|
処分したと思っていた本が発掘された。 |
深沢七郎
[ リスト | 詳細 ]
これから少しずつ。
|
「正宗(白鳥)先生にはいつも失敗ばかりだ。まずいことばかり云ってしまって失礼なことばかりだ。 だいたい、一番はじめに先生の千束のお宅へ行った時、お庭に池があるとばかり思って行ったのだが、 池などないのである。(変だな?)と思いながらドアの前に立った。お庭は広く、山の中にあるような 高い木があるけど池がないのは意外だった。(この先生と白鳥では、どんな関係があるのだろう?)と 不思議に思った。ボクはバレーの「白鳥の湖」か「瀕死の白鳥」に関係のある人か、白鳥の好きな人だ とばかり思っていたのに。 椅子に腰かけて話をして下さるのを聞いているうちに気がついたのは、銘酒で有名な菊正宗の本家の 跡取り息子にでも生れた人ではないかと思った。そんなふうな、大家の家柄の生れの人だと気がつい た。そう思えば先生の生れた家には白鳥が住んでいるような池があるような気がしてきた。念のため に、 「先生は酒の・・・、菊正宗の・・・?」 と伺うと、 「ボクはそんな家とは何の関係もないよ」 とおっしゃった。今、考えても、まずいことを云っちゃって、と悔んでいる。」 深沢七郎は「片眼」だった。「右眼は全然ダメで左眼しか使っていない」と「自伝ところどころ」に書い ている。片眼だけで、あれだけの観察力というのが凄い。 片眼の大横綱、双葉山を連想する。
|
|
「思い出多き女おッ母さん」より一部引用。
「・・・母は七十二で死んだのだが、晩年は、もと笛吹川の川底だった河原に隠居所を作って住んでいた。私も疎開していた時で、そこに一緒にいた。・・・十月六日に死んだのだが、九月十八日の彼岸の入りの日に、 「わしが変わった姿になっても、泣いたりしてはダメだよ」 と、母自身から云い渡されて、あの時は途方にくれてしまった。 彼岸中に雨が降って、私が蒔いた菜の種が、 「イッパイ、揃って芽が出て来たよ」 と云うと、 「見たいよう」 と云うのである。縁側から私の背におぶさって菜のところまで行ったが、私の背中は火をおぶっているように熱かった。 「おっかさん、苦しくはないけ」 と云って、苦しいのを我慢していると思ったので帰ろうとすると、母は背の方から私の目の前に見せるように手を出して、前へ前へと手を振った。こんな苦しい思いをしても見たいのかと指図されるままに私はもっと前へ前へと進んだ。 こんなことを書くのは、なんだか恥かしいけど、楢山節考で、山へ行ったおりんがものも云わず前へ前へと手を振るところはあの時のおっかさんと同じだ。」 |
|
深沢七郎の「ちょっと一服、冥土の道草」を読んでいたら、自費出版?した「みちのくの人形たち」と 「秘戯」の出版社・夢屋書店の住所が書いてあった。 埼玉県菖蒲町・・・である。振替口座も書いてある。 代金を送ったら届くだろうか(笑)。 三冊目の「おんな曼荼羅」は出版されなかったようだ。
|
|
深沢七郎はかなり読んだ。 好きな作品は「楢山節考」「笛吹川」「流浪の手記」「みちのくの人形たち」など多数。 「楢山節考」を一番何度も読んでいる。レポートの課題にしたことが度々あったからである。 三島由紀夫を戦慄させ、正宗白鳥をして「人生永遠の書」と言わしめた傑作。何度読んでも飽きることが ない。姥捨伝説に基づい書かれているが、姥捨はむしろ現代の大きなテーマでもある。 写真は古書カタログに載っていた表紙カヴァーの装丁原画。高橋忠弥の絵。50万円。
|


