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十一月から出る「福田恒存評論集」の編集に携わった子息福田逸氏のエッセイ「心に穿たれた空洞」よ り一部引用。 「・・・第一回配本は昭和四十年代前半のものを収録したが、中に「教育改革に関し首相に訴ふ」があ る。その一節を読んでゐて考へ込んでしまつた。いはば、福田恒存終生のリフレインなのだが、日本が 過去百年、「近代化に夢中に」なつて、「しかも世界が驚嘆する程の実績を挙げて来たにも拘らず、今日 の日本人の心に穿たれた空洞は如何とも」なし難いと言ひ、どうしてさういふことになつたかといふと、 「世界を驚かせるに足る近代化の実績を挙げたから、詰まり、それだけの犠牲を支払つたからです。その 犠牲とは言ふまでもなく日本人固有の文化」だと言ふのだ。さらにそれに続けて、手に触れ付き合へる生 活に密着した「物」としての文化を失つてしまつたら、「愛国心の手掛かりは」どこにもなく、それを 「強いて求めれば抽象的な国家といふ概念しか有り得ず、さうなれば狂信的な国家主義に走る他は無い」 と断じてゐる。尤も、この引用には後があり、なにも「絶望する」ことはない、「日本人にはまだ日本の 自然があり、国語があり、そして歴史」といふ最小限の「文化」が残されてゐると慰めて(?)はくれる のだが、ここで私は一層落ち込む。さう慰められて、今の私達は、はい、さうですかと安閑と構へてゐて よいのだらうか。昭和四十年初頭の日本、それから半世紀近く経たうとする今の日本に、同じ自然が残さ れてゐるか、国語は崩壊の危機に瀕してはゐないか、歴史は無慚に断絶を余儀なくされてはゐないか。 日本が日本であることを自ら内に向かつて保証できる如何なる「固有の文化」を保持してゐるのだらう か。日常生活のほぼあらゆる側面に、日本固有の文化は存在せず、それゆゑにか、経済に於ける右肩上が りの時代が終焉を告げただけで我々は怯え、得体の知れぬ不安を抱えて漂流を始めてゐる。日本人の多く が今、「心に穿たれた空洞」を見て見ぬ振りをしてゐるのではないか。・・・」
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2007年11月19日
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辞書によると、「うそいつわりのないこと。ほんとうのこと。・・・(仏)絶対の真理。」 歴史に真実はあるのだろうか。 歴史とは事実であると証明された事柄の記述ではないのだろうか。 一つの歴史観に基づく歴史は単なる物語ではないだろうか。
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うつ状態のため、おかしな投票を思いついた。 結果は嫌いなものにサヨクを投票して下さった方がお二人いらっしゃった。 投票総数四名だから、大勢の方はサヨク好きなのだろう。 それでも、もしサヨクへの投票がゼロだったらもうブログを止めようと思っていたので、これからはたと え反感を買おうと自分の思うことを書いていくことにしようと思う。
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