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コメントの返事を書く時に、思っていることをそのまま書けないということが度々起きている。
コメントが下手だという理由だけではない。書く勇気がないのである。 元々いい加減な、耄碌した年寄りの書き散らしているブログだから、どなたもそれなりに読んでいただいているだろうとは思うが、自分のことを実にくだらない些事まで書いているとは言っても、私の考えの根幹のあたりは触れないで避けている。情けない、と思う。自身はものを書くことに失敗したとはいえ、なぜ文学が私にとって必要だったのか、それを書くことができない。逃げているのである。 生活苦のことまで書いた。しかし、それは人を傷つけることではなく、単に私の恥を晒しただけだから書いた。意気地なしなのである。どなたにも読まれなくなっても、自分のことを書けばいいと思いはするのだが、そしてそれを書かないでは自分のことを書いたことにはならないと思うのだが、やはり躊躇う。 勝手に悩んでいれば・・・と哂われそうでもある・・・ |
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2007年11月05日
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今、どのくらい読まれているのだろう。
少なくとも日本では、研究者か小説家以外にそれほど読んでいる人がいるとは思えない。 いわゆる初期作品(習作ですね)を除き、作品の数は少ない。一作に数年をかけて書いているためである。「ボヴァリー夫人」「サランボー」「聖アントワヌの誘惑」「感情教育」「トロワ・コント」、そして遺作となった「ブヴァールとペキュシェ」。 「ボヴァリー夫人」と「感情教育」がまあ読まれているほうか。 「ブヴァールとペキュシェ」は「紋切り型辞典」が付属していて、とんでもない試みなのだが、完成していない。 フロベールのどこが新しいのか。私もフロベールを専門として卒論、修士論文を書いたが(論文まがいのものだが)、どこまで分かっているのか心もとない。写実主義の作家として日本には紹介され、そういう読まれ方がされてきたが、フランスでは20世紀半ばからヌーヴェル・クリチック(新批評)の批評家・研究者によって見直しがされ、現代小説の祖と看做されるようになった。「ボヴァリー夫人」「感情教育」は読んでおいた方がいい。小説を書く人なら。 普通の小説だが、自由間接話法を駆使し、それがのちの内的独白の先駆になった。 また思いついたら書き足す予定。 |
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