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「エロティック小説完全創作レシピ」より、作品リストを引き写す。 5頁に分けて並べてある。「海外・男性作家」「日本・男性作家」「海外・女性作家」「日本・女性作家」「参考書」に分類してある。 日本・男性作家をまず書き写す。 泉鏡花「外科室」、江戸川乱歩「陰獣」、谷崎「卍」「春琴抄」「刺青」「痴人の愛」「鍵」、三島「仮面の告白」「禁色」「憂国」、吉行「娼婦の部屋」「不意の出来事」「砂の上の植物群」「夕暮まで」、大江「性的人間」「セブンティーン」、村上龍「限りなく透明に近いブルー」「フィジーの小人」「超電導ナイトクラブ」、村上春樹「ノルウェイの森」「国境の南 太陽の西」、比留間久夫「yes・yes・yes]、沼正三「家畜人ヤプー」、団鬼六「花と蛇」、田村泰次郎「肉体の門」、山口椿「リラの門」「ロベルトは今夜」、渡辺淳一「失楽園」、勝目梓「抱擁」。 意外に正統的。あとは次回。
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2007年01月20日
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前にも書いたが、梅崎は「桜島」で有名だが、それ程読まれていないような気がするので、再び取り上げる。「桜島」での鮮烈なデビューののちも第一線で書き続け、名作「幻化」を書き上げるとすぐ、50歳で急死した。見事な文章は未だ色褪せない。全集では主要作品しか読めないが、軽妙な作品を遺している。第一次戦後派だが、第三の新人に近しい作風でもあった。
戦前に書いた作品は梶井基次郎に似た味を持っている。 昭和40年、この年は谷崎も、高見順も死去しているが、梅崎の突然の死は衝撃だった。 |
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哲学研究者はたくさん見てきた。 大学で哲学の講義は殆どすべて、過去の有名な哲学者の解説をするものだった。 それを聴いて、紹介された哲学者の著作を読む、で、分かった気になるという順序であった。 私は翻訳で読んでいた頃はよく分かったとは思えなかった。原語で読むと分かりやすい。ギリシア語は齧りかけてやめたので、主にフランス語とドイツ語で読んだ。日本語訳で面白かったのはキルケゴールだけだった。 最近(私の最近は10年前だったりするが)、やっと自分で哲学する人が表面に現れるようになったらしい。誰が先鞭をつけたか?鷲田小弥太あたりか?それならかなり前になる。 最近(笑)、よく目にするのが鷲田清一、池田晶子、土屋賢二あたり。まだたくさんいるようだが、哲学には関心が少ない。散々騙されてきたからだ。 鷲田清一は面白い。読むと感心することが多い。土屋賢二はつまらない。本物かどうか見分けられない。 で、池田晶子だが、以前からたまに読んだりしていた。「残酷人生論」(1998年)を買った頃には知っていた。この著は帯に「科学も宗教も哲学も、すべてがここへと回帰する人類への異議! 生きて死ぬのはなぜですか?あなたであるのはなぜですか? 気鋭の哲学者が当たり前の人生論・世界観を疑い、見せかけの知性を容赦なく一刀両断する。」とあり、まぁいいことも言ってはいるが、肝心なところへくるとはぐらかされる感じを持った。 その後、「十四歳からのナントカ?」というよく売れた本もそういう感じだった。雑誌などで、連載しているもののなかには、いいことを言っていると思う場合もあるが、体系がないような気がする。それがスタイルなのかも知れないが、文章が余りにも単調なのはなぜだろう。 写真が美人風なので、騙されてきたのかもしれないと覆ったりする。 反省。自分の好きな物書きについてメモする方針だったのに、批判めいたことを書くようになった。もう
そういうことはやめよう。書くならゲストブックに内緒で書くことにしよう。 |
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こんな本が出てきた。買った記憶はない。1997年、三一書房刊。管野温子著。
1991年からポルノ小説を出しているとのことだが、読んでない。 これ読んだらエロ小説が書けるかな?「あなたのなかに眠っている美しい快楽の紡ぎ方」と帯に書いてあり、内容は「ガイダンス編」「性愛セッティング編」「文章表現編」「商品マーケティング編」の4部構成。 「文章表現編」は性器などにどういう名称を使うのがいいかが書いてある。多少は参考になるかも。 エロ関係の本を意外に買っている。無意識に手が伸びて買うのか? 知的でエロい小説が書きたいなぁー。「O嬢」や「イマージュ」のような。エロは女性にしか傑作は書けないのだろうか。女性になったつもりで書くか。 実は女性を主人公にした小説を書いたことがある。残っているのは二つ。若い頃に書いた短編と前にここに書いた「遠い蒼空」という長編である。短編は少女がヒロイン。長編は永遠の未完成作品となるだろうが。 |
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ラブレターは晒すし、顔も出しちゃったし、もう怖いものなしだね。 ブログってこんなものじゃないのだろう。他の方たちのブログを読んでいるとそう思う。でも、人と同じことをするのが厭だから、自己流でしか書けないな。 次は更に過激になる。抑圧を吹き飛ばすためにブログの場は私にはよかったようだ。 ラブレターらしきものを書いたことは他には一回だけ。逆に、もらったことは数回ある。 手紙は残して置く習慣があり、子供の頃のものがどこかに仕舞ってある。 但し、もらったラブレターは殆ど破棄するか、差出人に返した。 ところが、残っていたものがあるのだ。 これは相手に著作権?があるのだろうが、ここまで書いたことは忘れてもらって、私の創作したものとして読んでもらおう。30年以上前の文章。時効になっているから訴えられないね。勝手なことを言ってるなぁ。 「ゆうべは本当に得がたい信じられないようなものを得た気持です。そしてしあわせな気分がずっと持続しています。これは私だけでしょうか。とにかくあなたの配慮のおかげだと思います。一番いい形を取ったという気がします。これまでの全ての交流を、そこへ持っていかないように、こんなことだったのだとか、小さく完結した、とかいった終りにしないように。そうなったら失うものがあまりに大きすぎるから。もう失いたくないのです。こんなしあわせな気分を。これがやすらぎだという風に思います。自分の心のおちつく先を見出したような。もう何も書く必要のない気持です。少なくとも今は。これを書いているのは、あなたの懸念を解くため、私の状態を知ってもらいたいためです。 どうしてあなたにはあれほどの配慮ができたのか。考えると不思議です。私の不安定さにあなたは負けなかった。そのことを感謝したいと思います。このあなたへの信頼感を、失いたくないなと思います。肌のぬくもりを通して心が通いあうということを誤解なく正しく見通しも持って理解している異性がいるとは思いがけませんでした。私はまだ十分にあなたを発見していない、というふうに思われるのです。ゆうべまた発見したのですから。 それに、あなたは私に私を発見させてくれそうな気がします。ほんとうの私を。私はあのように自然にそうしたいという状態になったことはないのです。それは自然に、というほかいいようがありません。(以下略)」 なお、写真は記事と無関係です。
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