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目連救母の精神史
中国文明における母殺しの彼岸 四 社会的・文明史的背景
我々は かくして、〈目連救母〉という親孝行の鏡とされてきた物語の 中に、最愛の人を探し求める愛の情動とともに 母への強烈なサディスティック
かつ性愛的な衝動を見いだしたことになる。
しかし、そもそも なぜ母親への衝動は かくも激しいものとして表現 されるのだろうか。表向きの健気な孝行と 葬儀の際に母親が虐げられる
演劇をわざわざ観るほどに深く蟠った情動との落差さは、一体 何に由来
するのだろうか。
〈目連救母〉において表現されている 母への サディスティック かつ性愛的な
情動の意味を、より広い社会的・文明史的な文脈で再考してみよう。
一般的にいって、諸共同体が自立的に散在する中世的状況が集権的
国家へと再編されていく近世的状況のもとでは、人々の精神にあっても
超自我的な機能が強化される傾向が強く、家族の力関係も家長を頂点
とするコード化されたものとなり、この状況の中で 父母への情動が抑圧
され ルサンチマン化されやすくなることが知られている。
父母への抑圧された情動である エディプス・コンプレックス や 阿闍世コンプレックス といったものも、こうした集権化され抑圧が深まっていく社会・家族
状況においてより頻繁かつ深く発生するもの と考えることができる。
※ エディプスコンプレックス:母親を手に入れようと思い、また
父親に対して強い対抗心を抱くという、幼児期においておこる
現実の状況に対するアンビバレントな心理の抑圧のこと。
中国にあっては、こうした集権化・国家化はいわゆる中世(魏晋南北朝期 から唐代中期)とよばれる時期の前後に比較的ゆっくりと進行し、宋代
以降の近世社会の展開の中で皇帝権力を頂点とする集権化・国家化が
本格的に進んだと思われる。
先に述べたように、〈目連救母〉の目連における超自我の強さとは、
この集権化し国家化した社会の力の内面化の帰結とみなせる。そして、
それゆえに、国家的なもの あるいは父権的なものに対するルサンチマンが
熟成されていくのであって、こうしたルサンチマンは、例えば、先にも
ふれたように 元雑劇の諸作品や観音の由来を説いた著名な妙善説話
(道心の強い娘が身を犠牲にして酷薄な父を救済し観音となる話)のような、
この時代を代表する物語群にも表れていると思われる。
と同時に、ウェーバーが『儒教と道教』でいうように 近世中国に
あっては、皇帝を頂点とする国家的な権力 (彼の言葉では家産官僚制) が
卓越するとともに、宗族・家族(氏族共同体)にも並外れた自立性が
あった。この両者の力関係を一つの背景として、想像的な願望の世界
である物語空間にあっては、とくに明代にいたいると ルサンチマン 化された
はずの情動が しばしばあからさまに表現され、四大文学や四大民間伝承
といわれる物語のいずれもが 国家的秩序や父権的な家族的・性的な秩序
への挑戦をテーマにしている。
『水滸伝』や『三国志』の豪傑たちや『西遊記』の孫悟空らは、国家
的秩序を乱すならず者たちであり、『金瓶梅』や『紅楼夢』は家族的・
性的規範を徹底的に逸脱していくし、「四大民間伝承」のいずれもが
性的に結びついた男女が 父権的なものに抗う姿を描く。
民間伝承の中には『十人兄弟』や『百鳥衣』のごとく、皇帝を弑逆して
しまうものすらあって、それなりに広がりをもって語り継がれていく。
そうした中にあっても、母親的なものへの反抗はなお、おそらく最も 表現しがたいのだと思われる。一般的に言って、子供にとって母との
関係は、自らの生の根源をなすものであり、母への反抗や攻撃性には
自己否定的な破壊性があって、極めて自覚し難く表現が難しい。
しかも、中国の父系的・父権的な家族システムの内実を仔細にみる
ならば、実は 母と息子との関係性が特異に強いことがわかる。
外部から嫁した女は、宗族・家族の中で周縁的で低い地位しか持たない
が、息子を生むことで(とくに息子を鍛え上げ立派な成人に育て一族の家長
とすることによって)、家長の母として、宗族・家族の中で中心的な地位
を占める可能性をもつ。家長といえども、その母に逆らうことは原則
として許されないのである。
とくに寡婦となった場合、その権力は より強いものになりえる。この
ことは、長い中国の歴史の中で女帝は 一人しか誕生しなかったにも
かかわらず、皇帝の母として絶大な権力を握った女性が、西太后を
はじめ、数多くいたことからも傍証されるだろう。
〈目連救母〉においても、父が死んで息子が新たな家長になったとき
にこそ、寡婦となった母は 傍若無人に振る舞うことになる。
だからこそ、他の民族以上に 中国(漢民族)にあっては、母は息子を溺愛
するだけではなく、むしろ息子に期待し息子を鍛え、しかるべき家長
にしようとするのだ。
それゆえ、母・息子関係を秘かな基盤とする宗族システムが強固な社会 にあって、皇帝殺しにまでいたる反国家的な物語が生み出されたことは
さして意外とはいえない。むしろ、情緒的な甘えた関係であるという
よりは、ある種の社会的な圧力と緊張の中で展開する 母・息子関係の
なかで成長した男たちにとって、もっとも深い抑圧は、父権的なもの
への攻撃性であるよりは、母への攻撃性だ、ということになる。
とりわけ、親孝行の規範をはじめとして、社会全体がシステム化され
抑圧が深まっていく近世にあって 中間権力者になりさがっていく父
とは対照的に、母こそが、家族の隠された実力者となるがゆえに、母の
イメージは、他方では 理想化され (その典型が近世に女性化されていく
観音への広汎な信仰であり、あるいは中国南部で近世以降に盛んになる媽祖
をはじめとする様々な女神信仰であろう)、他方では最も深いルサンチマン
の対象となっていったのだと思われる。
したがって、近世中国にあっては、社会システムとしては 強力な 父権制でありながら 人々を最深部においてとらえているのは、「母なる
もの」であって、この「母」を殺すことこそが、物語という想像的空間
において求められることになる。
このような近世中国の、普遍的状況(=集権化と超自我化)と特殊な状況
(=父殺しを容易にする「母権的」家族)を背景として、〈目連救母〉は、
この自覚されがたく表現されがたい、母へのルサンチマンを表現した
稀有な物語だ、というわけである。
因みに、海を隔てた隣国日本は はるかに遅れて、十六世紀の終りから 十七世紀にかけて、ようやく、しかし急速に 本格的な集権化=国家化
が始まるのであって、〈目連救母〉が伝わり ある程度広がったとみられ
る室町時代には こうした集権化は まだあまり進んでいなかった。
したがって、父母への ルサンチマン も さほど溜め込まれることもなかった
ものと推測される。実際、日本でルサンチマン的な物語が盛行するのは
国家化の深まる十八世紀初頭以降であって、それは 人形浄瑠璃や歌舞伎
における心中物や敵討ちものに典型的に表れている。
そして、中世日本の〈目連救母〉にあっては、御伽草子『もくれんの
さうし』や説経節『目蓮記』、能の『目蓮』、あるいは金沢の盆踊唄
『目連尊者地獄めぐり』にみられるように、母殺しのルサンチマン的な
残忍さの描写は 中国のそれと比べて薄まっている。
まず、母の罪業については、肉食や僧侶の撲殺といった具体的な描写
は少なく、漠然と「邪慳傲慢」とされるに留まったり、あるいは最愛の
一子かわいさの執着心ゆえ とか、子の栄達を願ったがため、などと十分
に共感できるものに置き換わっており、こうした母の罪業の描写の変化
を吉川良和は「日本的特徴」としている。
また、地獄巡りも 中国の変文以降のものに比べれば、だいぶ あっさり
している。その代わりに より連綿と表現されるのは、目連が亡くなった
母を恋しく思う気持ちである。さらに、最後に 母親が犬あるいは雌豚
といった畜生に変身するモチーフも 日本では受け入れられなかった。
つまり、中世の日本にあっては、〈目連救母〉は母へのあからさまな
ルサンチマン と攻撃性の発露の物語として発展することはなかったのである。
五 母殺しの彼岸へ
かくして我々は、〈目連救母〉が いわゆる「母殺し」を苛烈に行う物語
として発展していった、心理的な意味と歴史的な背景について、一定の
理解をえたことになる。
しかしながら、〈目連救母〉は、明代から清代にかけて発展する中で、 「悪い母」を残忍に殺害することで ルサンチマンを晴らしておしまい、という いわゆる「迫害と復讐」型の物語の段階を超えていく。
明代も終りに近い 万暦十(1582)年に、鄭之珍という安徽省の文人が、
この頃までには 様々な内容が付け加わって 総体がわからなくなって
いた〈目連救母〉を『目連救母勧善戯文』(以下『戯文』と略記)として、全一〇二齣(齣とは日本でいう幕のことで、日本語の読みは「しゃく」or
「せき」)を 三夜かけてやる大きな演劇作品にまとめた。
その内容をみると、従来の地獄巡りを中心とするスタイルを踏襲し
ながらも、古いものと比べると大きく様変わりした部分があり、そこに
近世における〈目連救母〉の新しい展開をみることができる。
新しい展開とは、簡単にいうと、従来と同様に、秘かに サディスティックな 志向をともなう、超自我的で権威主義的な価値観が持続する同時に、
これまで徹底的に貶められ責め苛まれていた母劉氏にたいして、ある種
の肯定的なまなざしも注がれるようになって、演劇全体が二元対立的な
緊張をはらんだドラマとなっている、ということである。
一方には、仏門の教えに徹底的に忠実な男たちと 彼らを守り導く神仏
がいる。まずは、信心深く善行を重ねてきた父傅相がおり、その意志を
受け継ぐ孝行息子の羅卜、その忠実な従者の益利、そして 傅相の善行を
見届け 彼を天堂に導く玉皇や羅卜を助け続ける観世音菩薩らの神仏、
そして 一度だけしか登場しないが、羅卜の親孝行を顕彰する皇帝、など
である。
彼らは、みな善悪には報恩があるという仏教的信念をもち、それ故に
人は 常に何事にも禁欲的であるべきだと信じていて、煩悩のかけらも
なく、常に 超自我的にふるまう。
他方には、そうした仏教的な信念に明確に反対し、現世での世俗的な 快楽や幸福を追求しようとする人たちが登場する。それは、羅卜の母
劉氏だけではなく、劉氏に人生を楽しむべきことを勧める侍女の金奴、
劉氏に 潔斎を破ることを勧める弟の劉賈、あるいは仏門から逃げていい男
との出会いを夢みる尼姑などである。
彼らは 一様に来世を信じることなく、現世での 今 この時の楽しみを
追い求める。とくに、劉氏の侍女金奴(この役回りは、『仏説目連救母経』
での登場が初見のようである)が登場し大いに活躍するのであるが、彼女
は劉氏にたいして亡夫の遺言に縛られずにこの現世における快楽を享受
するべきことを、次のように巧みに語っている。
この燕の母子にも別れの時がきっとやってきます。この老いた燕 の方は泥をくわえて巣を作り食べさせて苦労して、自分は飢えてでも
食べ物を与えましたが、幼い燕は母の苦労を思うこともなく、大きく
なって羽が乾けば、一人で飛び去ってしまいます。奥様、愚かな信心
を止めて、よくよく考えて、人生を楽しもうではありませんか。
奥様、潔斎をやめて楽しみましょう。仏事などみな噓ですよ。
などと金奴は諭して、劉氏は とうとう亡夫の遺言と息子の願いを捨てて この世の快楽を享受すべく「開葷」(=潔斎をやめて肉食すること)を宣言
するにいたる。
こうした現世快楽的な志向をさらに明快に演劇的に表現しているのが 「双下山」と総称される人気の部分であり、次のような内容の二つの齣
からなる。
「尼姑下山」:病弱なために信心深い両親に勧められて出家した若い
尼僧が、春の清明節がすぎていくなか、経典を読むばかりでこの
ままでは 自分の青春が過ぎ去ってしまうことを嘆いて、菩薩を
捨てて寺から脱走して、「織女は鵲の橋をかけて牛郎が天の川を
早く渡ってくるのを願う」に至る。
「和尚下山」:やはり病弱なために両親に勧められて出家した若い 僧侶が、佳人との出会いを求めて寺を脱走する。そこで件の尼僧
と出会って、たちまち心を通わせる。
この「双下山」は、従来の〈目連救母〉の中心テーマを大きく逸脱 しながら、事実上それを乗り越えている。
つまり、尼姑は目連の母と同じ罪、つまり信仰を誓いながら姦淫の罪を (目連の母の場合は暗に、尼姑の場合はほぼ明白に)犯しているのであるが、
にもかかわらず 必ずしも否定的に描かれているわけではない。むしろ、
山を下りる決断をした尼姑は、死んで 閻魔大王たちに 生前の善悪を
問われ罰で脅されても、「怖くない、怖くない、少しも怖くない」と
叫んでいる。
これは、もはや仏罰を恐れない、姦淫の罪を犯してもかまわないのだ
という果敢な決心を表している。そして、『戯文』ではこの「双下山」の直後に「勧姐開葷」の齣がある。
これは 劉賈が姉に潔斎を破ることを勧める話なのであるが、この
続き方によって、明らかに母親の罪は相対化されている。このように、女たちによる現世享楽的な生き方が生き生きと表現されるため、少なくとも 劉氏が地獄に堕ちる以前を描く上巻にあっては、この現世享楽的な
陣営と超自我的で禁欲的な陣営のどちらが 人として正しいのか、観る者
にはよく分らなくなり、緊張感をもって観劇できたものと推測される。
この「双下山」あるいは「尼姑下山」のモチーフは、『戯文』以前から 〈目連救母〉とは別に、民間の演劇の中で発生し発展してきたようで、
嘉靖・万歴年間には 目連劇に吸収され、鄭之珍以降 「双下山」中でも
「尼姑下山」は ますます人気がでて、〈目連救母〉の数ある齣の中でももっともよく上演されるものの一つとなる。
清朝宮廷における四大大戯の一つともされる、康煕二十(1681)年まで
には成立した目連劇『勧善金科』にも この「双下山」が取り入れられて
おり、崑曲にも、『勧善金科』の影響を受けた「思凡下山」という著名
な齣がある。各地の地方劇の目連劇にも「双下山」はよくみられる。
明末以降には、目連戯の中にあって、この現世快楽的な場面が最も
広く共感を呼んだのだと思われる。
この「尼姑下山」で、暗示的に予告されているのは姦淫の罪を犯した
母との和解であるが、その和解のかたちにある種の 中国的ともいえる
精神的な成熟をみることができよう。
例えば、(小此木啓吾の語る)『阿闍世』では、息子と母の和解は 母が
自らの命を危険にさらしてまで息子の命を救おうとしたことの結果
であって、そこでは 母は 十分に再び理想化されている。したがって、
息子から見れば、あの失われた母との原初的な関係が、罪悪感に彩られ
ながらも、取り戻されたのである。
ところが、「双下山」を生み出した〈目連救母〉においては、母=
尼姑は、うまいものを食べたがったり、見目のよい男との出会いを夢
見たりなど、矮小な欲望にまみれた存在として徹底的に脱理想化されて
いる。母との和解は、母の再理想化ではなく、その矮小な欲望を肯定
することで、罪悪感から自由になりながら、なされているのである。
ちなみに、『戯文』は、従来の〈目連救母〉に比べて、貨幣に関わる ことが多く描かれているのだが、ここにも二元的な対立による緊張が
仕組まれている。一方の超自我的な男たちにあっては、羅卜もその父も
商売人であるにもかかわらず、貨幣に何の執着もなく持っている金を
惜しげもなく貧しい人々に分け与えて善行を積む。他方で、劉氏と
その周辺の人々にとって貨幣は特別な意味をもっている。劉賈は高利貸
という経済化された社会の中でも 最も経済化された職業の人であり、
その劉賈が、妹の劉氏にたいして、羅卜から預かった金を使って人生を
楽しむことを勧めるのである。あるいは、羅卜から金を騙し取ろう
とする詐欺師も登場する。むろん、プロットの表向きは、こうした経済社会における快楽を追求する人々は、後に地獄で罰を受けるのだし、
詐欺師は雷公の雷に打たれて死んでしまうのだから、肯定されている
わけではない。しかしながら、仏道に邁進する傅相・羅卜父子の描写
が類型的で現実感に乏しいのとは対照的に、劉氏や劉賈の描写はより
現代的で生彩に富んでいて、演劇は 彼らに対しても一定の同情・共感を
示しているようにみえる。
こうして、母に対する相対的に肯定的なまなざしが注がれる中で、
〈目連救母〉にあっては、次第に劉氏自身が語る場面が増えていき、
その中で 母は さらに同情的に肯定されていくのだと思われる。とくに
注目されるのは、劉氏が、女性としての苦労、とくに出産と子育ての
苦労を切々と語る場面である。
『戯文』では 次のようなやり取りがある。
「女はその血で三光(日月星)を汚す」ので血湖池に堕ちるのだと
獄官が差別的に言い渡してきたのに対して、劉氏は「人として生まれた
ならば婦人になってはいけない、婦人になることは苦労ばかり多い」
と言って、「懐胎十月」から「乳哺三年」を一大苦、「養児成家〔子
育て〕」という子どもを十五才にまでする苦労を二大苦、さらに 子が
大人になって自分が老いて 死に血湖の苦をうけるのを三大苦として、
その詳細を克明かつ切々と詠っている。 かつての〈目連救母〉では 目連の側から漠然と「乳哺の恩」と一言
で括られていたのとは 大きく異なっていることがわかる。こうした描写
は『戯文』以外にもみられ、とくに「懐胎十月」は、莆仙戯や浙江省の
目連戯にもみられ、歌としても 朝鮮や日本にも伝わるほど、広く行われ
ていたらしい。
ほとんどまったく理想化されていない、母としてごく普通の子育て
の軌跡が語られることで、劉氏=母は さらに いっそう同情され肯定されているのだと思われる。
明末の『戯文』以降、〈目連救母〉は ますます多様な展開をみせ、
清代以降には 弋陽腔や京劇を含む各地の地方劇にも 目連は盛んに取り
入られ、影劇・宝巻・鼓詞などの諸芸能にも 目連物が広く取り込まれ
ていき、魯迅や周作人などが記録しているように、清末までには南中国
を中心に農村部でも 広く目連の演劇が行われていた。
それらの諸芸能における目連物の内実は 必ずしも明らかではないが、
多くの研究者は『戯文』の影響が決定的であるとする。
つまり、『戯文』において示された新しいヴィジョンは広く共有され
ながら、様々な芸能のジャンルと地域において繰り返し上演され語られ
たのである。
『戯文』の影響が比較的薄く独自性が高いとされる、泉州の木偶戯 『泉腔目連救母』にあっても、金奴が「人生は一回きり、草は春に
生えるきり、どうして楽しむことなく虚しく過ごす人がいましょうか」
と人生を楽しむべきことを勧めるのを受けて、劉世真(目連の母)は、
「人生は一度だけで二度はないことを思えば、楽しむことなく駆けずり
回って潔斎を続けたところで何のいいことがあろうか」と応えている。
そして、地獄に堕ちても、劉世真は、「戯文」同様に 「十月懐胎」
の苦しみを切々と語り、獄官に大いに同情される。
したがって、母への共感は、鄭之珍の個人的志向なのではなく、
むしろ〈目連救母〉という巨大な物語的運動全体において、ある時期
(おそらく明代終わり頃)から見られる現象なのだと思われるわけである。
川劇においても、目連劇は広く行われてきており、例えば
その『目連伝』をみると、こうした矮小な母の肯定というテーマが
全編にわたって展開されていることがわかる。まず、特徴的なのは、
目連よりも むしろ 母劉氏の登場回数が多く、母が 事実上の主人公と
なっていることである。それに応じて、目連の母の欲望が それなりに
説得的に説明されており、十分に同情できるものとなっている。
例えば 劉氏は 次のように述懐している。
この世のことはすべて春の夢の如く短く、人情は秋の雲の如く
薄い。どうしてあれこれ思い煩う必要があろうか。万事に運命が
あり、幸いにも三杯の美酒に巡り会い、一片の花に新たに逢う。
しばし笑い相親しもう、明日は晴れるか曇るかわからないのだから。
この老いた身も楽しまなければならない。
そう言って 劉氏は ついに潔斎をやめて肉食をすることになるのだが、 そのさい川劇では 「戯中餐」が行われることがあるという。舞台上の
役者たちが肉を含めて 実際に食事を始めるとともに、観客たちにも肉
の料理が振舞われるのである。共に肉を食べることで罪深いはずの劉氏
に観客が共感し一体化していると推測できる。
その一方で、超自我の人 目連は 相変わらず真面目一辺倒である。
観音が目連を試すために美女となって 目連を誘惑するが、目連は母を
救う初志を守るために それを退けるという、「戯目連」として知られる
齣などは もはや共感されず、むしろ喜劇として楽しまれたように
思われる。
ちなみに、『目連三世宝巻』(宝巻は仏教説話を唱導した芸能の台本で、 明・清代に盛行)には、次のような 全く新奇な目連が描かれている。
目連が地獄を破ったために、八百万の鬼が地獄から逃げ出し現世
に投胎してしまう。そこで、地蔵菩薩は、母親を救い出すまえに、
目連を黄巣(実在した、唐末の大乱の首謀者)として生まれ変わらせ、
目連=黄巣は 八百万の人々を殺して地獄に戻す。ところが 閻魔大王
が豚や羊の分までおなじことを命じるので、目連は屠殺夫に生まれ
変わり、無数の豚や羊を殺して、ようやく観音菩薩が母を助けだし、
母子昇天となる
という物語である。
この物語の系統は 奇想天外でありながら、多くの人に受け入れられ たようで、今日中国各地に口承伝承として残る目連説話の多くが、実は
この話にそったものである。
偉大な仏弟子にして比類のない孝行息子であったはずの目連を、 無数の人々を殺した黄巣に転生したとするこのモチーフは、人々が
従来の目連像に 相当に飽きて 噓くさいものと感じており、その謹直で
孝行な姿には裏があると想像したほうが面白いと感じていたことを
示しているように思われる。
かくして、『戯文』以降の〈目連救母〉にあっては、なおも母は地獄
で責め苛まれ続けているのだが、同時に 母へのある種の肯定と受容の
ヴィジョンが示されていることがわかる。母を過度に理想化することも
過度に貶め苦しめるだけでもなく、むしろ 母のそのままの姿が肯定され
再生させられているのだ、といえるだろう。
(続)
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2018年10月01日
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