ここから本文です
混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

書庫全体表示

私の存在意義とは?




  生物は その子孫を残すことに、
  その一生の精力の大きな部分を使う。

  その体の機能や形態は、
  そのためにできているといってもよい。

  盲導犬は、盲目の人のために生まれてきたわけでもなく、
  金魚は、人の目を楽しませるために生きているわけでもない。


  しかし、では 
  何故、生物は この世に子孫を残そうとするのか?

  ――― こういう問いをもつのは、人間だけ、
  しかも、人間のごく一部だけで、

  多くは、他の生き物と同様に、
  何の疑問もなく、このサガを生きている*
     * これを 流転(るてん)という。


  仏教は、ここに、
  その子孫を残す営みを捨て、

  「出家」という いわば、この 太古以来の生き物のサガを
  真正面から否定するという 剣呑この上ない生き方を勧める。


  生き物の存在意義を、仏教は
  「成仏」という およそ 我々の発想or感覚にはないものに見出した。

  子孫を残すことではなく、
  一切衆生悉皆成仏、或は この世ではなく 彼岸の浄土往生に!
    @ 一切衆生とは、犬も金魚も人間も・・・である。
      つまり、生きとし生けるものすべてである。

  これは、驚くべきこと、
  トンデモナイことである。


                      合掌


  • 顔アイコン

    思想のテロリストですね

    彼らはこの世の栄華を否定し、天国の方が現実より、現実的と考えている。

    みずがめ座

    2016/11/30(水) 午前 4:10

  • 顔アイコン

    「水がめ座」さんへ。こんばんわ。

    思想のテロリスト ――― なるほど・・・、そういうふうに
    言われてもしかたがないですね。
    そのように言うor見えるのは、ただし 世俗的価値観、つまり
    我々の生来の感覚・発想からですね。
    ――― 我々からは そう見えざるを得ない。

    しかし、現実というものを世俗世界のように見なければ、ごく
    自然な見方なのでしょうね。

    テロリストどころか、ごく まっとうな見方で、我々の見方の
    方がテロリストの見方だと・・・。合掌

    [ jyo***** ]

    2016/11/30(水) 午後 5:34

  • 出家という生き方がいつからあったのか、インドでは次世代へと子育てを終われば、つまり、社会的に不要になれば、姨捨の自覚版のように家をでて放浪したのかも。人間は旅に憧れるところが本来あるようですから。出家は現世のことで、今では、沙弥にならなくても現世にありながら心と生き方で出家すると思います。
    現世の欲を捨てて、そうありたいと願います。現代のように高齢まで生きて子孫の世話にならない生き方を探すべく、、草枕で野たれ死に??

    Konnichiha

    2016/12/1(木) 午前 9:31

  • 顔アイコン

    saidakyoko さんへ。こんばんわ。

    旅は、昔は 野垂れ死に覚悟の旅でした。旅には 水盃で出た
    ものでしたね。
    今日では、旅は 完全に管理された旅がほとんどです。たとえ
    途中で病や何かで倒れても、病院や警察が出てきますし、家族
    や友人は 毎日 携帯で安否を確認できます。

    もう 四六時中、他人or社会or国家の手の中から逃れることが
    できません。ひとりの時間というものを奪われている・・・。

    今、ミヒャエル・エンデの「モモ」というのを読んでいますが、
    現代は、いわゆる乞食も、野垂れ死を折り込んだ本来の「出家」
    さえ許してもらえない時代です。
    それで、住宅の中で 孤独死するほかない・・・。合掌

    [ jyo***** ]

    2016/12/1(木) 午後 5:17

  • その本は読んだことがありません。本当に覚悟で、悟って、孤独死するのならば、それも美かもしれませんね。ただ、ゴータマ・ブッダは道元の正法眼蔵の洗浄の巻によれば、とても綺麗好きで?とても細かいところまで、律を定めておられるようですから、後から、臭って汚くなるのは考えものです。梅干しを食べて、ミイラになった羽黒山の僧を思います。木仏を彫って行脚した僧(名前忘れました)は死期を悟って穴を掘ってその中へ入って成仏されました。自分はどんな風に?? 管理されないで死にたいものですね。

    Konnichiha

    2016/12/1(木) 午後 6:46

  • 顔アイコン

    saidakyoko さんへ。

    そうですね。仏さまの前に、汚れた身でいてはなりませんね。
    「清浄」ということを仏教は、たいへん尊びますからね。
    有垢・有漏に対して無垢・無漏とも言いますからね。

    ただ、この場合 垢とか漏というのは 煩悩の事ですから、煩悩
    の汚れを離れることの象徴として、清潔な身、清潔な衣を尊ぶ
    のでしょうね。

    人間の死体は 家の中にずっと置いておけない代物です。忽ち
    腐敗して 臭いもすごいものとなります。どんなに愛する人
    であっても家から出してしまいます。昔は 暗い土の穴に
    埋めましたし、今日では油をかけて火で焼いてしまう・・・。

    数日前には一緒に笑顔で話した人も、家から外に出して・・・。
    ――― ここには、じつに もの凄いギャップがありますね。
    生と死のギャップです。合掌

    [ jyo***** ]

    2016/12/1(木) 午後 8:16

  • 顔アイコン

    といふことは、元来、煩悩の事ではなく、それら、そのもののことだけをいっていた可能性もなきにしも、ですね。大体、仏さまって何でせふ?

    [ びん ]

    2016/12/20(火) 午前 1:50

  • 顔アイコン

    「びん」さんへ。こんばんわ。
    「誰彼便」さんでしょうか?

    仏さまというのは、我々の五感や知力で認識できないものですね。
    いわゆる、我々人間の領域の外にあるものでしょう。

    例えば、我々は すべてが自己中心ですが、その自己中心の
    世界の外は、自己中心ではない世界です。それが仏の世界ですね。
    つまり、我々は 他を己のために犠牲にすることで はじめて
    存在できますが、仏さまは 他を利するところに はじめて仏
    足りうる・・・。

    我々は寿命があり、生まれてきて いずれ死んでしまいますが、
    そういう生死のない世界が 仏の世界です。

    我々は 愚かで悪いことばかりしますが、仏は 智慧があり
    清浄真実の働きをします。

    などなど。 合掌

    [ jyo***** ]

    2016/12/20(火) 午後 4:50

  • 顔アイコン

    誰彼さんでした。仏さまといふ御教示ありがとうございます。
    と、いぅことは、我々の六感や七感、あるいは、人によっては、八感、さらには、超絶の九感、超人の域にあるものなのですね。
    私、個人の語彙、、、私の方言では、自己に対しての自我というものを念頭します。
    ですから、我々は、すべて自己中心であると同時に自我中心でもある。この2つで精一杯なのです。
    で、その外に仏の世界があるのですね。
    で、我々の存在知識の外に、ほとけである智慧ないし叡智があると、
    さふおっしゃるのですね

    [ びん ]

    2016/12/21(水) 午前 0:07

  • 顔アイコン

    「びん」さんへ。お早うございます。

    ふつう言う「自我」は 自己中心ですね。これは いつも 自分を
    悪者にしないで、事の責任を他に転嫁するサガをもっていて、
    いわゆる自己正当化ばかりする・・・。また、ナルチスト ですね。
    善人・賢者でなくては気が済まない・・・、これが、人間という
    ものでしょうね。

    仏さまは、こういう人間の感覚では たとえ第6感であろうと
    何だろうと認識不可能です。我々の方から仏に近づくことは
    できません。いかにしても我々の手の届かないところにある・・・。

    仏の智慧に 私が照らされることによって、仏さまを知ること
    ができるだけです。仏の智慧は 具体的には 教え(教法)ですね。
    教えを聞くことによって、私がいかなるものかを知るところに
    仏ましますのです。合掌

    [ jyo***** ]

    2016/12/21(水) 午前 9:15

  • 顔アイコン

    なるほと、超越指向には、ほとけはない。むしろ没落指向に、ほとけがあるかもしれない。
    さふ仰せなんですね、

    ほとけの語源説にほどけ、解(ほど)け、がありますが、解脱(げだつ)もほとけのあらはれなのでせふか?

    また、佛、といぅ漢字のつくりは、時間集合と空間集合を二本のくしで貫く象形、つまり、串 + 串、になっています。

    [ びん ]

    2016/12/21(水) 午前 10:32

  • 顔アイコン

    「びん」さんへ。
    仏や仏の世界(涅槃・浄土)は 色んな経典に描かれています。
    そして、これを観想せよという教えもあります。

    仏および浄土は、我々の現実とは 余りにかけ離れています。
    仏の浄土は、これを観想して現実離れするのとは逆に、かえって
    わが現実を照らしだす、つまり 自分の現実に還る働きをする
    んですね。
    私のお粗末な現実を照らし出し、照らし破る・・・。そこに
    日頃 これに縛られて自由を奪われている現実から離れることが
    できる・・・。これが解脱ですね。

    佛は、サンスクリット の「ブッダ」の音を漢字で表わしたものですね。
    合掌

    [ jyo***** ]

    2016/12/21(水) 午後 7:41

  • 顔アイコン

    といふことは、在世、現在にありながらにして、現世、現代を離脱する境涯を自らのうちに保つことができる。
    そぅ仰るのですね、
    でも、小生、親鸞じゃないけど、涅槃や浄土に魅力を感じないし、解脱するのは怖いから嫌(いや)なのです。

    [ ぶん ]

    2016/12/22(木) 午前 0:38

  • 顔アイコン

    「びん」さんへ。お早うございます。

    「解脱」というのは、宗派によって ニュアンスが幾分違って
    いますが、一応 この世の業苦からの解脱でしょうね。
    それが、この世に生きているうちでないと意味がない・・・。

    涅槃や浄土は 我々のふつうの感覚では 無味乾燥で魅力のない
    ものでしょうね。現世の甘い蜜を捨てたくないのが我々なので、
    これを捨てた世界というのは、仰るように 嫌だし、恐ろしい
    ところだと思うのですね。

    我々の問題は、何ゆえに 浄土を嫌だと思い、恐ろしいと思うか?
    ということだろうと思います。合掌

    [ jyo***** ]

    2016/12/22(木) 午前 8:59

  • 顔アイコン

    ぶんではなく、して、びん、でした。合掌

    [ びん ]

    2016/12/22(木) 午前 10:47

jyo*****
jyo*****
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

最新のコメント最新のコメント

すべて表示

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事