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この春先からの宿題である。 目玉医者さんがトラックバックして下さり、読む予定だったのだが、うつが長びいたりで、何と半年以上 読めなかった。何とか今日、200頁ほどの本を4時間以上かけて読んだ。 文学をテーマにしたメタフィクション。 正直に言うとそれほど楽しめなかった。相変わらずの筒井康隆のスタイル(文体ではない)に私だけだろ うが、もう飽きているのかもしれない。 書かれていることはアクチュアルな、文学にかかわる者にとって重要な問題である。 もっと話題にされてしかるべき文学の現状についての筒井康隆の問題提起なのだが・・・ 売れていない! 近くの本屋に並んでいないから、ブックサービスで注文した。3月発行の初版が届いた。もしかして再版 されていない?筒井康隆の新刊が! それが既にこの本の問題提起の解答になっているのではないか? 文学の終焉、という問題に関してはこれまでにも何度か、私が文学にかかわりだして以来、度々言われて きた。大きく取り上げられたのは、80年代、マンガが本屋の棚を占有した頃か。 ついでインターネットの時代。筒井康隆はそういう環境のなかで、いわゆる純文学から認められる形で 作品を書いてきたのではなかったか。筒井康隆も読まれないようになっている? このことに関しては私は悲観的である。もはや瀕死の状態、回復の見込みなし。
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筒井康隆
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A書店で編集長をしている知人が、漫画も売れなくなっちゃったよ、と言っていました。トップダウン的な情報発信を商業の形で行うことが困難になってきてるみたいです。今はボトムアップ的な文化の胎動期なのでしょうか。それならそれで、いいのかな、とも思えます。言葉の衰退は、どのような場面で最も顕著に顕れているのでしょうか・・・
2007/11/4(日) 午後 2:25
日常の言語は仰るとおりでしょう。もはや言語ではないところまで単純化されています。問題はこれが若年層の一時的現象ではなく、戦後教育を受けた私たちの世代から少しずつ少しずつ非日常的言語の範疇も含みながら後退してきた結果であるように思えることなのです。
2007/11/4(日) 午後 3:04 [ 遠い蒼空 ]
筒井康隆は健在です。そしてこれが売れないのは読者がこうした「メンドクサイ」小説を求めていなくて、もっと単純に面白がらせてほしいと思っているのだ、ということは分かります。それに、そういう傾向が最近のことではなく根は深いだろうと感じますが。
2007/11/4(日) 午後 3:13 [ 遠い蒼空 ]
マンガも売れなくなったのはもう相当以前かららしいですね。
ボトムアップ的文化の胎動期、と考えるためには一見ことばが氾濫しているかに見えるネットの世界に文化の兆しを発見できるかどうかが一つの目安になるだろうと思うのですが、例えばブログを読んでいて、個々のブロガーは優れた方たちの力の入ったものはありますが、そのことが即、ネット文化になってゆくとは思えないのです。
2007/11/4(日) 午後 3:34 [ 遠い蒼空 ]
ことばの衰退の例としては余りに個人的な見方となるのですが、一教員としての体験からしか言えません。学生さんの答案用紙を長年見てきて、そこに書かれていることばが衰弱する一方であったこと、そしてそのことは昔はましだったというような比較ではなく、当然そうなるであろうという必然性を孕んだ結果であるとしか私には思えなかったことからの判断です。それは今も進行しているように感じますし、自分の無力をつくづく反省しながら、これは戦後の国語教育の不在に由来すると思う以外の原因を見出せないのです。
2007/11/4(日) 午後 3:51 [ 遠い蒼空 ]
「漫画も売れない・・・」確かにそうですね。ペーパーバックのコンビニ本ばかりが売れて、良心的な新人(あるいはヴェテラン)の漫画は出にくくなっている。
その漫画の下取りをケータイ小説なんかがやっている。私のブログに遊びに来たケータイ小説の作家さん(?)のものは、お世辞にも褒められたものではありませんでした。『NANA』とティーンズ文庫の掛け合わせ、みたいな感じで。
直木賞なんかも、ジュヴナイル出身の作家さんばかりで、(良いものはあるんでしょうけど・・・)本当に言葉を練った、阿久悠さんの作詞のような、日本語という「怪物」に挑み続ける作家は稀なようです。
よくスポーツの世界では、下部構造の広さによって、トップの高さも決まってくる、と言われますが、どうなんでしょ? 文学に置き換えると。トップダウン(村上春樹主導?)なのかボトムアップ(ケータイ小説主導)なのか。そもそも流動するのが当たり前な話し言葉に、文学がやすやすと乗っかってしまっていいのか・・・???
混迷してますね。閉塞してるのか。
2007/11/4(日) 午後 4:51 [ 吉田ツグオミa.k.a.伊丹甚左 ]
下部構造は異常に広がっているように思えます。ただ、質は・・・
批判はしたくないのです。私に悪口を言わせないで下さい(笑)。
混迷、閉塞、そのとおりです。
2007/11/4(日) 午後 5:13 [ 遠い蒼空 ]
下部構造が広がったというよりも、殆ど底辺のみで構成されているように思います。村上春樹を手本にして小説書いてるようではたかが知れてます。もっと遡って、古典から始めなくては・・・無理か。
2007/11/4(日) 午後 5:34 [ すいす ]
私にしたって、ハルキストの悪口は言いたくないのです。
流動するこの世の中にあって、村上氏の作品だけが救い、という人もおられるのですから。
2007/11/4(日) 午後 6:12 [ 吉田ツグオミa.k.a.伊丹甚左 ]
前言を少し修正します。僕は村上氏の作品を批判するつもりは毛頭ありません。デビュー時の彼の才能に驚いた者の一人として、現在の村上氏の人気は当然の事と思います。唯、小説家を志す若い方達に言いたいのです。村上春樹が好きならば、彼の作品の背景にある物全てを吸収して欲しいのだ、と。小説好きの一人として、新しい世代の斬新な作品に巡り会いたいと、希望を持ってます。
2007/11/5(月) 午前 5:56 [ すいす ]
一極集中になりがちなのが近来の傾向なのでしょうか。ベストセラーを見ていても、人が読むから読むという感じ(当たり前ですね、ベストセラーというものはそういうもの)。
好みによって多極化するのが正常だと思いますが。
えー、ちょっと逃げ腰ですが・・・
2007/11/5(月) 午後 2:36 [ 遠い蒼空 ]
以前勤めていたとき、飲み会で「サザンが好き」という人に出会いました。「サザン」とはもちろん「サザンオールスターズ」のことです。
桑田の詞曲がどうの、というより、その人は、「こんなに大勢の人が聴く」ってことに興味があったみたいです。
私は元ミュージッシャンですが、そんなことから音楽の道から外れてしまいました。
文学の話じゃなくってごめんなさい。日本人特有のものでしょうか、この「付和雷同」というものは?
2007/11/5(月) 午後 3:21 [ 吉田ツグオミa.k.a.伊丹甚左 ]
対立を好まない、人に合わせる、というような点は日本人の長所でもありますから、一概に否定はできない。一致団結することで日本は近代化してきたのですから。
個人的には、孤立しがちであった経験(自己主張が強いわけではないのですが、自ずからそうなってしまう)からして、「付和雷同」が気質的にできないのでその心理は微妙に分からないのです。
「サザン」については聴いて楽しくないので聴かないのです。
まだ逃げていますが(汗)。
2007/11/5(月) 午後 3:40 [ 遠い蒼空 ]
iyhsさんが本当に仰りたいことって、日本の純文学の「売り方」の問題なんじゃないですか? 綿矢りさを(いっぱしのオトナの文学者である)源さんが持ち上げる、そんな病床に(汗)しておられるのでは。
2007/11/5(月) 午後 3:47 [ 吉田ツグオミa.k.a.伊丹甚左 ]
追い詰めてるつもりはさらさらないので、テキトーにスルーして下さって構わないです。
2007/11/5(月) 午後 3:54 [ 吉田ツグオミa.k.a.伊丹甚左 ]
売るために形振り構わず、というのは出版社として当然です。
読む読まないも自由ですし。
若い方はもっといろいろ読みましょう。年をとると濫読もできなくなります。
2007/11/5(月) 午後 4:10 [ 遠い蒼空 ]
読まない自由って、いいですね♪ もし、この世に、読むべき書物というものがあったとしたら、この世は地獄だな、と感じます。読まない自由を最大限に発揮した上で、やっぱりもう一度読んでみたい、と思わせる書物があったなら、そこに文学というものの魅力の鍵が隠されているんでしょうね・・・
2007/11/5(月) 午後 8:34
仰るとおりです。絶対に読むべき書物などありません。
読む自由が保証されることも大切ですが、読まない自由も同様に保証されるのが当然でなくてはならないですね。
2007/11/5(月) 午後 9:54 [ 遠い蒼空 ]
ところが、私は仕事柄、指定した本を読むことを課題としてレポートを提出させるようなことをしていたのです。単位取得のためにはレポートを出さなければならない。
それが嫌なら文学を選択しなければいいのですが。
2007/11/5(月) 午後 10:03 [ 遠い蒼空 ]
細切れに書きますが、読まない自由を徹底して実践している状況がかなり蔓延しているのではないか、それが私の「ことば」の衰退を云々する理由です。日本で特に顕著な傾向のように思われるのです。
2007/11/5(月) 午後 10:17 [ 遠い蒼空 ]