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人は、その者が そこにいるだけで、
周りの人に 大きな影響を与え、
その行動などを束縛してしまう。
そして、多くの場合 善い影響ではなく、悪い影響を与える。
つまり、人は 周りの人に対して、
よき師・よき友ではなく、悪友・悪知識となっているのである。
善導大師は その『二河白道』の比喩の中で、
この事態を 群賊悪獣の詐親・欲殺と言った。
また、これを 自障障他or自害害彼ともいう。
もし この者を 他人のこととすれば、
私は その被害者であり、
当然のことながら、この者に 激しい怒りが込み上げてくる。
しかし、仏法は、
この者を 他人ではなく、
私自身として見るべきことを教える。
つまり、私は ここにいるだけで、
周りの人々に害を与え、
その自由を束縛しているのである。
人は みな、己の播いた種は、
自ら刈り取らなくてはならない。
しかるに、
多くは 播きっ放しで、その後始末をしようとせず、
”親だから”とか、”子供だから”とか、
”金持ちだから”とか、”貧しいから”とか、
”人権があるから”だとか、何だかんだと、
さまざまに 自己を正当化して、
その果を 自分で刈り取らず、
他に刈り取らせようとする。
再往するに、
人はみな、自ら播いた種を 自ら刈り取るだけの力、
つまり 責任能力が 決定的に欠落している。
それゆえ、私を 「人間」と言い、
仏教では、「諸有衆生」あるいは「凡夫」と言う。
私は すべてのことに、
思いっ放し、言いっ放し、やりっ放しなのである。
合掌
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2016年12月04日
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