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混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

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依存と自立



 人は 互に依存しあう関係であってはならない。
 依存は、自分の全体重を 相手にのしかけるものだ。
 全体重とは、己の運命のことである。

 わが身が負うべき責任を
 己一身に荷うことをせず、これを 他に負わせる。
 いわゆる責任転嫁である。

 つまり、自分の尻を 自分で拭かず、
 他人に拭かせるのである。
 これが 依存というものである。


 この依存関係を、
 世間では うるわしい言葉で、
 「助け合い or ギブ&テイク」「共存」とも言っている。

 或は、これを、「親子の間柄」「夫婦愛」とか、
 「支配・被支配の関係」「中央集権 or 行政依存」とも言う。
 また、「分業」とか、「法則」「信仰」とかと・・・。




    爾時 阿難、即従座起 前白仏言
    世尊 当何名此経 此法之要 当云何受持
    仏告阿難 此経名観極楽国土無量寿仏観世音菩薩大勢氏菩薩
    亦名浄除業障生諸仏前
                    ―――― 「観無量寿経」
   その時 阿難、即ち 座より起(た)ち、前(すす)んで、
   仏に白(もう)して言(もう)さく、
   世尊、まさに 何(いか)んが この経を名づくべき。
   この法の要、まさに いかんが受持すべき。
   仏、阿難に告げたまわく、
   この経をば「観 極楽国土 無量寿仏 観世音菩薩 大勢氏菩薩」と名づけ、
   また「浄除業障 生諸仏前」と名づく。
 
       @ 「観無量寿経」(略して「観経」という)では、
         この業障は「無量億劫生死の罪」のことである。
 
                        劫 - Wikipedia


 他者の罪悪は、私の罪悪ではない。
 私の罪悪は、他者の罪悪ではない。

 私の罪悪は、私が除かなくては、誰も除いてくれない。
 誰も、これを除くのに、手を入れて助けてくれる者はいない。

 つまり、人間我々は、
 自らの罪悪を自ら除くことが 人生の課題なのである。

 自らの罪悪を除くことで、
 私は はじめて自立でき、独立者となれる。


 罪というのは、

 私が その場において そうせざるを得ずして為した悪業であり、
 悪を為そうと思わず、それを悪と知らずに為した悪業でもある。

 それをそれと指摘されて、
 自らを偽らねば、反論できないものが罪である。

 

 観経は、「除罪」の経典である。
 つまり、私の人生の課題を俎上に載せている経典なのであった。


                      合掌




 

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