遠い蒼空

末期ガン患者入院記録

清水氏の手塚論

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読了。
否定的に読んできたが、評価する気持ちが起きてきた、と結ばれる。
宗教も革命も信じない手塚の姿勢に清水氏は同感するところを見いだしたのだと言う。

たかがマンガという最初の言葉、ドストエフスキーはすべての細部を読まなければ分からない、などの清水氏の見解はどこかへ消えてしまったのか。手塚の虚無を見てそれに感銘を受けたのか、矛盾は解決したのか分からない。精密な読みは評価に値する。ドストエフスキー研究者としての清水氏はいなくなってしまった。

240頁まで読んで、だらだらした記述に飽きてきた。
あとの方をパラパラと拾い読みしてみる。
あとがきでは批判的に読んできた手塚版を肯定している。
ドストエフスキー研究者として書いたところでは全面的否定が結論にならなくてはおかしい。矛盾している。
まあ我慢して一通り読んでしまおう。

翻訳を長々と引用したあと、「ここまで長く続けて引用すると、かつてドストエフスキー論を書いていて、批評の究極は《引用》にあるとつくづく感じたことを思い出した。」と書く。分かっているのではないか。それをマンガでもしているわけだが、それが少し間違いなのである。
小説の引用とマンガの引用とは批評にあってはかなり違ってくる。

ドストエフスキーの原作を少しでも省略することに強い反発を記しながら、マンガ化だからと言い訳しつつ分析をする。清水氏の姿勢は不可解である。
ようやく半分まできたが、ドストエフスキーの翻訳、手塚版の分析、不要と思われる部分が多い。
ドストエフスキーの翻訳を読まされるのは何の意味があるのだろう。繰り返すが、翻訳と手塚版のマンガを読んでいる人間以外、この本を読まないことは分かりきっている。引用、分析が必須だと知っていることを示したいのか。
ある疑いが起こってきた。マンガのコマが引用されている。手塚プロの許可のもとにこれは書かれているわけだ。ドストエフスキーは細部の一つでも欠いたら意味がないと言いながら、細部を省略した部分を指摘しつつ分析はする。裏が見えてきた予感がある。

はしがきに書いてあったことを思い出す。
30年くらい前に手塚のマンガ化を読んで、ひどいものだと思った、文学は漫画などよりレベルの高いものだから、批判する必要もない、など、記憶で書いているが、マンガが文学を越えることはあり得ないという前提がある。
大学で手塚版「罪と罰」を扱って書いてみる気になったという。
ドストエフスキーという神様をマンガで誤解されるのが我慢できないように受けとられる。
ドストエフスキーと手塚治虫、そして清水氏の才能が試されることになったわけだ。

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