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「「アサヒグラフ」を弔う」というコラムの一部を引用。
「…八月六日の原爆の写真を私は見た。…写真は当時の朝日のカメラマン松本栄一、宮武甫以下六名がかけつけて写した。…昭和二十七年占領軍が去る日が来た。…「アサヒグラフ」八月六日号の全誌面をあげて大特集をした。
筆舌を絶するという、酸鼻をきわめるという、全身の皮膚をたらしてなお歩むもの、生きながら早くも蛆虫のわくにまかせているもの、何気なく見た子供は嘔吐したという。…
…アメリカに写真十枚を持参して口演したら聞くもの寂として声がなかった。その惨状をはじめて知ったというものばかりだったという。…
原爆許すまじという、何という空疎な言葉だろう。ダイインと称して死んだふりをすれば原爆反対の一助となるなんて正気の沙汰ではない。ひとたび出来てしまったものは、出来ない昔には戻れない。…
百聞は一見にしかないという。…それなら航空機をチャーターして某月某日を期してアジアでヨーロッパで世界中の空から雨あられと「アサヒグラフ」の写真をバラまいてやれ。
…空から写真が降ってくるのだ、争って子供らは拾うだろう。何事かと思って見て嘔吐するだろう。…
言うはやすく行なうは難いと言うな。…その気があって万難を排せば出来る。…ただ日本人にそれをやる気がないだけである。
私はアメリカ人の良心も日本人の良心も信じないものだ。アメリカの知識人は本土決戦で死ぬべき日本人を助けてやったとあろうことか恩にきせる。あの無差別爆撃でどの位非戦闘員が死んだか、数えてみたことがあるか。…
神というものがまだあるなら神の面前で改めて裁判しようではないか。けれどももし原爆を投下したのが日本人だったのなら、アメリカ人と同じことを言うにちがいないと思えば、大展覧会も某月某日を期しての写真バラまきも今は無益に思われるのである。
繰返すが出来てしまったものは出来ない昔に戻れない。原水爆はさらなる原水爆になるよりほかにない。…」
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