遠い蒼空

末期ガン患者入院記録

昔、書いた小説(など)

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読んでもらう程のものではないです。
「遠い蒼空」という題名です。
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オレはヨウコに恋焦がれていった。しかし、それを言葉にしてヨウコに言うことはできなかった。
もし、言葉にして、ヨウコがどう反応するかと考えると恐かったのである。
ヨウコがオレに好意を持っていることは確かだ。しかし、ヨウコがそれ以上を望んでいるかどうかは分からない。ならば、こういう関係に満足しよう。オレは臆病になっていた。
ヨウコに話しかける時、オレは「杉原さん」と言っていた。ヨウコは、二人だけの時は名前を呼んで、と言い、ヨウコさん、と呼ぶと、呼び捨てでいいのよ、と言う。
「じゃ、オレも洸と呼んで」と言ったが、ヨウコはオレを呼び捨てにはせずヒロシさんと呼ぶ。
オレはこれまで女と付き合ったことがないので、うまく応対することができなかった。

ヨウコとの会話は文学だけではなかった。音楽、絵画、特に映画の話をよくした。
オレが洋画を観るために名画座へ行くと言うと、ヨウコは私も古い名画を観たいわ、と言う。名古屋の街をまだよく知らないヨウコを案内する意味もあって、いっしょに行くことになった。
栄町や今池という繁華街、すぐ近くの桜山などにオレが行く洋画館があった。ロードショーの映画館にはあまり行ったことはない。もちろん経済的理由である。
ヨウコを誘って最初に行ったのは栄町の名画座だった。ヨウコは前に観たことがあると言っていたが、もう一度観たいと言うので「禁じられた遊び」を観にいった。オレも観たことはある。
土曜日の午後だった。けっこう混んでいる。
何とか空いた席を見つけた。映画館の暗闇のなかでオレは隣りに座っているヨウコのことが気になって映画は上の空だった。
映画館を出ると夕方だった。
ヨウコの目が少し腫れているように見えた。ヨウコがハンカチを取りだしたのは知っていた。
ヨウコはオレの視線に気づき、
「泣いちゃった」
と言って微笑んだ。

ヨウコは父親の転勤でこの四月から東京から名古屋へ来たのだという。
受験の日、土手で見かけたのは付き添ってきたヨウコの姉だった。ヨウコの姉は東京で仕事をしていて、名古屋に来たのはヨウコと両親だけという。
ヨウコとは時々、いっしょに帰るようになった。その頃は、二人連れはアベックと言われ、すぐ噂が広まったりする。で、ヨウコの家からかなり離れた場所で別れるようにした。
ヨウコの家は近いので以前から知っていた。父親の会社の宿舎なのだという。
ヨウコは言葉遣いがはっきりしていて、よく笑った。
オレはすっかり好きになってしまった。
ヨウコの顔を見るのが嬉しい。きれいだなぁ、といつも見惚れた。
読む本も趣味が一致して、話ができるのが楽しかった。
同じ本を読んでいたりする。西欧や日本の小説など。
ヨウコはオレが面白かったというと、読んでみるわ、という。
ヨウコと話しながら帰るひとときはオレの最も大切な時間になった。

学内が六十年安保闘争で騒がしくなっていった。あの時代について話すのは気がすすまない。
オレは学生集会には出ず、講義後はもっぱら図書室に通うのが日課だった。ヨウコもそうらしかった。
家が同じ方向だということも分かった。ある時、帰り道にヨウコを見かけたオレは思い切って声をかけた。
「受験の日に会いましたね」
「ええ、そうね」
「きれいな人だと思ったから忘れない」
女は少し微笑み、
「黒岩ヒカルさん、っていうんでしょ」
と訊いた。
「あれ、どうして知ってるの」
ヨウコはまた微笑み、「合格発表の日、あなたを呼んだ人がいたわ」
そういえばそうだった。オレが合格発表の名前を確かめていた時、他学部を受験した友人が遠くからオレを呼んだのだった。それもバカでかい声で「クロイワー!ヒカルー!」と。オレはその日、ヨウコを見かけた記憶はない。
「ヒカルじゃなくて、ヒロシというんだけどね」
「私は杉原陽子というんです」
ヨウコは名告った。
「キミは名古屋の高校じゃないね、制服が違ってた」
ヨウコのことは何度か話すうちに分かった。

大学へ入って、オレは図書室へ出入りするようになった。
教養部の校舎は古い旧制高校のもので、木造の二階建てのあちらこちら傷みがひどく、机も椅子も古びていた。
図書室は暗く、受付を入って、ぎっしりと並んだ本を探すのにも目を凝らさなければ本の背文字が見えにくいほどだった。
小説を何冊か借りて、適当に読み、返しに行き、また借りてくる。そんなことを繰り返していた。
たまに会う女子学生がいた。オレはあまり人をじろじろ見ることはしなかったが、あれは入試の日に見た女じゃないかな、と気づいた。
私服なのでちょっと感じが違って見えた。
地味な色のブラウスに、ふわっとしたスカートをはいている。
ある日、出入口ですれ違って、女が会釈した。オレも狼狽えて会釈を返した。
その女子学生、ヨウコと親しくなったのは図書室通いのお蔭だった。クラスは違っていたのだ。

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