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末法万年後 余行悉滅 特留念仏 之文
無量寿経下巻云
「当来之世経道滅尽 我以慈悲哀愍 特留此経 止住百歳
其有衆生 値斯経者 随意所願 皆可得度」
――― 法然「選択本願念仏集」
末法万年の後 余行悉く滅して 特に念仏を留めるの文
無量寿経の下巻に云(いわ)く
「当来の世に経道滅尽せん。我 慈悲をもって哀愍し、
特に この経を留めて止住すること百歳せん。
それ、衆生ありて、この経に値(あ)う者は、意の
願うところに随いて、皆 得度すべし。」
人は 自分が他を侮辱していることに気付かない。
いくら抗議されても、
これがわからないのが我々である。
この事態を、「愚悪の凡夫」という。
自分の言動に、我々は
自ら責任を負うことができないのである。
こうした者たちが寄り集まって、
家族を作り、社会を作り、
そして 国家を作っている。
「経道滅尽」とは、
いわゆる 慈悲喜捨ができないことである。
@ 慈悲喜捨: 四無量心観 - 法楽寺
我々は、誰も 慈・悲・喜・捨ができない。
これは、末法万年の後に至る前に
すでに今日、我々の家族や社会や国家が
「経道滅尽」の共同体であることを示している。
もう、慈悲喜捨の成就することを、
この世の誰の上にも断念する。
そして、経道滅尽の世に生きていることを自覚する。
恐るべきことである。
お粗末な救われようのない者どおし、
寄り集まって生きていくしかないのが、
この世に生まれた我々である。
一方で、私の意思とは まったく関わりなく、
阿弥陀如来 念仏往生の本願が建てられていたのだ。
これは、我々の誰も 思い及ばないことであった!
合掌
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2016年12月19日
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