遠い蒼空

末期ガン患者入院記録

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恋愛の物語 ケータイ投稿記事

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あまたある恋愛小説、恋愛映画、またはマンガ、そんななかで、ふと思い出すのは一ノ関圭の「茶箱広重」。
初代広重の若い妻とニ代目広重との切ない忍ぶ恋。
わずかのシーンでそれを見事に描ききっている。
傑作である。

台風 ケータイ投稿記事

実はあした神戸へコローを見に出かけようと思っていた。
ところが台風。
雨がざんざか降ると外出は危険だ。
どうもうまくいかない。お金のあるうちに行っておかなければ行けなくなってしまう。
ああ、台風よ、心あるならば願いを聞いておくれ!

えー、話があっちこっちに揺れていますが、また更に順序不同になります。
今、小説と言われているものは一体いつからあるのか、小説の歴史の大雑把すぎる概観について述べてみます。
形はどんなものであれ、お話というものは大昔、文字のない頃からあったでしょう。
ここで小説と呼ぶのは近代小説、西欧に始まり、日本にも隆盛した近代的小説のことです。
日本には古くから源氏物語などの物語文化は盛えておりました。が、これらは物語であります。お話であります。
近代小説というのは西欧で 18世紀には形がある程度定まり、19世紀以後、盛んに一般の人々に読まれるようになったものを指します。
どこが違うかと申しますと、ルソーが「告白」を書き、自己の内面の葛藤を物語のなかに入れて以来、小説は物語と自己告白とが一緒になり、そのスタイルが19世紀を通じて一般化したのです。
従って、お話と小説とは重なるところはたくさんあるのですが、少し分けて考えた方がいいのです。
物語性の全くない小説が現れるようになり、物語は小説を成り立たせる一要素になったと考えられます。
えー、あまり難しく考える必要はありません。こういうところは一応ざっと話すだけにしておきましょう。

えー、少し既に触れた問題点ですが、人称のことをまた述べたいと思います。
「私」で書かれた小説は要注意というようなことを言いました。
「私」といっても作者その人であるかどうかは分かりません。極端な例として漱石の「吾輩は猫である」を挙げました。 
猫が語っていますが、猫の生活が中心ではありません。猫はたくさん出てくる人間の登場人物を紹介する役割だと考えられます。
これからは「語り手」という言い方をしようと思います。一人称の語り手、三人称の語り手、そうお考え下さい。
一人称の語り手は信用できない。それも大切なポイントです。私小説という日本独特な形式があり、それは「作者」=語り手ということになっておりますが、これも信用できません。
「桜桃」は私小説の形式をとった小説なのですが、「私」=作家太宰治と考えないことが大切です。
なお、「作者」というのもあまり気にしないで下さい。作者の人間に興味を持つことは自由ですが、作者は看板のようなものと思っていた方がいいです。

真っ白なスケジュール ケータイ投稿記事

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かくのごとく白紙に近い手帳。
少し書いてあるのは病気行きの日と、借金返済の日だけ。

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