|
1982年 332号。
この号には、後藤明生のエッセイ、吉田知子のショートショートが載っている。
銀座サロンは、ゲスト田代素魁、ホスト役は円地、吉行、小田島である。
銀座サロンから一部引用。
吉行 ぼくは二十年代に「モダン日本」にいたんですが…あのころは、わたしはたしかお目にかかったことないんです。まだ二十代半ばでしたけど、部下がいまして、その女の子にもっぱら…。
田代 いや、吉行さんに初めてお目にかかったとき、「初めまして」ってご挨拶申し上げたら、「いや、ぼくは田代さんに借金があるんです」って、おっしゃった。
吉行 そうです。社としてね(笑い)。
田代 あなた、あのころ責任者なんでしょう。
吉行 そうなんです。「モダン日本」とは別にもう一冊ありましてね。そっちのほうのです。それが責任者というべきか、借金断り係というべきか、変なものにならされちゃって、閉口しました。
円地 だめだわ、そんなの(笑い)。
吉行 最初にぼくが描いていただいたのは「唇と歯」のときでしたかね。田代さんの画風がガラッと変わって、ぼくはこれはおもしろいから早く予約してくれと言って、「週刊読売」に頼んだことありますよ。
田代 そうでしたか。
吉行 ちょうど漫画のようなタッチの、とても新鮮な感じで…。あれは石川達三さんが最初だったですか。
田代 そう。「僕達の失敗」。
吉行 わたしはあのタッチのもので毎日新聞もお願いしましたね、「浅い夢」っていうのも。
吉行 悪人は田代という時代がありましたね。「白い巨塔」のあたりですか。
田代 あの前後ですね。あれは山本嘉次郎さんあたりが言い触らしたのかもしれませんが、「女の岩田に男の田代」というふうなことですね。あのときぼくは石川さんの「傷だらけの山河」を「週刊朝日」に描いていましてね。それに対抗して「サンデー毎日」が山崎豊子さんを立てまして。ですから二十数名の絵描きさんピックアップして、編集長はじめ全部で選んだらしいです。それで向こうとしては、いちばんにあがってくるのが宮本三郎なんですね。当時宮本三郎は芸術院会員を狙っていましたから、もう挿絵描かないんですよ(笑い)。
円地 それじゃ、両方描いたの。
田代 ええ。そのときに悪人画家という名称をつけられた。
田代 ほんとうに悪人を描ける画家というのは、実はいないんだそうです。非常に善人のごとくにみえて内心腹黒いやつ、そういうのを、心理描写を描けるやつがいないというんです。みんな悪人面を描く。そうするとどうしても宮本と田代になるらしいんです。
円地 あの財前五郎は、色悪みたいなものですものね。
吉行 あの絵は今でも目に浮かんで、出てきますよ。
田代 でもやっぱり、男を描く人っていうのは、女を描く人に比べると損ですね。
吉行 どういうところで?
田代 女を描く人のほうが売れますよ。鏑木清方はじめ、伊東深水にしても岩田専太郎にしても売れますけど、男で売れる画家というのはそういないんですよ。
吉行 いや実はね、さっきでてきた「浅い夢」の主人公の女性のイメージと、田代さんの絵がぴったりなんですよ。それでね、ベッドで体をねじって裸でいる姿勢なんかも、もうぼくのイメージとうり二つなのね。田代さんがぼくの頭の中を覗きに来て描いたようで、びっくりした。
円地 女でしょ。
吉行 ええ。体の形、顔から姿勢までそっくり。なんであんな絵が描けたか。
吉行 あれは驚いたな。やっぱり女に関しても隅におけない。
円地 そうねえ。やっぱり男の画家なんてことないわ。女の画家よ。
|