたいで。

逃げないってなに???
死ぬってこと!??

こっちはただでさえパニックなのにそんなこと言われて。
私たちも死にたくないから車に乗りこんで待ってる時間もないのから焦ってたら、弟がしびれを切らして発進。
車には私、弟、ベトナムくん2人。

近所はみんな外に出て、消防団の人もいて。「避難したがいいですよね?」って聞いたら「避難やろね」って。
あ、いとこの兄ちゃんだったけど。
近所の中では早い方だったらしい、あとからわかったけど。

車の定員とかどうでもいいから(←ほんとはダメだけど)みんな乗って避難する予定だった。
でも、祖父母はいかないという。
うちは高台の山まで町内で一番遠い地区。車でも5分内に避難できるかどうかの距離。

堤防があって、我が家があって、昭和時代に作られた古い堤防があって、町が広がる。
我が家のある地区は堤防と旧堤防の間。
津波が来たら「死ぬ」って小さい頃から思ってた。
津波が来たら「家は流される」って小さい頃から思ってた。
車で避難しても渋滞して高台まで間に合わないって思ってたから。

私の中では「津波=死」

弟が運転してくれたけど、もうパニック。
避難しか頭にないから、鍵も閉め忘れ、ブレーカー落とすのも忘れ。
正直、それどころじゃない。

高台も車がぎっしり。
私たちは早かったから頂上あたりまでいけて。
車も車線関係なくぎっしり詰めてた。指揮をとってくれる人がいて。

私たちは避難できたけど気がかりな父と祖父母。
すぐ父に電話。
もう手と足は震えが止まらなかった。
父にすぐ電話がつながって、祖母を乗せて高台にいると。祖父は一人で軽トラで高台には来てると。
これ聞いて、とりあえず安心はしました。

でもでも、あの東日本大震災の家が流されている情景ばかりが浮かぶ。
家も流されるのかなって。
オタだからDVDやグッズ、まだ見てない録画した番組、、、、、
そして、たくさんの家族との思い出が詰まった家。
愛車も流される。

もう最悪なシナリオしか浮かばなくて。
安否報告も登録しなくちゃいけないけど、それどころじゃない。
とりあえず、津波くるかもだし、住宅の欄は「未確認」。
父に電話する前だったので家族の欄は「未確認」。

このボタンを選択するなんて。
いつも訓練では「無事」「使用可」しかしたことなかった。

ちょっとこれ書きながら思い出して泣けてきたけど。

もうTwitterから目が離せなくて。
怖いからずっとつぶやいてて。
友達とLINEでやり取りしてたけど、避難遅れて高台いっぱいで別の高台に行ったって。
もうみんなの無事が心配でもあって。

しばらくして津波警報が解除されて帰宅。
ほんとうに、ほっとしました。

帰宅してニュースみたら「震度6弱」でした。
そして、これが本震で、昨夜のは前震だと。

震度的には変わらなかったけど、本震がマグニチュードが強くて大きく揺れました。
ほんとうに怖くて、怖くて。
ずーーーーーーーーーっと揺れて、頻繁に警報が鳴るようになって。

上司からも電話あって安否確認が。
無事ですと告げたけど、たぶん「未確認」にしてたからかな。

ずーーーーーっと強い揺れがあるし、弟は消防団に行ったから父と私。
また警報がなって強い揺れがあったから、また避難しようと思って。

父はもう家にいると。
祖父母は「もう寒いし、家におる」と。
なので、ベトナムくん2人を連れて公民館?とも思ったけど、津波きたら高台じゃないからまた避難だと思って。
入院してる母に連絡して母がいる病院へ。

でも、この病院も古いのです。。
大きな川の近くだし。。
でも、家にいたらさっきの津波の恐怖があって。。
なので、海から離れたくて。

用意できるものだけバッグにつめて3人で病院へ。
ベトナムくん2人は明日も仕事なんで就寝。
私は怖くて病院の待合室でテレビ見ながら母と看護師さんと過ごしました。
それが明け方。

ベトナムくん達は仕事があるんで、一旦帰宅。
弟は消防団、父は液状化してる場所があるから役員に駆り出される。
家にいるのは祖父母と私。

母に連絡あって緊急退院に。
ガスが使えなくなったみたいで。
ま、月曜に退院予定だったから1日早くなっただけだけど。

荷物まとめて退院しました。
朝早かったんで、スーパーが開店前で少し待って買いだし。
みんな買うものは同じ。
パン、カップ麺、水、缶詰。

パンもたくさん買えました。なんせ9人いますから。
帰宅途中も半壊してる家あって、二次災害防ぐためにみんなで解体してたし。

家の中を確認したら和室にあった壺が落ちて割れてて。
風呂場のシャンプーやら落ちて。
そして、みんなの部屋は被害ないのに、私の部屋はまたぐちゃぐちゃ。
アクセサリースタンド、片づけたばっかりだったのに。

昼間のうちに避難するときに必要なものを車に詰め込みました。
毛布、生理用品、水、懐中電灯、通帳、印鑑、パンなどの非常食、1日分の着替えなど。
常に通帳と印鑑と現金は1週間は肌身離さず持ってました。仕事中も。

いつでも逃げれるようにデニムに動きやすい服装です。
そして、大雨の日は公民館に早めに避難しました。
たくさんの人がいました。
ベトナムくん達と母と私で。
父、弟、祖父母は家にいると。

ガタガタ音もしないから安心して寝れました。
腰にボルト6本入れたは母日常生活がまだ難しいので畳で寝るのはきつかったと思います。
運転もしたらダメ、入浴もバスタブにつかるのも椅子などに座るなと制約がたくさんあって。
でも、こんな状況だとそうも言ってられないのが正直なところ。

と、これが前震と本震の日の出来ことです。
最後にまとめます。


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