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大津皇子の思想
----父崩御後わずか 30日目に「謀反の疑い」で死。----
皇子ご自身、期することが あられたかor最期にひと目でも、と肉親に
お会いになられた。
伊勢の斎宮としての姉上。(早馬?だろうか)
警戒の目盗んで忍ばれたのでしょう。
生きながら〜これが 最期と思える別れ。。泣きました(つらかった)
---お二人は血の涙を流された。
人生で一番つらいのは 理不尽な別れ。生き地獄。皇子も無残。皇女もご不幸。
お二人の魂はいまも「ふたかみ」に?
-----姉上の大伯皇女御歌----
うつそみの 人にある我や 明日よりは
二上山(ふたかみやま)を 弟(いろせ)と吾が見む
弟を 大和へ遣ると 小夜更けて
暁(あかとき)露に 我が立ち濡れし----
この歌を声に出し 読む途中で嗚咽。
身を切られるような辛さに 最後まで 声が出ませんでした。
華やかに見える権力の頂点が・・・実は地獄。
庶民はこの真実を見抜いていたと思うの。
だから・・政治不信なんて・・こんな昔から存在したのね。
---誰が自分の息子や娘を 地獄にさらせるものか。
額田王が子孫に『下野(げや)』つまり、権力の中枢から逃れ
一般の人々として行きなさい。と、伝えたように聞いています。
----そのことも 庶民は知っている。
平家物語の名文 『祇園精舎の鐘の音・・』は、
源平合戦だけで 生まれた文章ではないと考える。(脱線)
----懐風藻751年(天平勝宝3)成立(全1巻)----
大津皇子「辞世の歌」 として収められています
金烏臨西舎 鼓声催短命
泉路無賓主 此夕離家向
きんろせいしゃに臨み 鼓声短命をうながす
泉路賓主なく この夕べ 家をさかりて向かう
金烏=太陽~西の家へ向かう・・夕日いよよ傾いた
太鼓の音が 一日の終わりを告げる
あの世は誰が天皇だ 世継ぎだ なんて無い
さぁ家を出て死へ向かおう
・・・朝は 鐘鳴らし仕事はじめ 夕べ~太鼓を打った
---皇子が 死を賜ったのは686.10/2 そこから65年後に発表?されたのでしょうか?
それとも既に 有名であったか?
真に皇子の辞世の漢詩であるならば・・傑出した人物だと思う。
---自分は死出の旅、しかも理不尽極まる『弾圧テロ』。
(私のようなちっぽけな人間は、相手を呪い口汚く喚きまくる。)
皇子の漢詩には、相手を許す 大きさと優しさがある。
何故だ?
後の世に誰かが代作したのか?と思うほど人間離れしてる。
---『清明』とは この漢詩のこと。
『高貴な悟り』とは、この皇子の漢詩。
皇子の墓の前で腰を折り、この漢詩を高唱しました。
急な坂の谷底より ざざざぁっ〜と 山を揺るがす風が
舞い登りました。(合掌)
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黒岩重吾さんの小説で読んだ記憶がありますね。
2009/11/3(火) 午前 10:41 [ nakayamagoro ]
nakayamagoroさま
お忙しい中をお運びいただきまして、ありがとうございます。
猛然たる食欲が沸いています。(お辞儀)
この漢詩の大きさに・・惹かれまする。
2009/11/3(火) 午後 0:12 [ じゃじゃまる ]
古代史は、あまりくわしい人がいませんね。
テレビドラマも信長、秀吉、家康がらみのものが多いせいでしょう。
そんな中にあってくわしいのはさすがですな。
傑作ポチ。
2009/11/3(火) 午後 0:26
はじめまして失礼致します 私も大津皇子ファンですが、大津一族として 真面目に考えてくださっておられる方に対して深く御礼申し上げます…誠に有難う御座います…。神職の方であられる方でしょうか、ウチの辻村も橿原神宮の職員や伊勢神宮宮司さまと少し遠い親戚と伝え聴いております がんばってください 御出世をお祈り致します。
2015/6/26(金) 午前 11:40 [ tsujimura-ootsu ]