遠い蒼空

末期ガン患者入院記録

文学論(のようなもの)

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「現代詩手帖」1982年 2月号は「〈作者〉とは何か」を特集している。
花輪光の「虚構の作者」冒頭を一部引用する。

ブランショがプルーストに関して、「語っているのは誰か」を問い、フーコーが「作者とは何か?」という問いを発し、バルトが「作者の死」を要求して以来、「作者」の地位はどのように変わってきたのか。…
…作品さえ存在すれば、「作者」は、たとえ「生活不明」でも…「作者」として存在することができる。このような意味では、「作者」とは「作品を生みだした者」というよりも、むしろ「作品によって生みだされる者」である。
にもかかわらず、現実の「作者=人間」による「作品」の支配は依然として続いている。「作者」は、「作品」との関連においてのみ存在するどころか、「作品」に先立って、「作品」の外に存在し、「作品」によって「自己」を表現するものと見なされ、「作品」は「作者」の思想や心理を反映するものとされる。相変わらず「文は人なり」であって、「人は文なり」ではないのである。「作者」を「作品」の「生みの親」として、「創造者」として、「起源」として、「原因」として絶対に優先させる、こうした「表現」の論理に対しては、とりわけ「構造主義」以来、いやというほど異論がとなえられてきた。しかし、いわゆる「へその緒論」はいまも健在である。この論によれば、鶏(作者)は卵(作品)を生むが、その逆はありえないということになる。(引用終わり)

今もって事態はこの特集が組まれた時と少しも変わっていない。

閉じる コメント(10)

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カフカは、遺言で、自身の作品をすべて焼却するように、友人に言っていますね。
作者を優先させたら、あれらのすばらしい作品が、読めなかった。
作品というのは、作者以外の人が管理したほうがいいのでしょうか。
あと、加筆・修正して、かえって作品の面白さが損なわれたりだとか。
むずかしい問題ですね。

2009/5/5(火) 午後 4:10 [ おんくん ]

ちょっとタイトルがまずかったですね。
作者と作品の問題はおんくんさんの書かれたような意味ではないのです。

2009/5/5(火) 午後 5:06 [ 遠い蒼空 ]

5:12さん、専門的なことなので分かりにくいかと思います。

2009/5/5(火) 午後 5:46 [ 遠い蒼空 ]

作品を論じる目的が作家を知るということだ、という長年の習慣についての問題なのです。

2009/5/5(火) 午後 5:57 [ 遠い蒼空 ]

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太宰の作品を読む時に、私生活についてまず論じられ、先入観が出来てしまう、というような事でしょうか?
作品を読む前に作家の略歴などの情報を知るのが邪魔に感じる方なので、ネットのレビューとかはあまり読みません。
既に読んだ事のある作品や作家について、私生活との関連を勝手に想像したりするのは楽しいのですが。

2009/5/7(木) 午後 4:40 [ MoranAoki ]

「作者」を特権的な人間だと考えると、作者の意図が至上のものということになります。作品を読む人は下位の存在で、作者は先生と呼ばれかねない。
読むことにより、作品から作者の情報を得るだけならば、小説という形式の意味はないことになる、といったことなのですが、「文は人なり」的読み方は根強いものなのでしょうね。

2009/5/7(木) 午後 6:47 [ 遠い蒼空 ]

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ああ、わたしも多少なりとも「文は人なり」だと思っていました。著者の意図をお手本とするなら「正しい読み方」というものがあるかのように、受け手の感じ方を限定してしまう・・・。
小説を、著者の心情の発露にとどめるのではなく、作品として独立した存在に昇華されるべきだと言うことでしょうか。

2009/5/7(木) 午後 8:00 [ MoranAoki ]

正しい読み方というものはなく、読む人の数と同数の読み方がある、作品が独立したものであるためにはそうあらねばならないわけです。
文学史とか作家評伝とかいうものは文学研究ではなく、人間研究だと思います。

2009/5/7(木) 午後 10:55 [ 遠い蒼空 ]

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こんばんは、初めまして。難しいけれど、僕も興味のある内容を扱ってらっしゃるので。的はずれになったら御免なさい。出版社は主に売上のために作家を特権化して見せますよね。なんでも広告にすりかえる。読者がそのイメージから一歩も進まずに終わるような作家はどうでもいいとしても、『作者の言明にとらわれない自由な戯れの空間(←wikiのバルトの項をコピー)』として作品が読まれるかどうかは、一旦出版されたら、読者次第ですよね。バルトは作家の立場からの希望を述べたと思うのですが、エキサイティングな読者も同じ気持ちだと、僕は思います。作家と読者、個人対個人の直感は一致している。それがズレていくのは、ひとまとまりの系統だった論(文学研究)を、時間をかけて練ってまとめて、多数と言葉を介して共有しようとするからだと、思います。頭のいい人たちならば、そんなことはないのかな?と、思った次第です。
「思う」ばかりでスミマセン。それでは失礼します。

2009/5/12(火) 午前 1:24 dai_2008

はじめまして。
コメント、ありがとうございます。
バルトは生身の実在する「作者」を「虚構の作者」に変えようとしたのだと思います。これまでの伝記的、文学史的な作者を退け、「テクストとしての作者」、「書物という紙の上に存在する作者」が求められる方向を示したのだ、と思います。
バルトは初期から後期まで、さまざまに変貌していきますから、私も「思う」だけです。

2009/5/12(火) 午前 8:25 [ 遠い蒼空 ]


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