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えー、小説の「視点」について少し触れます。
三人称で書かれた小説は大きく分けて二通りの語り方があります。
一つはいわゆる「全智の作者」と言われるもので、語り手が作中人物のすべての内面を語る方法です。19世紀の西欧の小説にはこの型が多いです。
これは語り手がすべて説明をしてしまうので、語り手の言説に従うしかない。
二つ目は三人称を使っていても、そのうちの一人の目に写ることに限って書いてゆく方法です。これはその一人以外の作中人物の内面については語り手は説明しません。
「三四郎」はこちらの型になります。
こちらの三人称の語り方は一人称で「私」を語り手にするのとあまり変わりがないのですが、三人称を使うことによって作品と作中人物の距離が確保されます。
この型は日本では「一元描写」と呼ばれてきたようです。「多元描写」という言い方に対応するものでしょう。
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なるほど、勉強になります。
2008/11/9(日) 午後 3:54 [ すいす ]
わたしのは「多元描写」ですか。
2008/11/9(日) 午後 4:11 [ 答他伊奈 ]
20世紀初期の文学理論にはよくこういう分析がありました。
2008/11/9(日) 午後 4:22 [ 遠い蒼空 ]
「多元描写」ですね。
2008/11/9(日) 午後 4:23 [ 遠い蒼空 ]
ネット市民講座とは本領発揮ですね。しかも無料。人間は生ある内に何がしかの奉公を考えるものですね。文学に堪能なき自分には、用語も判らずただただ俯瞰するのみです。
2008/11/11(火) 午後 11:07 [ hanshirou ]
いや、市民講座などというつもりもなく気紛れに書き始めただけで・・・奉公という真面目な気持ちでもありません。つい使い慣れた専門用語が出るようですね。
2008/11/12(水) 午前 11:22 [ 遠い蒼空 ]
文学もそのようですが、理論というのは値札みたいに後からくっつくもので、音楽理論、理論物理、みな先に商品(作品)があってこそです。作品が多岐で深遠だからでしょうか、楽器は弾けずとも理屈は面白いです。
2008/11/12(水) 午後 7:32 [ hanshirou ]
そうですね。
文学あっての文学理論で、理論が先にできてそれにより文学が生まれたのではありませんからね。
2008/11/12(水) 午後 8:05 [ 遠い蒼空 ]
一元描写だと、「何でお前は全てを知ってるんだ」と、つっこみたくなってしまいます。
多元描写は…どんなだか、わかんない。
夏目漱石の、「こころ」とか? 最後まで読まないと、わからないから…違うかな。
2008/11/18(火) 午後 6:39 [ おんくん ]
それは逆です。語り手がすべてを知っている書き方が多元描写で、一元描写は一人の語り手が語ります。
「こころ」は二重になった一元描写というような形ですね。
2008/11/18(火) 午後 6:48 [ 遠い蒼空 ]
ああ、すいません(赤っ恥)。
ああ、そうですね。先生と、青年(だったかな)。二人の一元描写に、なるのかな。
2008/11/18(火) 午後 7:03 [ おんくん ]
いや、私の説明がいい加減でした。
「こころ」は二人が語るので謎が多くなってきますね。
2008/11/18(火) 午後 7:10 [ 遠い蒼空 ]