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1980年 309号。
坂口三千代、田川博一、林忠彦による座談会「つい昨日のこと―カストリ時代の銀座―」。最初の部分を引用。
本誌 先ごろ林さんの「カストリ時代」という写真集が出ましたが、その中には、銀座五丁目の、焼跡に建っている「大和屋」の写真とか、太宰治や織田作之助が「ルパン」で飲んでいる有名な写真など載っていて感慨深いので…きょうは「カストリ時代の銀座」ということでお話をうかがいたいんです。林さんが大陸から引揚げていらしたのは、昭和二十一年でしたね。
林 終戦の翌年ですから、そうです。
本誌 ちょうど田川さんが…。
田川 そうですね。わたしが文藝春秋に入ったのが、やっぱり昭和二十一年の五月です。あのころは、社も貧乏だし、紙もなく、いい写真もなかなか使えなくて、林さんみたいなのはもう高嶺の花だったですよ。
本誌 林さんは、そのころ「モダン日本」などの仕事を…。
林 ぼくが「モダン日本」の仕事をやってるころには、ちょうど吉行淳之介くんがあそこにいて、もう景気の悪いころでね、ポツーンと一人でいてね。ぼくも、雑誌の仕事をやっても「文藝春秋」みたいな立派な雑誌をやらないもんだから、どこからもお金が入らなくてねえ。それでモダン日本社へ行って、「おい、お金ないから、少しおくれよ」って言ったら、「ないよ。そこらにあるもの、持っていきなよ。あの自転車どう?」なんて言ってね(笑い)。
本誌 そのころ、坂口安吾さんは、原稿料をちゃんと奥様に渡していらっしゃったんですか。
田川 いや坂口さんは、原稿料というよりも前貸しのほうが多かったですからね。
坂口 ええ(笑い)。
田川 初めにみんなぶん取っておいでになりますから、奥さんのとこにはあまり行かなかったんじゃないですかね。
坂口 あのころはお金がないんで、「文春へ行って借りてこい」とか言われて、あたし、よくもらいに行った覚えがあるんですよ。それはきっと、前借りの分だったと思うんです。あとはまあ、ちょっとシワのあるお札とシワのないお札とを分けて、シワのあるほうはあたしにくれて、シワのないほうは自分が取って(笑い)。きれいなお札を使いたいんですよね。
林 うん、なるほど。
坂口 ですから、あたしのほうが多いときと、むこうのほうが多いときと、お札のきれいきたないで、決まるんです。
田川 ほう。でも、文芸春秋が戦後グーッと伸びたときには、坂口さんの力というのは、もう絶大なものでした。例の探訪記事ね。
坂口 「安吾巷談」ですね。
田川 ええ。あのときぼくは担当でしたから、いつもお伴をしてね。当時は生命の危険を覚えるようなものがありましたから、取材もまあ、命がけですよね。新宿の話だとか、すさまじい赤線だとか、ずいぶんお伴した覚えがありますね。
林 安吾さんが一週間にいっぺん、お宅でバクダンを飲む会をやっててねえ。
坂口 ええ、ええ。
林 あれは何曜日だったかねえ。
坂口 水曜日なんです。
林 安吾さんの、あの紙屑の中の写真はやっぱり水曜日なんですよ。
田川 ああ、そうですか。
林 そのときにぼくは早目に行ってね、「あんた、一体どこで原稿書いてんの」って聞いたら、「二階だよ」って言うんだよね。「ああ、そう。仕事場見せてくれたことないねえ」って言ったら、「いや、実はなあ」。・・・
「おれはなあ、女を拾ってきて、それがいま二階にいるんだよ」って。「それなら、ぼくに紹介してよ」って言って二階に上がったら、奥さんの部屋はきれいになってて、たしか長火鉢みたいなのがおいてありましたね。
坂口 ええ。
林 そこで初めて奥さんとごあいさつしてね。安吾さん独特の言い方なんだけど、「拾ってきた」なんて言って。・・・そのときぼくに「隣で仕事してんだよ」って言ったの。廊下へだてて向こうの部屋なんだよね。まだ奥さんにも見せたことないんだって言うの。「ちょっと見せてよ」って言ったら、「じゃ、しょうがねえなあ。ちょっとのぞけよ」って。パッとのぞいたら、驚いたよ。びっくりしてねえ、足がガタガタしたよ。
林 ホコリがね、一センチぐらい全部の上にたまってるんだから。蚊帳が床の間にぶら下がってるんだけど、青い蚊帳がホコリでまっ白になっちゃてんの(笑う)。それでねえ、「これは安吾さん、すごい。撮らしてくれ」って言ったら、「女房にも見せたことのないものを写真になんか、どんでもない」って言うから、「いや、きょうはカメラが真新しいんだから、記念に撮らしてくれ」って言って。それで窓がありましてね。ちょっと高くなったとこに。
坂口 ええ、ガタガタしてるとこね。
林 あの上にあがって、落っこちそうになりながら撮りましたよ。あれは興奮したねえ。・・・
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