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混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

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理想国家とは



 仏は、衆生の悪を罰する存在ではなく、
 ただ これを慈悲する存在である。

 この世で理想を実現すべきならば、
 悪は、これを探し出し 摘出して 排除されねばならない。

 しかし、

 仏法の考え方は 自業自得で、悪因悪果である。
 悪を為せば、それは必然的に悪果を招来させる。

 したがって、
 人間我々が悪を見出して それを除くことは徒労となる。

 正しく悪を悪と見、善を善と見るものは、
 仏のほかにはない。

 正しく悪を悪と見るゆえに、
 仏は これを慈悲することができるのである。


 この世は 生死煩悩海であり、それ以上でも以下でもない。
 どこまでいっても 生死の苦海であり、

 ここに 理想を形として実現するということは、
 はじめから考えられないことである。

 つまり、“正義は この世に実現できない”ということが、
 仏教徒の認識なのだ。


 いかに国家の中枢が腐っていても 何も驚くようなことではなく、
 彼らのために災厄を蒙ろうとも 何も不条理ではない。
 ありうべきことが 実現したにすぎないのだ。

 彼らに正義を要求したり、
 彼らの悪に報いを求めようとすること自体が、
 むしろ この世の道理に逆らったことであろう。

 この世の悪は、
 ただ仏のみ 正しく悪となし、
 正しく これに対処したまうからである。

 この世の悪は、
 人間我々が これを 正しく見出して、
 これを除き、或は罰することができるものではないのだ。

 私は、我々人間は、
 この世に正義or善を実現させることができない。
 転悪成善は、仏のお仕事なのだ。
           @ 転悪成善(てんまくじょうぜん)


 安楽国、いわゆる理想国家は、
 人間我々が 努力して造るものではない。

 これは、すでに 衆生我々のために 造られたものであり、
 常に 存在しているものである。

 これが、「観無量寿経」欣浄縁において、
 韋提希夫人と仏の問答の前提になっていることである。
            @ 仏説観無量寿経 欣浄縁

 つまり、仏教徒における理想国家は、
 近代国民国家とは まったく違っており、
 
 我々が 悪を排して それを造るものではなく、
 自らの罪を滅して そこに生まれるものなのだ。

jyo*****
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