遠い蒼空

末期ガン患者入院記録

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知らないふり ケータイ投稿記事

学生さんの質問には分かる限りでも答えなければならない。
同僚などと話していて、相手が曖昧なことを言う場合、知っているならばそれを訂正しなければならないことがある。
しかし、相手の立場というものもあり、場合により知らないふりをすることがある。
いかにも知っているように何でも話すのは憚られるからである。
それは仕方ないことだと思っていたが・・・

小雨なら濡れていこうと彼は言う。
文章に変なリズムを作ってしまう。
彼は言った。
とでも変えないとおかしい。
文章にはその人独特のリズム感があるのですが、五七五はなぜか避けないとリズム感が変になってしまう。
この当たりに定型と散文の違いがあるような気がします。

文学の課題として、小説を読んで感想文をレポートにして提出してもらっていたのですが、昔、ある学生さんが小説の冒頭の一ページくらいをそのまま書き写して提出したことかありました。
読む時間がなくて仕方なくそうしたのでしょう。それが分かる感じでしたが、よく考えてみると、小説を読み、感動のあまり言葉が出ず、やむなく小説を書き写す、ということもあり得るわけです。
それは私が小説を書くために奨めた方法ですから、書き写すことで、生半可な感想を書くよりも深い体験をしたかもしれないのです。
「桜桃」を読んだあと、書き写す、それも太宰の読点の多い文章を自分の読点の打ち方に変えて書き写す、そういうことをすれば文章のかなり面白い訓練になる。
感想文よりその方がいいのかもしれないと思ったりします。

美しい絵を見て呆然と立ちつくす、音楽を聴いて心を揺さぶられる、そういうことはそれ自体で完結した行為ですから、それを言葉にする必要はない。ただその体験を味わうだけで何も言うことはありません。
小説を読み、それに同じような共感なり感動なりをおぼえた時にも、それを無理に言葉に変える必要はない。沈黙のなかにその小説は生きているはずですから。
だから、感想文を書くというのは実はあまり意味のないことなのです。私がこの作品に心を打たれたという事実を文章にしても、何も得るところはないのです。
それなら、感想文を書いてどうするのか、書かなくてもいいではないか、そのとおりであります。
書いて感想を交換することで、その作品をより深く心に刻み込む。そのために再読する一つの機会として他人はどう読んだのかを知ることは意味がないわけではない。だから、どこに一番感動したかを書いて、人に見てもらう、それくらいのものです。書かなくても心のなかで反芻していればいいことなので、無理に感想文を書くことはない。
読み違いと思うこともありますから他人の感想は役に立つくらいです。書くために読むのはあまり意味はありません。

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