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中学3年の頃、親しくしていた友人があった。 卒業後、何年目かは忘れてしまっている。 新聞の三面記事に小さくその友人の海水浴での溺死の記事が載っていた。 一度だけ訪れたことのあるその級友の家を探しに行った。ところが、何度探し回っても見つからない。 結局、諦めて帰ったが、不可解でならない。 二度目は、高校時代に同級で、一緒に大学入試を受けた級友である。彼は運悪く合格できなかった。 私が大学院の頃だと思う。 同じく三面記事に海での溺死の記事が載っていた。高校の教員になっていたらしい。引率して海へ行った 旨。 同級の友人がお悔やみに行こうというので、二人して家を探しに行った。 ところが、この時も見つからず、さんざん探して諦めた。 住所は分かっているのである。これも不可解でならない。 更に不思議なことには、高校3年の担任とその後、会うことがあったのだが、彼が「いい先生になってい る」と言われたのだ。言葉を失い、何も言わなかったが。
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またもや。 「ちょーらかす 名古屋には「嫁らかす」という言葉があります。「嫁に出す」という意味ですが、名古屋では「三人嫁ら かすと財産が吹っ飛ぶ」と言われるほど、「嫁らかす」ことは大変なエネルギーを要する行事なのです。 それでは「ちょーらかす」とは?これはあくまでも私見ですが、漢字では「長らかす」とかくのではない か、と私は推察しております。(略)「おだてる」とか「いい気にさせる」との意味に通じ、それが転じ て「冗談を言う」、「ごまかす」といったニュアンスまでをカバーする言葉となっています。 ほかにも、「しっからかす」、「ぬりからかす」などの言葉がありますが、この場合には「らかす」に「 か(過)を付けて強調した「からかす」が意味を持つところとなり、「そればかりを盛んに続けている様 子」を表現することになります。 したがって、もし生涯にわたって連続的に「嫁らかす」ことが続くならば、「嫁らかしからかす」という 表現になるものと思われます。」
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平成11年6月特大号。 明治32年大阪に生まれ、15歳で、孤児となる。 18歳で一校文科、21歳で東京帝大文学部英文学科入学。 20代で新感覚派の旗手として「感情装飾」を出版。第二作品集は「伊豆の踊子」。 30代で「末後の眼」「禽獣」。「雪国」連作を書き始めている。昭和12年刊行。 昭和43年、日本人初のノーべル文学賞受賞。 昭和47年、ガス自殺。享年72。 特集記事は他に、「「幻の小説」草稿一挙6編初公開」、荷風との往復書簡、井上義夫の川端論「記憶の 歩み」、秋山駿の「傷から咲いた花」、座談会など。 7人の作家らによる川端康成・私の一編では、吉田知子が「片腕」をあげているのが目を引いた。 読みごたえのある150頁の特集である。 でも、もう33回忌も過ぎたのだね。三島の50回忌が近い。 写真は川端と川端の残した手帳。日記として使用され、綿密な書き込みがあるとのこと。
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