|
驚いた。
驚いた政府のありようだ!
敗戦前からずっと
棄民だった日本政府
民が
それだけ
何も
言えない状況にあるって?!
未開国かよ、日本
何度も国の犠牲になるなっ!
「空襲は怖くない、逃げずに火を消せ」と命じた政府の責任
|
戦争と軍隊
[ リスト | 詳細 ]
『自衛隊協力映画:『今日もわれ大空にあり』から『名探偵コナン』まで』2014年1月20日 より引用↓ 画像拝借 文字強調管理人
須藤遙子さん(愛知県立芸術大学・非常勤講師)
昨年12月21日に公開された映画、ジャニーズの岡田准一主演、
『ALWAYS 三丁目の夕日』で有名な山崎貴監督の『永遠の0(ゼロ)』が、
現在大ヒットしています。
公開から3週連続で映画観客動員ランキングのトップ、
1月5日現在で興行収入は32億円を超えているそうです。
この映画には防衛省・海上自衛隊・航空自衛隊が協力しており、
防衛省への3回の取材を行った拙著
『自衛隊協力映画:『今日もわれ大空にあり』から『名探偵コナン』まで』(大月書店、2013年、税別2500円)でいうところの
「自衛隊協力映画」にあたります。
自衛隊は、
これまでに多くの一般劇映画に協力してきました。
これまで公開された自衛隊協力映画は、
『ゴジラ』や平成『ガメラ』などの怪獣映画、
『男たちの大和/YAMATO』や
『日本沈没』『亡国のイージス』などの戦争映画、
アクション映画など40本近くになります。
その歴史は、法的には1960年まで遡ります。
自衛隊の映画協力は
必ず法的枠組みのなかで行われますが、
その規定はかなり曖昧なうえに、
戦車・戦闘機・艦艇までもが
私企業である映画関連会社に
「無償」で提供されているという事実は、
国民のほとんどが知らないといえるでしょう。
訓練の一環とはいえ、作品の演出に沿うかたちで
戦闘機や
艦艇を飛行・航行しているのです。
税金が
一部企業の利益のために
使われている
というこうした問題に加え、
重要なのは、
自衛隊が協力する際に、
作品の設定やシナリオにまで
かなり関与しているという事実です。
簡単にいえば、
自衛隊は常に「善」であり、
出動や実力行使のシーンには
必ず法を遵守している場面が挿入され、
自衛官は強くそして人間的魅力にも
あふれたキャラクターでなければなりません。
ただし、これを「検閲」の一言で糾弾することは、
問題をかえって見えにくくすると私は考えています。
なぜなら、製作側は少しでも安く映画を作ろうとし、
同時にリアルな映像を求めているので、
自衛隊の協力が欲しくてたまらない。
つまり、設定やシナリオを変えても
自衛隊に協力してほしいという要求を持っているのは、
むしろ製作側なのです。
現在、邦画は製作委員会方式が定着し、
大手テレビ会社や新聞社をはじめとする
メディア関連企業に加え、
関連商品を扱う一般企業などが
こぞって映画に出資しています。
たとえば、『永遠の0(ゼロ)』製作委員会には、
4社の新聞社と3社の雑誌社を含む19社が加わっています。
この場合、
映画は「芸術」というよりは「商品」であり、
原価を安くして高く売るという
経済原理がはたらくのは
当然といえるでしょう。
そして、少ない予算で
大きな広報効果を得たいのは
防衛省も同じです。
つまり自衛隊協力映画は、
自衛隊という国家の軍事組織と
メディア企業との
相互依存によって生まれるというわけです。
社会主義勢力が強かった1970年代80年代は、
国会での追及をきっかけに
自衛隊の映画協力は中断していましたが、
冷戦の終結と軌を一にして1989年に再開されました。
1995年には、
阪神・淡路大震災と
一連のオウム真理教事件という
二つの大きな事件で自衛隊が活躍し、
偶然ながら戦後50年にあたる年に
自衛隊のイメージが大きく好転しました。
その後、2001年には
9.11米国同時多発テロ、
2003年頃からの中国・韓国・北朝鮮との
緊張関係を背景とした有事法制の整備、
2007年の防衛庁から省への昇格など
、その時々の現実政治(リアル・ポリティクス)を背景として、
自衛隊協力映画はその作品数を増やしてきました。
2011年の東日本大震災でも
大きな働きをした自衛隊に対し、
否定的な言説は生まれにくいのが現状です。
個々の自衛官への尊敬と感謝を持ちつつも、
第二次安倍政権によって
確実に勢いを増している防衛省が
展開する映画政策を含む文化政治
(カルチュラル・ポリティクス)には、
大いに
注意が必要であると考えます。
◆須藤遙子(すどう のりこ)さんのプロフィール
1969年生まれ。横浜市立大学博士後期課程満期退学。学術博士。 早稲田大学第一文学部卒業後、NHKに入局。 フリーランスのディレクター、プロデューサーを経て、現在、愛知県立芸術大学非常勤講師。 共編著『コンテンツ化する東アジア 大衆文化・メディア・アイデンティティ』(青弓社)
|
|
日本にとって「勿忘広島・長崎」
勿忘大量殺人・人体実験
だが
同時に
侵略した日本は、
この日9.18を
さらに深刻な「恥ずべき日」として
記憶しなければならない 勿忘九・一八澤藤統一郎の憲法日記 さま↑より引用↓(文字強調は管理人)
本日は「九・一八」。中国では「国恥の日」とされる。
1931年9月18日深夜、審陽(当時「奉天」)近郊の
柳条湖村で南満州鉄道爆破事件が起き、続いて日本軍が動いた。
これが「満州事変」のきっかけとなり、15年戦争のきっかけともなった。
何年か前、事件の現場を訪れた。
事件を記念する歴史博物館の構造が、
日めくりカレンダーをかたどったもの。
そのカレンダーの日付が「九・一八」となっており、
「勿忘国恥」と書き添えられていた。
侵略された側が「国恥」という。
侵略した側は、この日を
さらに深刻な「恥ずべき日」として記憶しなければならない。
柳条湖事件は関東軍自作自演の周到な謀略であった。
関東軍は、鉄道爆破の直後に
「張学良を中心とした中国側の攻撃が行われた」
として本格的な戦闘を開始し、
直ちに奉天の兵営を攻略した。
そして、この日の鉄道爆破が関東軍の謀略であることは、
日本の国民には終戦まで知らされなかった。
いわば、最高の国家秘密であり続けたのだ。
リットン調査団の報告は、政治的な思惑から
この点必ずしも明確にされていない。
この秘密を知った者が、
「実は、あの奉天の鉄道爆破は、関東軍の高級参謀の仕業だ。
板垣征四郎、石原莞爾らが事前の周到な計画のもと、
張学良軍の仕業と見せかける工作をして実行した」
と漏らせば、間違いなく死刑とされたろう。
軍機保護法や国防保安法、
そして陸軍刑法はそのような役割を果たした。
安倍内閣のたくらむ
「特定秘密保護法」は、
同様の国家秘密保護の役割を期待されている。
この事件は、中央政府からみて
関東軍の独走であり暴走であった。
事件を知った奉天総領事館側は、
その日のうちに
事件首謀者の板垣征四郎をいさめようとしたが、
「統帥権に容喙する者は容赦しない」と、
抜刀しての威嚇を受けたと伝えられている。
これこそ、国防軍というものの正体とみなければならない。
また、天皇の権威はこのような形で利用された。
中央政府は事変不拡大の方針を決めたが、
現地軍の暴走を止めることができなかった。
その背景に、熱狂した国民の支持があった。
「満蒙は日本の生命線」
「暴支膺懲」
のスローガンは
既に人心をとらえていた。
「中国になめられるな」
「軟弱な外交が怪しからん」
「満州も中国も日本の手に」
「これで景気が上向く」
というのが圧倒的な「世論」だった。
軍部が国民を煽り、煽られた国民が政府の弱腰を非難する。
そして、真実の報道と冷静な評論が禁圧される。
巨大な負のスパイラルが、1945年の敗戦まで続くことになる。
さて、翻って今。
国防軍創設の提案、
天皇元首化の動き、
日の丸・君が代の強制、
秘密保護法の制定、
ナショナリズム復活の兆し、
ヘイトスピーチの横行、
朝鮮や中国への敵視策…、
1930年代と似ていると言えば似ている。
そう言えば、関東軍参謀長であった東條英機の時代に
官僚として満州経営の衝にあたったのが岸信介。
その岸を尊敬するという孫が
首相になっているのも、不気味な暗合である。
隣国との友好を深めよう。
過剰なナショナリズムの抑制に努めよう。
今ある表現の自由を大切にしよう。
まともな政党政治を取り戻そう。
冷静に理性を研ぎ澄まし、
安倍や石原や橋下などの煽動を警戒しよう。
そして、
くれぐれも
あの時代を再び繰り返さないように、
力を合わせよう。
(2013年9月18日)
|
|
8月20日【今日は何の日−1】樺太の電話交換手が自決
護憲・反原発ブル/小牧&丸木寿人 さまより転記転載↓
1945年、第二次世界大戦後も
日本とソビエト軍の間で戦闘が続き、
サハリンの真岡郵便局で
最後まで職場を守った女性電話交換手9人が、
『これが最後です。さようなら』の通信を最後に全員が自決した。
サハリンを望む稚内公園には
1963年、9人の乙女の碑が建てられる。合掌
(引用終)
自決の毒薬は、誰が配給したのか!
非戦闘員を
矢面に立てていた日本軍の姿が、くっきりと見える!
原爆で 人体実験されながら
降伏したという、8/15以降にかけても
乙女たちの 命を盾にした
戦争は 愛を踏みにじる
戦争は 乙女を直接手を下さずに「自決」させた
戦争に 「人間らしさ」は 微塵も存在しない
戦争は 「大量殺人」
戦争は 「人間の尊厳」の正反対のもの
戦争は 悪魔の狂気・凶器なり
戦争は どんなことがあっても阻止しなければならない
乙女たちの魂が浮かばれない(合掌)
北のひめゆり事件と九人の乙女
↑北海道ファンマガジン さまより抜粋引用↓画像拝借
略
真岡郵便局での悲劇終戦後の8月16日、
樺太では緊急疎開が始まりましたが、
郵便局では
局員20名に残留指示が出されました。
19日朝には、非常勤務体制になり、
夜間は上野班と高石班に分かれましたが、
同日夜勤を担当したのは高石班11名でした。
(ちなみに1階電信課では他に7名が勤務しました)
そして8月20日の朝を迎えます。 早朝6時前のソ連軍接近の緊急連絡により、
真岡郵便局では電話交換手1名(志賀晴代)が加わって、
12名が電話交換をしました。
1時間後、ソ連軍が真岡沖に現れ、艦砲射撃を開始、
真岡郵便局も被弾したため、
2階電話交換所では重大な決断を迫られていました。
そのようなわけで、 高石班長がまず青酸カリで自殺し、
可香谷班長代理など7名が青酸カリ
(1人はモルヒネ)で次々自殺しました。
渡辺は他の郵便局に自殺連絡してから自殺、
残った電話交換手・伊藤も、樺太内の主要郵便局、さらには内線で電信課にも自殺連絡し、最後に松橋と伊藤の2名が自殺しました。
これを受けて、電信課男性職員は境と川島の2名を救出し、 郵便局本館に移動させました。
その後、押し入れに隠れていた女性職員4人と
別の生存者1名・岡田は真岡港の倉庫に移動しました。
そのときいなかった局長は、数日後に現場に入り、 白っぽい制服にもんぺを履いていた、
交換台には弾痕があった、と証言しています。
遺体は10日以上経過してから埋葬されました。
結局、郵便局は1カ月後に再開するわけですが、 しばらくして生存した局員は
ソ連人の部下として勤務することになりました。
ちなみに、ソ連軍による樺太侵攻は
同月25日の樺太全土占領まで及びました。 服毒自殺した9人の乙女
・高石ミキ(24) 主事補・班長、青酸カリ所有、最初に自殺 ・可香谷シゲ(23) 主事補・班長代理、青酸カリ所有、続いて自殺 ・志賀晴代(22) 非番だったが緊急連絡により同日早朝から勤務 ・吉田八重子(21) ・高城淑子(19) ・沢田キミ(18) ・渡辺照(17) 他局に自殺連絡し自殺 ・松橋みどり(17) 自殺連絡終了前に自殺 ・伊藤千枝(22) 自殺連絡後、最後に自殺 生存した3人の乙女 ・境サツエ 最年少、1階男性職員に救助される ・川島キミ子 最年少、同上 ・岡田恵美子 別の日本人に救助される (引用終)
「伏龍」と名付けられた水際特攻隊▼
おぞましきかな!“人間機雷伏龍”▼
命の尊厳のかけらもない▼殉職した若者は“数十人”に上るという。
|
|
↑より抜粋引用↓画像拝借(礼)
ランドセル地蔵相即寺太平洋戦争で米軍の空襲が激化してくると、市街地に住んでいる人たちは親戚のいなかや郊外に疎開するようになってきました。そして子供達も集団で郊外に疎開させられました。東京郊外の八王子市にも約1,200人の子供達が都区内から疎開してきました。その疎開児の一人、当時品川区立原国民学校の四年生だった神尾明治君は、兄や級友と一緒に八王子市の「隣保館」で疎開生活をしていましたが、昭和20年7月8日、米軍機P51の機銃掃射が幼い明治君を襲ったのです。そして明治君は「お兄ちゃん、痛いよー」と苦痛を訴える言葉を最後に短い人生を閉じました。その悲報を聞いて駆けつけたつけた母親が我が子の死を悲しみ、今や形見になってしまった明治君のランドセルを子供の面影に一番似た堂内の地蔵尊に背負わせたのです。これがランドセル地蔵の由縁です。引用終ります
合掌
こんな酷い目に合わされて
こんなに多くの子どもたちや赤子や
女・お年寄り・病人や
いっぱい、いっぱい殺されて
その痛みを忘れたというのか?
戦争は
金儲けのためだ、という
有色人種絶滅作戦だ、という 巷の声!声!
戦争だけは 絶対にしてはならないよ
大人になりました
敗戦は、まだ、終っていません
心から笑える日まで
悲しみと怨みを背負って生きています
このうえ、日本を
アメリカの戦争に巻き込まないように!
|







