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目連救母の精神史
中国文明における母殺しの彼岸 川田耕 一 はじめに 〈目連救母〉は、中国文明における、「母」なるものをめぐる、闇のなかに
沈む精神史を浮かび上がらせるものである。
目連という名の仏陀の高弟が亡母を地獄から救済するという 西晋(265〜316) にまで遡ることのできる古い起源をもつこの物語は、東アジアで広く行われ
てきたいわゆる「お盆」(盂蘭盆会)の由縁となった説話である。
近世以降(=宋代以降)になると この説話は演劇としても発展し 全国各地で
上演されるようになり、上は 清代の宮廷演劇の代表作になるほどの大演劇
になり、下は 南方の中国を中心に農村部で広く演じられるなど、中国文明
を代表する演劇にまで成長する。
しかしながら、〈目連救母〉は 通常の演劇とは 大きく異なる特殊な演劇
である。それは、この演劇が 多くの地域で 夜間にのみ演じられたことに
よく現れている。
例えば、安徽の蕪湖一帯では 冬期に 一夜あるいは三夜か七夜かけて上演されまた紹興では 三夜かけて上演され「夜の目連夜の鬼」ということわざもある
という。
この「夜の演劇」は、表面的には、あらゆる犠牲を惜しまずに 母を救おう とする健気で偉大な親孝行の物語のようであって、その内実を分析すると
見えてくるのは、血なまぐさい死に方をして幽鬼となった者への恐れであり
あるいは、亡母が地獄で責め苛まれる様を楽しもうとするほどに残忍な、母親
への秘められた ルサンチマン などといった、いわば「闇」の精神なのである。
本稿は、他の文化・文明圏以上に早くから 国家化・集権化され高度に
文明化されていったはずの近世の中国社会の裏で、どのように 人々の闇の
精神史が展開していったのかを示すべく、およそ千七百年にわたって様々に
変奏されてきた、この〈目連救母〉の歴史的発展を跡づけながら、その内実
において表現されているもの、とりわけ 人々の母なるものに対する深く暗い
アンビヴァレンツとそれを乗り越えていく過程を分析的に明らかにしようと
するものである。
二 〈目連救母〉の起源
今日記録に残っている最初の〈目連救母〉の物語は、西晋時代のものと
される『仏説盂蘭盆経』という、全文八百字余りのごく短いものである。
よく知られたものだが、その前半の概略を示す。
ある時、仏陀は舎衛国の祇樹給孤独園におられた。大目乾連は六つの道 に通じたので、父母を済度して 乳哺の恩に報いたいと思った。そこで、
道眼をもって見たところ、亡き母が飢鬼の世界に堕ちて、飲むことも
食べることもできずに骨と皮だけになっているのが見えた。目連は
悲しんで、鉢に飯を盛って母のもとへ行った。しかし、母がそれを口に
しようとした途端に、飯は燃えて炭となって食べられなかった。
目連は泣き叫んで、仏陀に助けを求めたところ、仏陀は仰られた。
「 おまえの母は罪が深く、おまえ一人がどんなに孝順であっても、天地
の神や邪魔外道であっても、どうすることもできない。十方の僧たちの
偉大な力を借りれば解脱することができる。七月十五日の、十方の衆僧の
自恣(夏の修行)が終わる日の相互批判の行事の日に、七世の父母と現在
の父母のために、百味の食事と五種の果実とを盆中に入れ、香油・蠟燭・
敷物・臥具などこの世で最上のものをそろえて盆の中に入れて、十方の
大徳の衆僧を供養せよ。そうすれば、現在の父母から七世の父母、そして
六種の親族までも三途の苦から脱出し、無量の快楽を得るであろう。」
仏陀は「 さっそく十方の衆僧に、施主の家の七代の父母のために祈願
し、食を受けなさい 」と命じた。
目連も集まった菩薩たちも大いに喜び、目連の母は一劫も続くはず
だった餓鬼の苦しみから逃れることができた。
これは「原・目連説話」というべき記述で、誰であっても 七世の父母を 救うために自恣の日に衆僧に施しをするべきことを仏陀が説いた後半の部分
も含めて考えれば、この『仏説盂蘭盆経』とは、親孝行の話であるという
よりは、むしろ、僧侶に布施をすることを勧めながら 盂蘭盆会の由縁を説く
ことに重点があることがわかる。
実際、隋唐代には この説話と結びつきながら 盂蘭盆会が、皇帝を施主と
するものをはじめ、盛んに行われたそうだ。
偽経もふくめて インド・中国の仏典は 想像力豊かな物語の世界的な宝庫
であるが、後世にいたるまで語り継がれ発展した物語はごくわずかである。
その中にあって、この「原・目連説話」は その後 流行したようで、敦煌石窟
で発見された文書には、いわゆる「変文」(仏教伝道のために絵を示しながら唱った
ものの台本で、この唱導芸能は 唐代中期から盛行)をはじめ 講経文・縁起など様々な
形態の、説話としては 最多の十六点もの目連説話が確認されており、数ある
物語のなかでも、目連の物語が かなり広く行われていたことを伺わせる。
その一つである『大目乾連冥間救母変文』は「変文文学の白眉」とされ、
その後の〈目連救母〉の最も有力な原型となったようである。ここでは
その梗概を紹介しよう。
そもそも 七月十五日は、衆僧の自恣の日で、盂蘭百味(盂蘭盆で備える 食べ物)を三尊にお供えすれば、倒懸(地獄で逆さ吊りにされること)の
苦しみが救われる。
仏陀が世におられた時、弟子の目連と申すもの、出家前の俗世では 羅卜 と名乗っていた。ある時、商用で遠方まで旅に出ることになって、羅卜は
財産を母に預けて、仏法僧はもとより 乞食にも施しをしてほしい と母親
に言い残して出立した。ところが、母親は慳貪の心を起こし、財産を隠匿
してしまった。
羅卜が帰ってくると、母は「 お前の望み通り斎を設けて善業を積み
ましたよ 」と言って聖人を欺いたため、命が果てて 阿鼻地獄に落とされ
て苦しみを受けることになった。
羅卜は 三年の喪に服した後、仏陀を頼って出家し、阿羅漢となり、目連 と名づけられた。そこで、神通第一の天眼をもって 天宮に父母を訪ねた。
在世の時に 十善五戒を修めた父は すぐに見つかったので、母の行方を問う
と、「 生前の罪が多かったので、地獄に堕ちてしまった。閻浮提の冥土
魔獄を尋ねるとよい 」と父は応えた。
そこで、目連は 冥府へ向い地獄を巡ることになった。目連は、閻魔大王 に会い、地蔵菩薩に母の行方を問い、奈河のほとりで死者たちに母の行方
を問うが、わからない。 五道将軍に問うと、母青提夫人は 阿鼻地獄に
連れていかれたという。そこで、目連は、刀山剣樹地獄から銅柱鉄床地獄
をへて、夜叉王のもとにまでいくが、それでも母はみつからず、目連は
世尊のもとに帰って、母が阿鼻地獄で苦しんでいるらしいことを訴える
と、世尊は錫杖を授けてくれた。
目連はその威力をもって阿鼻地獄の鉄城に到着した。第一の隔から 尋ねて、ようやく第七の隔で、母を見つける。母は、千年の罪により、
口より千回も舌を抜かれ 胸は百回割られ、骨も筋も断たれ、千度も死ん
では蘇らされ、七つの穴から血の汗を流し、口からは猛火をはいて、骨
と皮だけになっていた。
目連は母に代わって苦しみを受けることを申し出るが、獄主が許さない ので、目連は再び世尊に助けを求める。世尊が自ら地獄に入ると地獄は
崩壊して罪人はみな昇天するが、目連の母だけは罪が重いために、餓鬼道
に留め置かれる。目連が飯の鉢を与えると、母は横取りをされてはならぬ
と、左手で鉢を塞ぎ、右手でつかみ喰おうとする。すると飯は口に入らぬ
さきに猛火となって燃えてしまう。
悲嘆にくれた目連が 再び世尊に訴えたところ、世尊は「 七月十五日に
盂蘭盆を盛大に営めば、飯を食べられるであろう 」と言った。
そこで、目連は 王舎城のほとりで盛大に盂蘭盆を営んだ。すると、母は
飯を食べられるようになり、転生して 王舎城の黒犬になり、便所で人の
不浄を食べていた。目連が仏塔のまえで、七夜大乗経典を読み懺悔念戒
をしたところ、母は女人の姿を取り戻し、天女たちに導かれて、忉利天に
迎えられ、安楽を享受することになった。
三〈目連救母〉の深層へ
(1)目連の道徳性
〈目連救母〉は、このように、死んで地獄に堕とされた母親を懸命に 救おうとする息子の話であり、一般の人は これを息子の母への偉大な孝行
の話とみなして少しも疑ってこなかったようだし、研究者も「目連戯」
には 済度・鎮魂(とくに女性と非業の死をとげた人の鎮魂)の意義があるなどと
してきたが、これも要するに 母親の救済という主人公目連の親孝行な意図
の延長線上での解釈である。
確かに、目連の行為は 終始一貫して道徳的で、その傾向は 近世以降 いっそう強まりゆるぐことがない。〈目連救母〉は 近世以降には、寺院
における講唱といった仏教的な場面を離れて、『東京夢華録』にある
通り、盛り場でも演じられるような一般民衆向けの芸能としていっそう
よく知られた物語になっていく。
吉川良和が「 中国の目連物は、変文の世界が持っていた目連の超人性が、
宋代ぐらいから変質し、わが国の孝行息子形と類を同じくする 」と言う
ように、この近世の目連は、父の遺志を忠実に守って善行を積み、また
母を懸命に救おうとするのであるから、家父長制的なイデオロギーに
より忠実に沿う道徳的な人間になっている。
一般的に言って、社会が集権化の力学のなかで文明化していくと、人々
の「超自我性」が高まる、つまり両親の教えや社会からの要請に忠実に
応えようとする強迫が高まる傾向がみられる。
中国にあっても いわゆる「近世」、すなわち宋代になると、貴族の没落等
を背景として、皇帝を頂点とした著しく中央集権的な国家が形成され、
そのなかで、一元的な認識と強い規範的体系をそなえた、いわゆる宋学が
形成された。
より民衆的な心性を表しているであろう、当時の代表的な芸能である雑劇
や説話の類をみても、元雑劇の代表的悲劇である『竇娥怨』(無実の罪で処刑
された女が幽鬼となって復讐を遂げる話)や「包公説話」(清官の包公が 不当に陥れら
れた庶民を救い悪人を罰する話)などに典型的に現れているように、主人公たち
は以前の時代の物語に比べて、より健気で曲ったことをしない、道徳的で
超自我的な人間として描かれるようになっている。
かつて、マックス・ウェーバは、中国文明の本質を捉えようとして、
「 徳が絶対に全能なのだという教義 」の重要性を指摘したが、これらの
物語が示しているのは、まさに「徳」が すべてを解決するという願望で
ある。〈目連救母〉における目連という主人公も、宋代以降には、より
いっそう「徳」に満ちた超自我の強い性格として造形されるようになった
のである。
(2)地獄巡りの心理学
しかしながら この話を多少なりとも分析してみるならば、〈目連救母〉 の核心部分は、主人公目連が 一貫してゆるぎなく超自我的であるにも
関わらず、「孝行」や「済度」「鎮魂」ではとうてい説明できず、むしろ
そうした社会規範からは 大きく逸脱するものであることがわかる。
すなわち〈目連救母〉は どの ヴァージョン においても母親が地獄で様々な
責苦に苛まれるシーンが 明らかに物語のクライマックスになっており、
その描写の内容と執拗さをみるならば、それがサディステッィクで性愛的
ですらある嗜好によるものであることは 容易に感じとれる。
つまり、一見したところの道徳的な振舞いの裏側には、それと相反する
ような情動が蠢いていることが読みとれるのである。
この、いわゆる「地獄巡り」のモチーフは、〈目連救母〉の最初から
中心的であったわけではない。『仏説盂蘭盆経』においては、話の中心
にあるのは、目連の懇願に応えて母を救ってやる仏陀の偉大な慈悲で
あり、また盂蘭盆会の縁起を説く部分であって、母が地獄で苦しむ様子は、
痩せ衰えた母が飯を食べようとした途端に燃えて炭となったという例の
モチーフぐらいで、他には描写されていない。
ところが、先にみたように、唐代の変文では すでに「地獄巡り」は長く
なって、そこで母が苦しむ様子も執拗になっている。
例えば、『大目乾連冥間救母変文』の次のような箇所である。
(続)
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