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芥川賞の選評。
「「無明長夜」は実存的作品で、すばらしい断片の集積であり、現実感覚の剥落感が精密周到に組み立てられ、現実に接する皮膚がだんだんゴワゴワと固くなってゆくにつれて、夢と現実が等価のものになる分裂症の病理学的分析もたしかなら、文章もたしかで、詩が横溢している。しかし、できれば、断片の累積で終ってほしかった。・・・小説全体があのテンカンの少女のように、ストンと崖の向う側へ落ちてほしかった。ホフマンスタールの小説を愛する読者は、この種の小説が女性によって書かれたことに愕くにちがいない。異常な才能である。」 吉田知子が三島宛てに手紙を出した?ような記事を週刊誌で読んだ記憶がある。スクラップにもない。 |
吉田知子
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女性作家では最初に愛読しました。今、また読みなおし、大作家ではないかという感じを持つようになりました。
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探してみると、吉田知子に関連したスクラップが見つかった。 まだ「無明長夜」以外に本は見つからない。少しずつ引用してゆこう。 最初は昭和57年の「中部・風土のなかの文学」22回。筆者は清水信。 「吉田知子。昭和9年、浜松市三組町生まれ。・・・父は職業軍人。小学校だけで、名古屋、金沢、三 河、浜松、公主領(満州)、豊原(樺太)と六回変わった。・・・浜松北高から、名古屋私立女子短大経 済科へ進み・・・ラジオ三重に一時勤めたが、その後浜松市誠心高等学校に奉職・・・「人間関係のわず らわしさにいや気がさして」六年足らずで、その職を辞めるに至るのだが、その間吉良任市との結婚があ ったり・・・同人雑誌「ゴム」の創刊は昭和三十八年の夏で、彼女は二十九歳になっていた。・・・「新 潮」に掲載された「無明長夜」で、昭和四十五年に芥川賞を得た。」 写真は「週刊宝石」に載った吉田知子。年代不明。
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見つけました! 低人さん、お待たせしましたが、吉田知子の若い時の小さな写真を発見。 画像にアップします。 間違えていたのです。 「文芸春秋」の芥川賞に掲載の時にも小さな写真は載っていましたが、アップするのは「新潮」の広告欄に載った「無明長夜」の広告の写真です。 無明長夜セット(掲載誌、文春、単行本、文庫本、それに広告の切り抜き)だけ見つかりましたが、他の著書にも写真があったはず。 それはまだ未発見で、残念です。もっといい写真があったのです。 当時は話題にもなり、曽野綾子に匹敵、いや吉田知子が上だ、とか言われたり、三島由紀夫に手紙を 出して、週刊誌に載ったりでした。浜松在住だったから、一度お顔を見たいと思っていたことを白状します。実現しなかったのが残念。吉田知子さん、写真の掲載を許可願います。 では、一先ず第一弾として。 私の好みなので、失望されるかも(笑)。
時代も考慮して下さい。髪型など。昭和45年です。 なお、吉田知子の最近のらしい写真を検索して見つけました。70近いのですが、きれいです。 |
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探してみると、「満州は知らない」が出てきた。 数年前に?古書として買ったようだ。三國一朗宛ての署名入り。 1985年の発行。表題作の他、短編二編。 記憶を巡る話なので面白かった。 吉田知子は浜松生まれ、新京、北満ナラムト等で幼時を過ごす。敗戦時は樺太・豊原に居住、昭和22年に引き揚げる、とある。そういえば、「豊原」という題の短編が「無明長夜」に収録されていた(?)。 初期の何冊かはまだ見つからない。
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最初、「新潮」に載ったのを読んだ。 文芸雑誌で、久しぶりに感銘する作品に出会ったという気がした。 翌年(昭和45年)、芥川賞を受賞。古山高麗雄の「プレオー8の夜明け」と二作受賞だった。 自分がいいと思った作品が賞を受けると、なんとなく気持ちがいいものだ。古山の方が評判がよかったが、三島由紀夫は吉田知子の方を推薦していた記憶がある。 その後、何冊か読んだ。「天地玄黄」その他、かなり実験的作品があり、興味を持った。 そうそう、受賞作発表の「文芸春秋」に載った写真がすごい美人なので気に入ったこともあるかな。小説を書く女性は美人は少ないという偏見があったのかも(セクハラ発言だね)。 そのあと読まなくなったが、地味ながらいい作品を書き続けているようだ。
「お供え」で川端賞を受賞している。 |



