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今は、そんなことはないと思うが、江戸時代には、芦屋と住吉(今の神戸市東灘区)の住民は、水争いをたびたび起こし、仲が悪かった。その逸話は、言い伝えとともに、地名にまでなっている。 昔むかし、住吉村という豊かな村と、精道村(芦屋)という大して豊かでもない村がありました。 住吉村には住吉川が流れており、その水はいつも豊かに流れていました。まるで、経済力の豊かな住吉村を象徴するように。 一方、精道村を流れる芦屋川は、あまり水量がなく、雨が降らないと枯れてしまうことがよくありました。 あるとき、芦屋川の水が枯れてしまい、困った芦屋の住民は、六甲山を登り、住吉川の上流から「土樋」という水路で、水を芦屋川に引き込みました。 すると、今度は住吉川の水量が減り、不思議に思った住吉の住民が上流に調べに行くと、「土樋」が出来ていて、芦屋川に水を引き込んでいるのが分かりました。怒った住吉の住民は、その「土樋」を割り壊しました。 今度は、芦屋川に水が流れなくなり、「土樋」が住吉の住民によって壊されたことを知った芦屋の住民は大坂町奉行所に訴えました。町奉行所は、住吉の住民に「土樋」を壊した弁償金を支払うように命じ、その弁償金で芦屋の住民にため池を作らせました。 芦屋の山のなかに「土樋割」という地名が残っていますが、その地名の由来こそ、今までのべた話です。 芦屋は、今は金持ちの町のように思われているが、住吉などより貧しい村で、大正時代頃までは海岸沿いでは鰯漁などの零細漁業でどうにか生計を立てていたようだ。芦屋が栄えたのは、阪急や阪神が通り、大阪との交通の便が良くなり、別荘地になってから。特に、大阪あたりの金持ちが京都の芸妓などを身請けし、二号さんとして自分の別荘に住まわせていたそうだ。戦争中には、芦屋の別荘に大阪の金持ちが疎開してきて、そのまま住み着いたようである。今でも、芦屋の金持ちは、六麓荘という山麓の一地区か、風光明媚な芦屋川沿いに集中して住んでおり、街中を流れる宮川沿いなどには誰も住んでいないだろう。あまり言うと、差別になるので、この辺で。 なお、小生、東海地方と関西に長く住んでいたのだが、今は千葉県住まい。市川は芦屋、船橋は西宮に似ているというが、確かに船橋と西宮はどちらも大きな神社があり、駅前がゴミゴミしているところが似ている。しかし、市川には芦屋川も六麓荘もないと思う。
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昔は東灘区の方が芦屋より豊かだったと知りませんでした。その昔は神戸でも水争いがあったのですね。灘の酒のように良い、地下水も湧いていたのでしょうね。西宮や三宮、神戸には本当に神社が多いです。なかなか勉強になりました
2007/11/15(木) 午前 8:49
吉野の宮司さん、コメントありがとうございます。私も西宮神社にはよく行きました。芦屋には山のほうにあります。神戸は生田神社とか湊川神社とかたくさんありますね。
ところで、今の芦屋川は上流には水が流れていますが、下流では伏流水になり、川は一見して枯れた状態のことのほうが多いくらいです。住吉川はいつも水量豊かに流れています。住吉のJRから北側は今でも高級住宅街、阪急御影から岡本あたりも同様です。しかし、この辺の地下水は宮水とは言わないでしょう。本家の宮水は西宮の地下水です。
宮水は「にしむらコーヒー」が宮水コーヒーというのを売り物にしていますが、西宮に専用の井戸をもち、本当の宮水を使っています。
2007/11/15(木) 午前 11:32