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私小説というものを大雑把に定義してみます。
一人称で書かれていようが三人称で書かれていようが、その小説の主人公は作家で、読む側はその作家についてある程度の予備知識を持っていないと分からないことがある、そういう小説です。
ある作品を読む前に、以前に書かれた作品に触れていないといけない。主人公は作者その人だと思って読む。それがキマリです。
その作品だけで自立していないわけです。
「桜桃」は一人称で書かれていましたが、「私」が作家である必要はない。サラリーマンでも作品は成り立ちます。
「大きい荷物」は作家と思われる人物のある日の体験を書いていますが、これも誰でもいい、作者を知らなくても問題はありません。
私小説は作者と主人公との距離がないのも特徴ですが、課題のニ作品とも距離は十分意識されています。作品として自立しているのです。
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やっぱ、自立してた方が、いろいろ、“便利がいい”のかしら。
おれ、私小説のリアリズムに、やられてしまいます。胸に迫るものがある。
藤村とか、プルーストとか、つげ義春とか(漫画か)。
普通の小説だと、なんとなく、ばくぜんとしてるから、“?”とか、思ってしまう。
“とっつきやすい”ってのは、わかるんですけど。
評価されやすかったり、人気が出やすかったり、愛されやすかったり、するものでしょうか。
普通の小説の方が…
2008/10/20(月) 午後 9:06 [ おんくん ]
プルーストも藤村も私小説じゃないです。
普通の小説ですよ。
2008/10/20(月) 午後 9:11 [ 遠い蒼空 ]
えーまじで! ありがとうございます!
元気が出ました。し、しつれい。しました(よかったー)。
2008/10/20(月) 午後 9:33 [ おんくん ]
私小説の全盛は過ぎましたね。
太宰などを私小説と読む読み違いが残っていますが。
2008/10/20(月) 午後 9:42 [ 遠い蒼空 ]
太宰治は、『人間失格』と、『桜桃』が、印象に残っています。
桜桃のラスト、やけっぱちでさくらんぼを食べる主人公に、苦笑いしました。
2008/10/20(月) 午後 9:51 [ おんくん ]
やけっぱちではないのです。苦い味わいのラストですね。
2008/10/20(月) 午後 10:48 [ 遠い蒼空 ]
9:49さん、思い込みも必要な時はあります。
2008/10/20(月) 午後 11:01 [ 遠い蒼空 ]
「大きい荷物」、エピソードがリアルでが完全に随筆と思い読んでいました・・。
確かに「大きい荷物」や収録されたそのあとに続く作品も、冷静に読めば、回顧のシーンがリアルでもどこか夢のようだったり「その夫婦は」など(「私たちは」ではなく)作者と作品には距離があります。
そして桜桃もですが、そんな風に距離を感じさせないところに魅力を感じました。
2008/10/21(火) 午前 6:58 [ reona678 ]
リアルに感じるのは的確な文章の力でしょうね。記憶を辿ってそれがリアルに感じられるのが面白いです。
2008/10/21(火) 午前 7:25 [ 遠い蒼空 ]