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雑誌記事より。 「平成2年7月6日午前8時半。神戸市の高校で、登校中の1年の女子生徒が、校門で遅刻指導をしてい た教諭の閉めた鉄製門扉と門柱の間に頭を挟まれ死亡した。・・・ 批判は門を閉めるという行為自体にも向けられ、門を解放する学校が続出した。 それが大教大付属池田小学校の児童殺傷事件で犯人の浸入を容易に許したことにつながった。・・・」
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2007年02月17日
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濱谷浩写真集「昭和女人集」より。 昭和30年、東京日本橋、三越本店でのファッションショー。青森谷地温泉、山の湯治場和気藹藹。 昭和32年、神奈川片瀬、マイアミビーチでの海の女王コンテスト。 人、人、人・・・
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同じく「文芸春秋」の特集記事より。 芦田淳氏による「ヘップバーン・ファッション」。 「あらためて昭和30前後を思い起こしてみると、とてもファッショナブルな時代だったという印象が強 い。あの頃の女性は、今の人よりずっとお洒落だったのではないかとさえ思うのだ。最近のカジュアルな 流行とは異なり、いわば貴婦人スタイルとでも言うような気取ったスタイルに人気があった。・・・ さらに映画の影響も非常に大きかった。有名な「ローマの休日」や「麗しのサブリナ」などで私たちは、 あのオードリー・ヘップバーンに夢中になった。中でも、「麗しのサブリナ」で彼女が穿いていたピッタ リとしたパンツはサブリナパンツと呼ばれ、大いに流行した。その頃は、男性もマンボ・ズボンという細 身のパンツを穿いたものだ。時代は巡り、いま再び細身のパンツが男女を問わず流行しているのが興味 深い。」
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「文芸春秋」特集「われらの昭和30年」より無断拝借。
青梅・昭和レトロ商品博物館長の横川秀利氏が解説している。 昭和33年頃、「野火としかいいようのないブームでした。・・・あっという間に燃え広がって、いつの間にか消えてしまったんです。・・・飛ぶように売れるとはまさにあのことでした。・・・値段は一本二百七十円。ちなみにその頃、喫茶店のコーヒーが学割で五十円、週刊誌が三十円・・・一説には、一ヶ 月に売れた数が六十万本とも八十万本とも言われています・・・」 |
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