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歴史を好きな女性を 歴女(れきじょ)と言ふらしき
何でも〜縮めるのが、お好き?
「き・つけ」と言われて ほへっ?
「黄色の漬物」だってよ!
歴史が好きな婆だからぁ・・
榛原から バスに乗り換えて「鷲家口」
歴史の舞台が 目の前を駆けていく
切なくなる
人々が必死になって守ったもの
今の私たちの中に
ここを駆け抜けた先人の・・・血が
受け継がれている・・・かもしれませぬ
とある民家には 「ほだ」が積み上げられていた
樹の香り・炭の匂い
囲炉裏が・・・恋しい
明治維新に止まらず、大津皇子を思いました。
伊勢に居られる斎宮の 姉君に今生のお別れは、早馬だったはず。
生きながらの 生木を裂く別れは・・・辛いものにございまする。
(礼)
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日本の歴史
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題名に誘われて『幕末不戦派軍記』(野口武彦著 講談社)を読んだ。
「業平組」と称する幕臣の下っ端4人組が、長州、上野、日光、会津、仙台、そして函館と戊辰戦争の戦地を巡る小説。
元は、実在の人物達(在京在阪中日記)をモデルにしているのだが、戦意はまるでなく、戦地に向かう道中をいかに楽しく食べたり遊んだりして過ごせるかを考えているお気楽な男達の話。
太平の続いた徳川の世の最後を象徴するかのような幕府直参の御家人達にあきれるばかりな話ではあるが、その後の日本の歴史を考えれば、ホッとさせられる面もある。
もちろん、そんな人達も少なからずいただろうから、血気盛んな薩長に勝てるわけはなかったのかもしれない。
軍記と言うだけあって、それぞれの戦いはかなりしっかり資料にあたっているようで、新撰組や戊辰戦争に興味のある人たちの期待も裏切らないように書かれており、また当時の農民達や町民がどのように暮らしていたのか知るにも良き書なのではと思う。
私が興味を持った箇所(奥羽朝廷の巻より197頁)。
『もう一つ、官軍を水攻めにする秘策も検討された。
略
この大計画が実現することはなかった。眼の前に立ち塞がったのは信達両郡にまたがって生起した大規模な農民一揆である。農繁期に田畑を戦場とされ、両軍の略奪暴行に晒されたばかりでなく、加重する夫役・助郷の負担に耐えかねた農民が結束して蜂起し、村役人・庄屋を襲って水帳や証文を焼き払い、質屋に担保復権の返済、代官に課役廃止と年貢減免を要求する。博徒の群や盗賊団も村々を荒らし回り、信達地方には無政府状態が発生した。農民は官奥両軍のどちら側にも付かず、自衛のために道路を封鎖して軍勢の通過を拒絶した。すぐ戦争を止めなければ足元に火が付き、明治政府も奥羽同盟も共倒れになりかねない。奥羽の山野は五芒星旗の代わりに筵(むしろ)旗が押し立てられたのである。』
・・・以上・・・
幕末から明治にかけて、多くの農民一揆が発生したが、その背景に幕府・官軍による農民への重税、略奪、戦争被害、治安悪化があったことは間違いないと思う。
明治維新は日本の近代化のために必要な革命だったと言われるが、幕府・官軍の争いに殆どの国民(農民)は関心がなく、むしろ生活を破壊する戦争に反対していたのだと思う。
また、戊辰戦争の戦死者は18686人と算定されていて、アメリカの南北戦争の死者62万人よりはるかに少ないといわれるが、その理由は、この本に出てくるように不戦派の幕臣が多かったことと、何より国民が殆ど参加することはなかった戦争だったということだと思う。
その後、どちらかというと戦争を好む薩長が明治政府を作り、多くの農民の反対を抑えて日本に徴兵制を導入し、国力の殆どを国民の生活より軍備に費やし、海外へと向かっていくことになってしまった日本だが、その出発点となった明治維新をもう少し多角的に見直すことが必要な時期になったのではないかと思う。
(私の「みんなの政治」への過去投稿より)
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鬼無里の文字が 不思議でたまらなかった
どんな鬼がいたの?
怖いの?
待てよ、又しても中央?大和朝廷の
侵略ではないのか?
水芭蕉に会いたくて 夜行バス
長野駅からバスで〜水芭蕉群生地へ
一人だよ。いつも一人・・動きやすい。
北海道では
バスが走る道に 水芭蕉が咲いてた
新鮮な喜び
鬼無里も ブナの森の雪解け水に
凛と 水芭蕉の群生するさま
真に清らか
水が歌ふ 朝日のきらきら〜こもれ日の
歌ふ水に戯れる
ぉほっぉほっ〜ぉほっ♪
段差を落ちる〜笑ふ水音
信濃国の語源が、立て札にありました。
今もこの
シナ織物工法をお守りなされてるという。
万葉集は、信濃の語源まで伝えていたのです。
文字も考古学であります。
で、朝廷の「支配」により
鬼無里神社に祀られたといふ・・・女神様に(拝礼)
旅に無駄はありませぬ。大切なものを見つけます。
人生も旅と申します。
毎日、大切なものを見つける旅ですね。 |
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お釈迦様の歩かれた土に接したくば、
インドのかの地を10mも掘らねばならぬ。
と、聞いたことがある。
2500年前に溯るから。
日本の大阪は、二万年前から人々が住み着き始めた、と。
河内の3ヶ所からボーリング調査結果が出ている。
そう、関東平野を象が歩いていた頃だ。
河内の山(現在の生駒・高安山・信貴連山)は、
屹立(きつりつ)の断崖を大阪湾の波が洗っていた。
地形は、自然のままで難攻不落の構えである。
(何?京都?海の底じゃよ)
淀川も大和川も暴れ大河だったろう。
さて、現在もだが、この連山のただ一箇所でしか、
大阪と奈良を同時に眺望することが出来ません。
【十三峠】です。
これは情報拠点でもあり、大正末期まで
堂島の米相場をこの峠で手旗を振りました。
たちまちに米の相場が奈良全土に伝わるシステムです。
重要ですね。
今、有料のドライブウェイがついていますが、
無料の道は「水呑地蔵」さまを目指してください。
ってか、その土地の人に聞いて下さい。登山道があります。
何故河内を重要視するかというとね、
二万年前からの人々の定住についてです。
①恩智川の水源の山地で大県(おがた)
②昔は河内一ノ宮と伝えられる恩智頓宮(仮宮)で
もともとの恩智神社の場所・現在【天王の森】
と呼ばれる神聖な場所
③大和川と石川が合流する重要拠点、今の【国分】
以上3ヶ所が二万年前からの人々の暮らしの拠点であったこと。
なかでも、大変珍しいのですが、
【天王の森】からは
古墳時代に沢山出土される【勾玉】が、もっと早い
弥生時代に出土していること。
勾玉の勢力が統治していたことが伺えます。
もう、こうなりますと、
ドキドキワクワクで夢見心地にござります。
私の前をスサノオが笑いながら駆けてをられる。(あぁ脱線)
どうしてみんな頭が堅いのだろう?
神話のトミノナガスネ彦に会いたくないのか?
私、会いたい。背が高い人ね。
「トミ」を巡って喧々諤々、皆様が研究なさっています。
みんな、奈良をお探しです。
歴史も地政学を導入すべきであります。
地形・風土・朝日の入り方・照らし方・寒暖の差・土地の肥え方・
水周り・風の道・海の道・防衛に適した場所とは?エトセトラ。
二万年前の奈良は、今とは違っていたろう。
(ボーリング調査してほしい←平和になったら予算下さい)
少なくともこの河内に2万年前からの定着は、
旧石器時代を覆し、
三内丸山古墳とも関わりや交流は無かったのか?聞きたい。
古代の行動力は、今より大胆で大きい。
海岸線に沿って移動すれば?
険しい河は両岸で〜ロープで引っ張る人海戦術は
今も、確か中国で生きているような映像を見た。
で、元へ戻る。
言いたいのは「トミ」が奈良で探されているの。
河内にこんなにデッカイ「トミ」がある!
【十三峠】ですぅ☆
十八番(おはこ)一二三(ひふみ)九十九(つくも)
五十(いそ)なんでこないな読み方があるの?
ナガスネ彦は河内の【十三峠】を支配する棟梁だった。
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いえ、別にぃ。恨みも何もございません。
そのぉ、ちょっとだけひっかかるだけ・・でございます。
深い意味は無いのです(疑わないでぇ)
だって、母上のお墓が
こんなにハッキリしているのに。
ど・し・て?
父上のお墓がわからないのでしょうね?
って、母方による血統が
証明であった古代を想像するからです。
DNA検査なんて無い時代のことですよ。
その人間の出自を証明するは?
如何です?
母以外には無いのです。
あっは〜ん☆
母は偉大で、女は強し。
どなたか考古学に詳しいお方、
父君のお墓は探しても見つかりませぬ。
お教えくださいませ。
母君は実に堂々と、この猿石のある場所。
奈良の飛鳥。吉備津姫がお墓。
父上【チヌ王】のお墓が見つかりませぬ。
女王による制度が続いていたと考えるべきでは?
宝皇女=皇極天皇=斉明天皇
この偉大な女帝の
父上のお墓が見つかりませぬ。(礼)
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