遠い蒼空

末期ガン患者入院記録

小説入門「遠い蒼空」教室

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文学の課題として、小説を読んで感想文をレポートにして提出してもらっていたのですが、昔、ある学生さんが小説の冒頭の一ページくらいをそのまま書き写して提出したことかありました。
読む時間がなくて仕方なくそうしたのでしょう。それが分かる感じでしたが、よく考えてみると、小説を読み、感動のあまり言葉が出ず、やむなく小説を書き写す、ということもあり得るわけです。
それは私が小説を書くために奨めた方法ですから、書き写すことで、生半可な感想を書くよりも深い体験をしたかもしれないのです。
「桜桃」を読んだあと、書き写す、それも太宰の読点の多い文章を自分の読点の打ち方に変えて書き写す、そういうことをすれば文章のかなり面白い訓練になる。
感想文よりその方がいいのかもしれないと思ったりします。

美しい絵を見て呆然と立ちつくす、音楽を聴いて心を揺さぶられる、そういうことはそれ自体で完結した行為ですから、それを言葉にする必要はない。ただその体験を味わうだけで何も言うことはありません。
小説を読み、それに同じような共感なり感動なりをおぼえた時にも、それを無理に言葉に変える必要はない。沈黙のなかにその小説は生きているはずですから。
だから、感想文を書くというのは実はあまり意味のないことなのです。私がこの作品に心を打たれたという事実を文章にしても、何も得るところはないのです。
それなら、感想文を書いてどうするのか、書かなくてもいいではないか、そのとおりであります。
書いて感想を交換することで、その作品をより深く心に刻み込む。そのために再読する一つの機会として他人はどう読んだのかを知ることは意味がないわけではない。だから、どこに一番感動したかを書いて、人に見てもらう、それくらいのものです。書かなくても心のなかで反芻していればいいことなので、無理に感想文を書くことはない。
読み違いと思うこともありますから他人の感想は役に立つくらいです。書くために読むのはあまり意味はありません。

えー、少し細かいことを話します。
小説の文章には描写、説明、独白、会話など、性質の異なるものが入り混じります。
例を挙げてみましょう。
「桜桃」の最初の部分は、「私」の独白です。子供より親が大事と思いたい、以下、独白が暫く続き、ついで家庭環境の説明になります。それから食事時の描写が書かれ、会話に移ります。
このあたりのテンポのよさは小気味よい感じです。
これは全編を通して変わりなく、安定したバランスを持っています。
会話ばかり、説明ばかり、独白ばかりという作品はよく見られますが、そういう実験であるのでなければ止めた方がいいでしょう。
これは「私」を語り手にした場合、特に気をつける必要のあるところです。

えー、物語と小説、これは重なる部分は大きいのですが、やはり別に考えなければなりません。
物語が小説の要素として大きな位置を占めていることは事実です。
しかし、物語は小説以外でも出会うことがあります。
例えば、お話を口承で伝えることは物語の始まりでした。
現在では、映画を観て物語を味わうこともありますし、マンガを読んで物語に引き込まれることもあります。それらが物語ではないとは言えません。
物語は小説だけが特権的に持っているものではないのです。
だから、小説は物語とイコールにならないのです。

一行小説、という型を決めてしまうと、たちまちマンネリになる。
三行でもいい。短い小説という程度に余裕を持って考える必要があります。
型が決まるというのは常にマンネリと紙一重です。型を破る、それが新鮮な印象を与えます。
型を楽しむというのは年をとって、新しいことがもう頭に入らなくなってからでいい。
若いうちは既成のものに挑戦するくらいの気持ちが大切です。
実験的な作品、と意識しては既に型に填まっている。
今まで見たことのないもの、そういう野心もあっていいかと思います。
それが無惨な失敗に終わる、それも経験であると思って下さい。
失敗を恐れてはいけないのです。


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