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1988年、福武文庫。日本ペンクラブ編、吉行淳之介選、となっている。
20人の作家の文章に関する文章を集めたもの。谷崎から金井美恵子まで、それぞれに面白いが、一つだけ、島尾敏雄の「削ることが文章をつくる」という題名の文章感の一部分を引用。 「・・・私は文章の仕組みがわからない。原稿紙に向かえば、尋常小学科のころの綴方用紙に向かったときのように、一枚を埋めることにめくるめきさえ感ずる。私の頭のなかはからっぽ。どんなことばも出てきそうにない。それをどうして文章に編みこんで行くことができよう。ただ私の性格に、あきらめの面が強いから、まずあきらめることによってどうにか筆がすべりはじめるのだ。・・・それも、つかえ、つかえ、原稿紙の上に紙やすりの粉がまきちらされでもしているかのように、筆がつかえ、思考はひろがって行かない。性格の別の面の律儀さが、その苦痛の続行をどうにかしとげさせる。で、私はそこに書きちらされたことばの死骸の累々たる惨状のあいだをさまよって、読みかえさねばならぬ。私はどんな知恵を、つかめたろう。つまり削りとることだ。死骸をどんどん片づけること。そうするとそれはいくらか見られるものになってきたと思いこむことができる。これはいい方法をつかんだと思った。で私は、文章は削ることと見つけたり、などと考えたのだった。・・・」 |
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竹宮恵子ではこれを一番読んだ。
コミックス版で読み、愛蔵版でも読んだ。 コミックス版は最終巻しか残っていないが、愛蔵版はまだ過半数が残っていた。 竹宮恵子は、今、大学でマンガの講座を持っている。 |
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カフカ全集は三種類知っている。
私が学生の頃に出たもの、確か全六巻。 80年代に「決定版 カフカ全集」が出ている。全12巻。 そして最近出た「カフカ小説全集」。 最初の全集の「日記」を愛読した。面白い。カフカが風変わりな作家ではなく、至極正統的な作家であることが分かる。 それが今、見つからないので、「決定版全集」から最初だけ引用する。決定版全集は12巻のうち5巻が手紙である。日記は第7巻。 「列車が通りすぎるたびに、見物人たちが立ちすくむ。」 |
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一年前、ブログを読むだけではどうかと思い、自分のブログを作ってみた。ちょうど一年前の今日。 とてもブログとは言えないものを急遽でっち上げた。そんな急造の小屋のようなまま、いつしか今日まで続いた。飽きっぽい私としては異例のことである。 思った以上にみなさんのブログが面白かったというのが第一の理由、そしてこんないい加減な私のブログにコメントを下さる方々がいらっしゃったことも続いた大きな理由だろう。感謝、感謝、である。 何分にも老骨の身であるため、いつ突然消えるか分からないが、これからもどうぞよろしくお願い致します。 一周年記念という程ではないが、以前に書いた小説のほんの一部を晒します。 元々、「遠い蒼空」という題名はその小説の題名であった。みなさんのブログをよむうちに、とても自分の拙い文章をここに書く気はなくなってしまった。未完成でもあるし、発表するようなものでもない。 が、その反古を少し晒してみたくなった。 内容は60年代から80年代に亘る母娘二代とそれにかかわる男の話である。二部に分かれ、一部は若い女性が語り、二部は男の若い頃の手記である。以下の文は一部のなかの若い女性が中年になった男について語る部分の会話部分。前置きが長い割りに少しだけです。 * 「私はこの世界と和解することができないのだよ。それは昔から変わらない。それでも生きているのは、同じように感じて、それを小説などに表現してきた人々の遺した本を読むことで辛うじて自分を支えきたんだ。そこへ逃げ込んだという方がいいかな。退屈だね、こんな話・・・」
「もっとお話して。洸さん、いつも何を思っていらっしゃるのか、私、知りたい」 「私は小さいとき、小学校の五年くらいかな・・・何もまだ世の中のこと分かっていなかったのだけど、何となく、この人生っていうものの醜さや煩わしさが見えてしまったんだ。中学のころになると、この社会の欺瞞も分かった。学校が嫌いだったし、生きることの無意味さにほとほと嫌になっていたよ。 私は努力するのはやめることにした。一生懸命になるのは、美しいものを追い求めるときだけだ」・・・ 「君といっしょにいるときは、そういうことを忘れてて、とても楽しい」 |
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もう詳しい内容は忘れてしまったが、ヘミングウェイの書いた文で印象に残っていたものがある。
パリのカフェだったと思う。 コーヒーを飲んで寛いでいたヘミングウェイは、ふと見ると遠くの席にすばらしい美人が座ったいるのに気づく。ヘミングウェイは暫くの間、その美女を見詰めていた。そして、その見詰めている時間はその美女は自分のものだ、というように感じる。そんな内容だったと思うが、何で読んだかも忘れている。細かいところは曖昧である。以前は好きなエピソードとしてよく憶えていたのだが。 知っている方がいらっしゃるなら教えてほしい。 チェーホフの「美女」という短編もやや似た内容である。 私自身、それに近い感覚を持ったことがある。 地下鉄に乗っていた。出口近くの窓際に一人の若い女性が立っていた。私は少し離れた場所につり革に手をかけて立っていた。横顔が見える。すごい美人というわけではなかったが、その姿が好ましく、目を離せない。一瞬が永遠のように思われる時がある。その時がそうだった。好みの顔つき、姿態だったのだ ろう。時間にして十分くらいか。その女性は先に降りた。それだけのことである。 その後も時々思い出した。 |



