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2年前に書いたものです。
前に書いたのですが、これを愛読し始めてから、半世紀に近くなります。
最初に手にした大山定一訳、新潮文庫は今も手元にあり、奥付の日付を見ると、昭和28年初版、私が買ったのは昭和32年の7刷です。高校に入って間もなく読んでいることになります。
その後、ドイツ語原文、フランス訳、別の邦訳で読みましたが、この大山訳が一番馴染んでいます。戦前に訳されたものらしいですが、多少の誤訳もあるようで、大山訳の「マルテ」になってはいますが。
この物語性の少ない断章的な小説が私にかなりの影響を与えていることに思い至ります。
どうも告白調になってしまいます。少し引用でもしてみます。
「僕は僕のせまい部屋にすわってゐる。ブリッゲは―すでに二十八歳になった僕は、まだ誰にも知られてゐないのだ。僕はこんなところにひとりすわってゐて、まったく無名だ。しかし、その無名な極くつまらぬ人間が、何かものを考へようとして、ごたごたこんなことをひねくりまはしてゐる。五階の古ぼけた家で、巴里の灰いろの午後の空のしたで…」
「ただ人から愛せられるだけの人間の生活は、下らぬ生活といはねばならぬ。むしろ、それは危険な生活といってよいのだ。愛せられる人間は自己に打ち克って、愛する人間にかはらねばならぬ。愛する人間にだけ不動な確信と安定があるのだ。愛する人間はもはや誰の疑ひもゆるさない。すでにわれとわが身に裏切りをゆるさぬのだ。」
「愛されることは、ただ燃えつきることだ。愛することは、ながい夜にとぼされたうつくしいランプのひかりだ。愛されることは消えること。そして愛することは、ながい持続だ。」
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