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混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

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必ず大般涅槃をさとる


  和朝 愚禿釈の親鸞が「正信偈」の文
  ・・・
 「本願名号正定ほんがんみょうごうしょうじょうごう)」というは
  選択せんじゃく本願の行(ぎょう)というなり。
 「至心信楽願為因ししんしんぎょうがん いいん)」というは
  弥陀如来回向の真実信心なり。
  この信心を阿耨菩提あのくぼだいの因とすべしとなり。
 「成等覚証大涅槃じょうとうがく しょうだいねはん)」というは
  成等覚というは、正定聚しょうじょうじゅの位なり。この位を
   龍樹菩薩は 「即時入必定(そくじにゅうひつじょう)」とのたまえり。
   曇鸞和尚は 「入正定聚之数」とおしえたまえり。・・・
  証大涅槃というは、「必至滅度の願成就」の故に 必ず大般涅槃
   (だいはつねはんをさとると知るべし。

                  ――― 尊号真像銘文
         


「必ず大般涅槃をさとると知るべし」と。
真実信心の人は、成等覚ie. 正定聚(=不退転)の数に入るゆえに。

逆に言えば、信心を獲ないかぎり、
菩提に至る(仏に成る)ことができないのだ。

つまり、
膨大な数の、ほとんどすべての者は、賢も愚も 男も女も、

死して なお迷いの世界に流転していることになる。
あるいは、迷妄の中に消滅していくのだ。


我々は、この世に生まれてきたこと自体、罪業の果報なのである。
ここに、何か意味ある事を成就するという考えは 倒錯なのだ。

ここで 何を為そうとも、それは みな 迷いの所作である。

  仲間からは いかに讃えられても、それは 丁度、
  オリンピックの100Mで記録を更新するようなもので、

  仲間内だけのマスターベーションに過ぎなかろう。
  彼or彼女は チーターの速さに及ぶべくもないのだ。


これが、釈尊が菩提樹下で見た 世間のすがたであったろう。


では、釈迦は なぜ、この世に出られたのか?
 
 釈迦如来 世に興出したまうゆえんは、
 群生を拯(すく)い恵むに 真実の利をもってせんと欲してなり
    ――― 如来所以興出於世 欲拯群生恵以真実之利 (大無量寿経) 

真実の利(益)とは、弥陀の本願海である。
つまり、「五濁悪時 群生海」たる我々は

如来 如実の言を信ずることが、
ただ一つ 意味あることだったのである。

私に いかになくてはならない大事な事と思われても、
それらは みな、迷妄の所作、地獄業なのだ。

                      合掌






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