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暗黒夜考 さまより一部 抜粋転載です。(礼)
(転載開始)
◆名古屋市議会 高まる「自主解散」の声 11月定例会中?
毎日新聞 10月5日(火)2時30分配信 河村たかし名古屋市長の支援団体が4日、法定数を大幅に上回るリコール署名を選管に提出したのを受け、市議会内では「11月定例会中にも自主解散すべきだ」との声が急速に高まっている。
河村市長は、リコールによる出直し市議選と自身の辞職による市長選を、11年2月に予定される愛知県知事選と合わせてトリプル選にする狙い。ある民主市議は「これまで(市長サイドは)署名運動にかかりきりだったが、今度は目標が選挙に変わる。2月まで待つのは我々が不利だ」と説明する。このまま住民投票を経て2月選挙になれば、市長が代表を務める地域政党「減税日本」の市議候補の選挙準備が整うため、その前に「先手を打って自主解散するのが得策」というわけだ。
別の民主市議は「みんなの党の存在も脅威」と打ち明ける。みんなの党が知事選と次期市議選への候補者擁立を表明したため、知事選との同日選になった場合、相乗効果で市議選でも票が同党候補に流れることを警戒する。自民市議の一人は「住民投票には金がかかる。これだけ署名が集まったのだから早く民意を問えばいい」と訴える。
地方議会の自主解散を認めた「地方公共団体の議会の解散に関する特例法」に基づき、議員数の4分の3以上が出席し、5分の4以上が同意すると議会は解散に至る。【高橋恵子】
(転載終了)
最初に記事の見出しをみて、「名古屋市議会側が素直に敗北を認めた」ものと思いきや、事実はまったく逆のようである。
市議会の連中は、どうやら、今回の市議会リコールの署名が市議会に対する”不信任”という”民意”の表れであるということを全く理解していないようである。 上記記事中にもあるように、今回の市議会側の「自主解散」の意図は、「市議選を来年2月まで待つと、市長派候補側に時間を与えることとなり不利になる」という、非常に低俗なものである。 そこにあるのは、”議員のイス””既得権益”に何とかしてしがみつきたいという”自己保身”の精神のみであり、根底部分では、市政・市民のことなど微塵も考えていないという姿勢が如実に現れていると言えよう。 まさに「その本性、ここに極まれり」である。 しかし、現職議員どもとこれを後押しする「民主、自民、公明、共産の4会派」は、市議選を早めれば再選できると本気で考えているのであろうか?
むしろリコール署名の記憶が覚めやらないうちに市議選をたたかうとなると、マイナスに作用する力もまた大きいに違いないはずであろうに。 いずれにしても、市議選となった場合、記事中にもあるように、みんなの党が所謂「無党派層」の票を取り込む可能性があり、市議選の行方を左右しそうである。 しかし、みんなの党の正体が「第2清和会」=「自民党旧勢力の分派」であることに、いい加減、有権者(国民)も気がつくべきであろう。 即ち、みんなの党に投票するということは、”対米従属売国奴の巣窟”である森−小泉元首相の「清和会一派」に投票するも同然であることを是非とも認識して頂きたいものである。 |
地方自治
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河村市長は
頑張っていますね。
もし彼が
新党を旗揚げすれば
間違いなく大勝利でしょう
しかし
それはおのれの野望を実現したい人の考えです。
何のため当選したのか
を考えれば任期を全うするのが
当たり前。
それが有権者から信託された
使命でしょう。
自民で当選したのに平気で新党を
作ったり、任期途中で投げ出すような
無責任な人物に国政をどうして
期待できるのでしょうか。
河村市長
当選した時の気持ちを忘れないで
頑張ってください。
正しい行動は出来る人ばかりでは
ありません。
以下転載記事
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中日新聞 さまより 転載です。(礼)
-----【転載】 名古屋市長提案3議案、本会議でも否決 --------
名古屋市議会の4月臨時会は21日、本会議を再開し、河村たかし市長が提案した議員報酬の半減と市民税10%減税を恒久化する条例、地域委員会の関連予算を計上した補正予算の3議案を反対多数で否決した。2月定例会に続き、市長肝いりの政策がいずれも拒絶されたことを受け、今後は、河村市長が市議会解散に向けた署名集めにいつ着手するかが焦点となる。
署名集めをめぐっては、市長の支援団体でつくる「ネットワーク河村市長」が署名集めの協力者を1000人確保するなど準備を進めている。河村市長は閉会後、報道陣に「議会は恐ろしい場所だ」と不信感をあらわにし、自らも解散に向けた活動をより積極的に進める考えを示した。 一方で、否決された3議案については「次の議会以降も出し続ける」と明言。状況に応じて内容を修正する可能性も示唆した。 この日の臨時会では、市長の議場内外での発言をめぐる応酬に終始。市側の提案が1カ月前の2月定例会と実質的に同じ内容だったこともあり、対立が続く市長と議会の議論は平行線のまま、3日間の会期を終えた。 市長の発言をめぐっては、議会側が訂正と謝罪を求めて紛糾したのを受け、河村市長が答弁を訂正。吉田隆一議長が「発言には責任を持って」と注意した。 これに対し、発言を求めた河村市長を吉田議長が制すると、傍聴席から「市長に発言させろ」と声が上がり、議員が「退場だ」と応じるなど、議場で怒号が飛び交う場面もあった。 |
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やるねぇ、河村市長さん。
熱い期待で 日本列島が見守る
誰でも評論はする
だが、何でも
一番最初に やり始めるのは
勇者だろう。やれっ! 贅肉落とせ!
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公平さま より転記転載です。(礼)
【転載】都議会は、何を考えているのか?
最近になって、都議会で胡乱な条例が可決したり、あるいは、規制案が提出されたりしている。
可決されて本年7月1日に施行される「ネットカフェ入店者に関わる条例」で、入店者の、身分 確認を義務付けるものと、「青少年健全育成条例」でアニメ、漫画などで、性的な描写が過激な ものや、登場人物が、未成年者と内容によって特定されるものに関して、その販売を18歳未満の 者に、してはならない。と言う規制条例が、都議会に提出される。これに関しては、漫画家などから 表現の自由を規制されると反発が出ている。 何故、小生が胡乱と述べているのか。 それは、本来、規制すべきものではないと言う事だからだ、まず、ネットカフェに関する 条例は、その目的が、胡乱であると言える。 本来、身分を明らかにしない事で、誰でも容易に、他人を攻撃できる、この状況や、あるいは、 ウイルスなどを作成し、それを蔓延させるを目的に、ネットカフェなどの匿名性を利用している 悪意ある利用者を制限するのであれば、ある一定の効果は期待できるものの、現実には、 コイン型のPCボックスなどもあり、ネットカフェだけを規制しても効果があるとは言い難い のが現実で、そうなると、現実にこの規制条例は、宿泊施設ではないにも拘らず、店側が、安易に 宿泊させていると言う事が、犯罪行為者や、あるいは、その予備軍に対して、何らかの規制を はめ込もうと言うのが見え見えであるのだ。 前者の目的であれば、ネットそのもののあり方が問題なのであってネットカフェの存在は 二次的なスペックでしかあり得ない。しかし、後者の場合、現在、ネットカフェ難民と呼ばれる 一種のホームレスに対する、規制としか言えない。そうなると、本来、行政が、セーフティーネット などの社会保障で、彼らを保護、あるいは支援すべき問題なのだが、現実に、福祉が万全でない 現在の状況であれば、彼らに身分を明らかにせよと言うのは、いささか、本末転倒と言える のではないか。 ネットカフェが無ければ、本来、路上生活者になっていた可能性が高い、これらの難民に対して 身分を明らかにせよと言うのであれば、路上生活者に対して、同様の義務を強制すると言う のと同様だからだ。 ネットカフェそのものが、現実に、その受け皿として機能している現在、これを義務付けると 路上生活者が増える可能性もある。これらの家を失った人々の大半は、住民登録さえ抹消されて いる可能性が高いからだ、運転免許も無く、住民票も無い、公的に発行された身分証明を 持たない可能性が高い、彼らにこの規制を義務付けると、ネットカフェでの生活自体が不可能 となり、結果、住居代わりに利用してきた多くのネットカフェ難民が、その仮の住居を失う 事になる。 都が、この事を何処まで真剣に議論したのか、いささか疑問である、つまり胡乱と言うことである。 次に、アニメ、漫画などの性的な描写に対して、その描写の中に18歳未満と思われる未成年者 が表現されている場合、有害図書として指定し、18歳未満の者への販売を規制すると言うもの だが、小生は、あらゆる発行物に対して、国や公共機関が規制する事に反対の立場を採っている。 それは、公共機関などで、これらの判断を公正にするのが、大変に難しいからだ、現実に、かつて フランスの哲学者「サルトル」が書いた「水入らず」と言う小説を、わが国の文学会は、 「三文ポルノ小説」として、その和訳の小説の発行を抑制させたと言う事実があるからだ。 後にノーベル賞候補となり、結果、実存主義的な優れた小説として、無事発行されたが、 わが国の芸術に対する、評価基準など、曖昧でいい加減である事を内外に証明してしまった からだ。 また、ミケランジェロの「ダビデ像」が公開される時にも、その男性性器対して、布などを 掛けるべきと主張した、委員も現実に存在し、イタリア政府から、顰蹙をかったほどで、これ もまた、わが国の文化水準の低さを露呈させたものと考えている。 更に「二人のエンマ」と言う小説は、ポルノ小説として発行されたが、書いた人が サガンであった事が判ると、ポルノ小説から、一変、文学小説となっている。 この手の問題は、上げればきりが無いが、もう少し上げてみる。 上記の作品は、現在、子供でも購入する事が出来るし、ダビデ像もまた、芸術作品として 未成年者が閲覧する事も可能である。 次に「南回帰線」「北回帰線」などのヘンリーミラーの作品や「ファニーヒル」などの 作品「O嬢物語」「エマニュエル婦人」などの小説は、規制の対象外となっており、 映像のみが、その対象になっている。 どれが芸術で、三文ポルノであるのか、あるいは、現術的な表現であるのか、それは それを読む人、表現者の判断であるべきで、その基準を法律などで制限するのは、 大変に問題と言わざるを得ないのである。 先にあげたように、芸術的に、あえて強調して猥褻を描く場合もあるし、逆に性的な 描写を控えたポルノもあるだろう、そうなると、書いた人が、国から芸術家として認定 されていれば、それは、そのまま芸術となり、そうでないと、猥褻となってしまう事に なり、表現者が問われていると言う差別になる可能性さえあるのだ。 漫画やアニメは、現実に小説などに変わる活字媒体として、若者だけにとどまらず、 中高年にもファンが多く、(小生は、嫌いだが・・)一種のポップアートとして 考えると、その表現に、規制を掛けるような、条例を設ける必要は無いと考えている。 まして、役人や警察の恣意的な判断で、これはポルノである、あるいは芸術である と言う事が、まかり通ると、社会不安が広がる現在、権力側の拡大解釈を生む危険性 を孕んでいる。 子供に対する、規制は、本来、保護者の判断に任せるべきであり、子供の家庭内教育 にまで、警察を含めて、公的機関が介入すべき問題ではない。 現実に、ネット社会である現在、ネット上には、フィルターを掛けても、掛け切る事の 出来ない、それこそ有害な情報が溢れている。これらを規制できない現在、発行物に限り その規制を強化すると言う条例案は、胡乱である。 つまり、この二つの問題は、規制社会を作り上げる目的に、蟻の一穴である可能性が 高く、かつ、ざる法である事に間違いないのである。 だから、「胡乱」と言う表現で反対意見を述べたのである。 |
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