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目連救母の精神史
中国文明における母殺しの彼岸


六 おわりに

 かつて、ジュリア・クリステヴァは文化大革命のただ中の中国を
訪れて、欧州や日本などより はるかに峻厳な父権的な権力によって
貫かれているようにみえる この東洋の社会の中に、母性的なもの
への渇望が潜んでいることを確信した。
 世界を創造したとされる女媧の図像や慈愛に満ちた表情の観音菩薩
への信仰、李清照をはじめとする女たちの繊細で優美な詩詞、あるいは
女体から生命力を得ようとする道師たちの性愛術、そして 文革を
押し進める力強い女たち、そのような様々な女性的な形象のなかに、
「 おしなべて中国の歴史全体に伴っていた母への追憶の、あの永続性 」
を見て取り、そこに 母性的なものへの渇望だけではなく、さらには
ある種の母権的な力の秘かな横溢すらも感じた。
        ※ 李清照詩詞全集   http://www.ccv.ne.jp/home/tohou/risisyou2.html

  しかしながら、中国文明の裏側に育った、その母性的・母権的なもの
とは、観音信仰に美しく理想化されているような、女たちや子どもたち
を守ってくれるような、やさしく生産的なものばかりではなく、むしろ
繰り返し殺されなければならないほどに、性愛的でもある攻撃性を
生み出すものでもあって、その背後には、国家・家族システムのなかに
閉じ込められた、母子関係におけるルサンチマンが蟠っていたのだ、
と思われる。

 〈目連救母〉とは、まさに そのような母へのルサンチマンのドラマ
であり、国家化=父権化の徹底にともなって強化された超自我をなだめ
ながら、母への復讐を このうえなく残忍に遂行しようとした、闇の精神
の物語なのである。
 だが、〈目連救母〉の長い発展のなかで成し遂げられているのは、
母へのルサンチマンだとか母からの自立などといった、西洋的とも
いえよう精神的成長の物語に留まるものではない。むしろ、母への共感
を中心とする人間的な欲望の大胆な肯定であり,それは超自我的なもの、
さらにその背景にある国家的な力からの相対的な自立と連関するもの
である。
 ますます国家化しシステム化していく社会のなかで、母を想像的に
殺した上で 母との「和解」のかたちを示したことは 古今に稀な物語的
達成であったと思われる。

 むろん、このような母への共感と欲望の肯定の志向は、〈目連救母〉
の物語としての内在的発展というだけではなく、より大きな精神史的な変化の潮流の中にあるものとしても理解するべきである。
 四大小説とも総称される『三国志』『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』
をはじめ、宋・明代の中国では 秩序転覆的な物語が生まれ広く伝承
されており、その中には、皇帝を弑逆する物語すら存在する。
 そうしたことから、この段階で中国文明においては,表向きはますます
堅固な家父長制的な社会でありながら、人々の価値意識や想像力の中
では すでに古い父権的な権力は空洞化し、むしろ 異性間や親子間など
親密な人同士の関係の中で 個々の人間の欲望を尊重する文化、しかし
まだ十分には言語化されておらず物語的・演劇的に表現されるに留まる
文化的傾向が生まれつつあったのだといえる。

 そうした中で、「母」に対しても、ルサンチマン的に恨みを晴らす
段階を超えて、脱理想的で現実的な肯定のヴィジョンが生まれてくる。
 それは例えば、ほぼ同じ時代に盛行する〈白蛇伝〉の発展の中にも
みられるのであって、白蛇は、不気味な化物=女から貞淑な妻、さらに
平凡な母へと変容し、主人公(視点人物)も、白蛇に騙される男から、
白蛇=白素貞へと転換していく。    白娘子 - Wikipedia
 あるいは、〈七夕伝説〉にあっても、牽牛と織女の物語だけではなく、
次第に、母の象徴である牛と牛郎の物語へと変化し、さらに織女と
その息子との物語になっていく。

 近世以降の〈目連救母〉は、こうした中国文明における母への肯定的
な感受性の広がりの中で、母へのより深い ルサンチマン の表現をも含めて
展開したのであって、こうした物語的な達成の中に、欧州における
超自我的な人間の力の理想化とも、日本における母息子間の甘えの伝統
とも重なりながらも異なる、中国文明における、ありのままの人間的
欲望を肯定し受け入れる社会的・精神的な包摂の志向を見出すことが
できるだろう。




目連救母の精神史
中国文明における母殺しの彼岸


四 社会的・文明史的背景

 我々は かくして、〈目連救母〉という親孝行の鏡とされてきた物語の
中に、最愛の人を探し求める愛の情動とともに 母への強烈なサディスティック
かつ性愛的な衝動を見いだしたことになる。
 しかし、そもそも なぜ母親への衝動は かくも激しいものとして表現
されるのだろうか。表向きの健気な孝行と 葬儀の際に母親が虐げられる
演劇をわざわざ観るほどに深く蟠った情動との落差さは、一体 何に由来
するのだろうか。
〈目連救母〉において表現されている 母への サディスティック かつ性愛的な
情動の意味を、より広い社会的・文明史的な文脈で再考してみよう。

 一般的にいって、諸共同体が自立的に散在する中世的状況が集権的
国家へと再編されていく近世的状況のもとでは、人々の精神にあっても
超自我的な機能が強化される傾向が強く、家族の力関係も家長を頂点
とするコード化されたものとなり、この状況の中で 父母への情動が抑圧
され ルサンチマン化されやすくなることが知られている。
 父母への抑圧された情動である エディプス・コンプレックス や 阿闍世コンプレックス といったものも、こうした集権化され抑圧が深まっていく社会・家族
状況においてより頻繁かつ深く発生するもの と考えることができる。
  ※ エディプスコンプレックス:母親を手に入れようと思い、また
      父親に対して強い対抗心を抱くという、幼児期においておこる
      現実の状況に対するアンビバレントな心理の抑圧のこと。

 中国にあっては、こうした集権化・国家化はいわゆる中世(魏晋南北朝期
から唐代中期)とよばれる時期の前後に比較的ゆっくりと進行し、宋代
以降の近世社会の展開の中で皇帝権力を頂点とする集権化・国家化が
本格的に進んだと思われる。
 先に述べたように、〈目連救母〉の目連における超自我の強さとは、
この集権化し国家化した社会の力の内面化の帰結とみなせる。そして、
それゆえに、国家的なもの あるいは父権的なものに対するルサンチマンが
熟成されていくのであって、こうしたルサンチマンは、例えば、先にも
ふれたように 元雑劇の諸作品や観音の由来を説いた著名な妙善説話
(道心の強い娘が身を犠牲にして酷薄な父を救済し観音となる話)のような、
この時代を代表する物語群にも表れていると思われる。

 と同時に、ウェーバーが『儒教と道教』でいうように 近世中国に
あっては、皇帝を頂点とする国家的な権力 (彼の言葉では家産官僚制) が
卓越するとともに、宗族・家族(氏族共同体)にも並外れた自立性が
あった。この両者の力関係を一つの背景として、想像的な願望の世界
である物語空間にあっては、とくに明代にいたいると ルサンチマン 化された
はずの情動が しばしばあからさまに表現され、四大文学や四大民間伝承
といわれる物語のいずれもが 国家的秩序や父権的な家族的・性的な秩序
への挑戦をテーマにしている。
 『水滸伝』や『三国志』の豪傑たちや『西遊記』の孫悟空らは、国家
的秩序を乱すならず者たちであり、『金瓶梅』や『紅楼夢』は家族的・
性的規範を徹底的に逸脱していくし、「四大民間伝承」のいずれもが
性的に結びついた男女が 父権的なものに抗う姿を描く。
民間伝承の中には『十人兄弟』や『百鳥衣』のごとく、皇帝を弑逆して
しまうものすらあって、それなりに広がりをもって語り継がれていく。

 そうした中にあっても、母親的なものへの反抗はなお、おそらく最も
表現しがたいのだと思われる。一般的に言って、子供にとって母との
関係は、自らの生の根源をなすものであり、母への反抗や攻撃性には
自己否定的な破壊性があって、極めて自覚し難く表現が難しい。
 しかも、中国の父系的・父権的な家族システムの内実を仔細にみる
ならば、実は 母と息子との関係性が特異に強いことがわかる。
外部から嫁した女は、宗族・家族の中で周縁的で低い地位しか持たない
が、息子を生むことで(とくに息子を鍛え上げ立派な成人に育て一族の家長
とすることによって)、家長の母として、宗族・家族の中で中心的な地位
を占める可能性をもつ。家長といえども、その母に逆らうことは原則
として許されないのである。
とくに寡婦となった場合、その権力は より強いものになりえる。この
ことは、長い中国の歴史の中で女帝は 一人しか誕生しなかったにも
かかわらず、皇帝の母として絶大な権力を握った女性が、西太后を
はじめ、数多くいたことからも傍証されるだろう。

 〈目連救母〉においても、父が死んで息子が新たな家長になったとき
にこそ、寡婦となった母は 傍若無人に振る舞うことになる。
だからこそ、他の民族以上に 中国(漢民族)にあっては、母は息子を溺愛
するだけではなく、むしろ息子に期待し息子を鍛え、しかるべき家長
にしようとするのだ。
それゆえ、母・息子関係を秘かな基盤とする宗族システムが強固な社会
にあって、皇帝殺しにまでいたる反国家的な物語が生み出されたことは
さして意外とはいえない。むしろ、情緒的な甘えた関係であるという
よりは、ある種の社会的な圧力と緊張の中で展開する 母・息子関係の
なかで成長した男たちにとって、もっとも深い抑圧は、父権的なもの
への攻撃性であるよりは、母への攻撃性だ、ということになる。

 とりわけ、親孝行の規範をはじめとして、社会全体がシステム化され
抑圧が深まっていく近世にあって 中間権力者になりさがっていく父
とは対照的に、母こそが、家族の隠された実力者となるがゆえに、母の
イメージは、他方では 理想化され (その典型が近世に女性化されていく
観音への広汎な信仰であり、あるいは中国南部で近世以降に盛んになる媽祖
をはじめとする様々な女神信仰であろう)、他方では最も深いルサンチマン
の対象となっていったのだと思われる。
 したがって、近世中国にあっては、社会システムとしては 強力な
父権制でありながら 人々を最深部においてとらえているのは、「母なる
もの」であって、この「母」を殺すことこそが、物語という想像的空間
において求められることになる。
このような近世中国の、普遍的状況(=集権化と超自我化)と特殊な状況
(=父殺しを容易にする「母権的」家族)を背景として、〈目連救母〉は、
この自覚されがたく表現されがたい、母へのルサンチマンを表現した
稀有な物語だ、というわけである。

 因みに、海を隔てた隣国日本は はるかに遅れて、十六世紀の終りから
十七世紀にかけて、ようやく、しかし急速に 本格的な集権化=国家化
が始まるのであって、〈目連救母〉が伝わり ある程度広がったとみられ
る室町時代には こうした集権化は まだあまり進んでいなかった。
 したがって、父母への ルサンチマン も さほど溜め込まれることもなかった
ものと推測される。実際、日本でルサンチマン的な物語が盛行するのは
国家化の深まる十八世紀初頭以降であって、それは 人形浄瑠璃や歌舞伎
における心中物や敵討ちものに典型的に表れている。
そして、中世日本の〈目連救母〉にあっては、御伽草子『もくれんの
さうし』や説経節『目蓮記』、能の『目蓮』、あるいは金沢の盆踊唄
『目連尊者地獄めぐり』にみられるように、母殺しのルサンチマン的な
残忍さの描写は 中国のそれと比べて薄まっている。
 まず、母の罪業については、肉食や僧侶の撲殺といった具体的な描写
は少なく、漠然と「邪慳傲慢」とされるに留まったり、あるいは最愛の
一子かわいさの執着心ゆえ とか、子の栄達を願ったがため、などと十分
に共感できるものに置き換わっており、こうした母の罪業の描写の変化
を吉川良和は「日本的特徴」としている。
また、地獄巡りも 中国の変文以降のものに比べれば、だいぶ あっさり
している。その代わりに より連綿と表現されるのは、目連が亡くなった
母を恋しく思う気持ちである。さらに、最後に 母親が犬あるいは雌豚
といった畜生に変身するモチーフも 日本では受け入れられなかった。
 つまり、中世の日本にあっては、〈目連救母〉は母へのあからさまな
ルサンチマン と攻撃性の発露の物語として発展することはなかったのである。


五 母殺しの彼岸へ

 かくして我々は、〈目連救母〉が いわゆる「母殺し」を苛烈に行う物語
として発展していった、心理的な意味と歴史的な背景について、一定の
理解をえたことになる。
しかしながら、〈目連救母〉は、明代から清代にかけて発展する中で、
「悪い母」を残忍に殺害することで ルサンチマンを晴らしておしまい、という いわゆる「迫害と復讐」型の物語の段階を超えていく。

 明代も終りに近い 万暦十(1582)年に、鄭之珍という安徽省の文人が、
この頃までには 様々な内容が付け加わって 総体がわからなくなって
いた〈目連救母〉を『目連救母勧善戯文』(以下『戯文』と略記)として、全一〇二齣(齣とは日本でいう幕のことで、日本語の読みは「しゃく」or
「せき」)を 三夜かけてやる大きな演劇作品にまとめた。

 その内容をみると、従来の地獄巡りを中心とするスタイルを踏襲し
ながらも、古いものと比べると大きく様変わりした部分があり、そこに
近世における〈目連救母〉の新しい展開をみることができる。
 新しい展開とは、簡単にいうと、従来と同様に、秘かに サディスティックな
志向をともなう、超自我的で権威主義的な価値観が持続する同時に、
これまで徹底的に貶められ責め苛まれていた母劉氏にたいして、ある種
の肯定的なまなざしも注がれるようになって、演劇全体が二元対立的な
緊張をはらんだドラマとなっている、ということである。

 一方には、仏門の教えに徹底的に忠実な男たちと 彼らを守り導く神仏
がいる。まずは、信心深く善行を重ねてきた父傅相がおり、その意志を
受け継ぐ孝行息子の羅卜、その忠実な従者の益利、そして 傅相の善行を
見届け 彼を天堂に導く玉皇や羅卜を助け続ける観世音菩薩らの神仏、
そして 一度だけしか登場しないが、羅卜の親孝行を顕彰する皇帝、など
である。
 彼らは、みな善悪には報恩があるという仏教的信念をもち、それ故に
人は 常に何事にも禁欲的であるべきだと信じていて、煩悩のかけらも
なく、常に 超自我的にふるまう。
他方には、そうした仏教的な信念に明確に反対し、現世での世俗的な
快楽や幸福を追求しようとする人たちが登場する。それは、羅卜の母
劉氏だけではなく、劉氏に人生を楽しむべきことを勧める侍女の金奴、
劉氏に 潔斎を破ることを勧める弟の劉賈、あるいは仏門から逃げていい男
との出会いを夢みる尼姑などである。
 彼らは 一様に来世を信じることなく、現世での 今 この時の楽しみを
追い求める。とくに、劉氏の侍女金奴(この役回りは、『仏説目連救母経』
での登場が初見のようである)が登場し大いに活躍するのであるが、彼女
は劉氏にたいして亡夫の遺言に縛られずにこの現世における快楽を享受
するべきことを、次のように巧みに語っている。

  この燕の母子にも別れの時がきっとやってきます。この老いた燕
 の方は泥をくわえて巣を作り食べさせて苦労して、自分は飢えてでも
 食べ物を与えましたが、幼い燕は母の苦労を思うこともなく、大きく
 なって羽が乾けば、一人で飛び去ってしまいます。奥様、愚かな信心
 を止めて、よくよく考えて、人生を楽しもうではありませんか。
 奥様、潔斎をやめて楽しみましょう。仏事などみな噓ですよ。

などと金奴は諭して、劉氏は とうとう亡夫の遺言と息子の願いを捨てて
この世の快楽を享受すべく「開葷」(=潔斎をやめて肉食すること)を宣言
するにいたる。
 こうした現世快楽的な志向をさらに明快に演劇的に表現しているのが
「双下山」と総称される人気の部分であり、次のような内容の二つの齣
からなる。

 「尼姑下山」:病弱なために信心深い両親に勧められて出家した若い
  尼僧が、春の清明節がすぎていくなか、経典を読むばかりでこの
  ままでは 自分の青春が過ぎ去ってしまうことを嘆いて、菩薩を
  捨てて寺から脱走して、「織女は鵲の橋をかけて牛郎が天の川を
  早く渡ってくるのを願う」に至る。
 「和尚下山」:やはり病弱なために両親に勧められて出家した若い
  僧侶が、佳人との出会いを求めて寺を脱走する。そこで件の尼僧
  と出会って、たちまち心を通わせる。

 この「双下山」は、従来の〈目連救母〉の中心テーマを大きく逸脱
しながら、事実上それを乗り越えている。
つまり、尼姑は目連の母と同じ罪、つまり信仰を誓いながら姦淫の罪を
(目連の母の場合は暗に、尼姑の場合はほぼ明白に)犯しているのであるが、
にもかかわらず 必ずしも否定的に描かれているわけではない。むしろ、
山を下りる決断をした尼姑は、死んで 閻魔大王たちに 生前の善悪を
問われ罰で脅されても、「怖くない、怖くない、少しも怖くない」と
叫んでいる。

 これは、もはや仏罰を恐れない、姦淫の罪を犯してもかまわないのだ
という果敢な決心を表している。そして、『戯文』ではこの「双下山」の直後に「勧姐開葷」の齣がある。
 これは 劉賈が姉に潔斎を破ることを勧める話なのであるが、この
続き方によって、明らかに母親の罪は相対化されている。このように、女たちによる現世享楽的な生き方が生き生きと表現されるため、少なくとも 劉氏が地獄に堕ちる以前を描く上巻にあっては、この現世享楽的な
陣営と超自我的で禁欲的な陣営のどちらが 人として正しいのか、観る者
にはよく分らなくなり、緊張感をもって観劇できたものと推測される。

 この「双下山」あるいは「尼姑下山」のモチーフは、『戯文』以前から
〈目連救母〉とは別に、民間の演劇の中で発生し発展してきたようで、
嘉靖・万歴年間には 目連劇に吸収され、鄭之珍以降 「双下山」中でも
「尼姑下山」は ますます人気がでて、〈目連救母〉の数ある齣の中でももっともよく上演されるものの一つとなる。
 清朝宮廷における四大大戯の一つともされる、康煕二十(1681)年まで
には成立した目連劇『勧善金科』にも この「双下山」が取り入れられて
おり、崑曲にも、『勧善金科』の影響を受けた「思凡下山」という著名
な齣がある。各地の地方劇の目連劇にも「双下山」はよくみられる。
 明末以降には、目連戯の中にあって、この現世快楽的な場面が最も
広く共感を呼んだのだと思われる。

 この「尼姑下山」で、暗示的に予告されているのは姦淫の罪を犯した
母との和解であるが、その和解のかたちにある種の 中国的ともいえる
精神的な成熟をみることができよう。
例えば、(小此木啓吾の語る)『阿闍世』では、息子と母の和解は 母が
自らの命を危険にさらしてまで息子の命を救おうとしたことの結果
であって、そこでは 母は 十分に再び理想化されている。したがって、
息子から見れば、あの失われた母との原初的な関係が、罪悪感に彩られ
ながらも、取り戻されたのである。

 ところが、「双下山」を生み出した〈目連救母〉においては、母=
尼姑は、うまいものを食べたがったり、見目のよい男との出会いを夢
見たりなど、矮小な欲望にまみれた存在として徹底的に脱理想化されて
いる。母との和解は、母の再理想化ではなく、その矮小な欲望を肯定
することで、罪悪感から自由になりながら、なされているのである。
 ちなみに、『戯文』は、従来の〈目連救母〉に比べて、貨幣に関わる
ことが多く描かれているのだが、ここにも二元的な対立による緊張が
仕組まれている。一方の超自我的な男たちにあっては、羅卜もその父も
商売人であるにもかかわらず、貨幣に何の執着もなく持っている金を
惜しげもなく貧しい人々に分け与えて善行を積む。他方で、劉氏と
その周辺の人々にとって貨幣は特別な意味をもっている。劉賈は高利貸
という経済化された社会の中でも 最も経済化された職業の人であり、
その劉賈が、妹の劉氏にたいして、羅卜から預かった金を使って人生を
楽しむことを勧めるのである。あるいは、羅卜から金を騙し取ろう
とする詐欺師も登場する。むろん、プロットの表向きは、こうした経済社会における快楽を追求する人々は、後に地獄で罰を受けるのだし、
詐欺師は雷公の雷に打たれて死んでしまうのだから、肯定されている
わけではない。しかしながら、仏道に邁進する傅相・羅卜父子の描写
が類型的で現実感に乏しいのとは対照的に、劉氏や劉賈の描写はより
現代的で生彩に富んでいて、演劇は 彼らに対しても一定の同情・共感を
示しているようにみえる。

 こうして、母に対する相対的に肯定的なまなざしが注がれる中で、
〈目連救母〉にあっては、次第に劉氏自身が語る場面が増えていき、
その中で 母は さらに同情的に肯定されていくのだと思われる。とくに
注目されるのは、劉氏が、女性としての苦労、とくに出産と子育ての
苦労を切々と語る場面である。
『戯文』では 次のようなやり取りがある。

 「女はその血で三光(日月星)を汚す」ので血湖池に堕ちるのだと
獄官が差別的に言い渡してきたのに対して、劉氏は「人として生まれた
ならば婦人になってはいけない、婦人になることは苦労ばかり多い」
と言って、「懐胎十月」から「乳哺三年」を一大苦、「養児成家〔子
育て〕」という子どもを十五才にまでする苦労を二大苦、さらに 子が
大人になって自分が老いて 死に血湖の苦をうけるのを三大苦として、
その詳細を克明かつ切々と詠っている。

 かつての〈目連救母〉では 目連の側から漠然と「乳哺の恩」と一言
で括られていたのとは 大きく異なっていることがわかる。こうした描写
は『戯文』以外にもみられ、とくに「懐胎十月」は、莆仙戯や浙江省の
目連戯にもみられ、歌としても 朝鮮や日本にも伝わるほど、広く行われ
ていたらしい。
 ほとんどまったく理想化されていない、母としてごく普通の子育て
の軌跡が語られることで、劉氏=母は さらに いっそう同情され肯定されているのだと思われる。

 明末の『戯文』以降、〈目連救母〉は ますます多様な展開をみせ、
清代以降には 弋陽腔や京劇を含む各地の地方劇にも 目連は盛んに取り
入られ、影劇・宝巻・鼓詞などの諸芸能にも 目連物が広く取り込まれ
ていき、魯迅や周作人などが記録しているように、清末までには南中国
を中心に農村部でも 広く目連の演劇が行われていた。
それらの諸芸能における目連物の内実は 必ずしも明らかではないが、
多くの研究者は『戯文』の影響が決定的であるとする。
 つまり、『戯文』において示された新しいヴィジョンは広く共有され
ながら、様々な芸能のジャンルと地域において繰り返し上演され語られ
たのである。
 『戯文』の影響が比較的薄く独自性が高いとされる、泉州の木偶戯
『泉腔目連救母』にあっても、金奴が「人生は一回きり、草は春に
生えるきり、どうして楽しむことなく虚しく過ごす人がいましょうか」
と人生を楽しむべきことを勧めるのを受けて、劉世真(目連の母)は、
「人生は一度だけで二度はないことを思えば、楽しむことなく駆けずり
回って潔斎を続けたところで何のいいことがあろうか」と応えている。
 そして、地獄に堕ちても、劉世真は、「戯文」同様に 「十月懐胎」
の苦しみを切々と語り、獄官に大いに同情される。

 したがって、母への共感は、鄭之珍の個人的志向なのではなく、
むしろ〈目連救母〉という巨大な物語的運動全体において、ある時期
(おそらく明代終わり頃)から見られる現象なのだと思われるわけである。
 
 川劇においても、目連劇は広く行われてきており、例えば
その『目連伝』をみると、こうした矮小な母の肯定というテーマが
全編にわたって展開されていることがわかる。まず、特徴的なのは、
目連よりも むしろ 母劉氏の登場回数が多く、母が 事実上の主人公と
なっていることである。それに応じて、目連の母の欲望が それなりに
説得的に説明されており、十分に同情できるものとなっている。
 例えば 劉氏は 次のように述懐している。

  この世のことはすべて春の夢の如く短く、人情は秋の雲の如く
 薄い。どうしてあれこれ思い煩う必要があろうか。万事に運命が
 あり、幸いにも三杯の美酒に巡り会い、一片の花に新たに逢う。
 しばし笑い相親しもう、明日は晴れるか曇るかわからないのだから。
 この老いた身も楽しまなければならない。

そう言って 劉氏は ついに潔斎をやめて肉食をすることになるのだが、
そのさい川劇では 「戯中餐」が行われることがあるという。舞台上の
役者たちが肉を含めて 実際に食事を始めるとともに、観客たちにも肉
の料理が振舞われるのである。共に肉を食べることで罪深いはずの劉氏
に観客が共感し一体化していると推測できる。

 その一方で、超自我の人 目連は 相変わらず真面目一辺倒である。
観音が目連を試すために美女となって 目連を誘惑するが、目連は母を
救う初志を守るために それを退けるという、「戯目連」として知られる
齣などは もはや共感されず、むしろ喜劇として楽しまれたように
思われる。

 ちなみに、『目連三世宝巻』(宝巻は仏教説話を唱導した芸能の台本で、
明・清代に盛行)には、次のような 全く新奇な目連が描かれている。

  目連が地獄を破ったために、八百万の鬼が地獄から逃げ出し現世
 に投胎してしまう。そこで、地蔵菩薩は、母親を救い出すまえに、
 目連を黄巣(実在した、唐末の大乱の首謀者)として生まれ変わらせ、
 目連=黄巣は 八百万の人々を殺して地獄に戻す。ところが 閻魔大王
 が豚や羊の分までおなじことを命じるので、目連は屠殺夫に生まれ
 変わり、無数の豚や羊を殺して、ようやく観音菩薩が母を助けだし、
 母子昇天となる

という物語である。
 この物語の系統は 奇想天外でありながら、多くの人に受け入れられ
たようで、今日中国各地に口承伝承として残る目連説話の多くが、実は
この話にそったものである。
 偉大な仏弟子にして比類のない孝行息子であったはずの目連を、
無数の人々を殺した黄巣に転生したとするこのモチーフは、人々が
従来の目連像に 相当に飽きて 噓くさいものと感じており、その謹直で
孝行な姿には裏があると想像したほうが面白いと感じていたことを
示しているように思われる。

 かくして、『戯文』以降の〈目連救母〉にあっては、なおも母は地獄
で責め苛まれ続けているのだが、同時に 母へのある種の肯定と受容の
ヴィジョンが示されていることがわかる。母を過度に理想化することも
過度に貶め苦しめるだけでもなく、むしろ 母のそのままの姿が肯定され
再生させられているのだ、といえるだろう。


                 (続)
目連救母の精神史
中国文明における母殺しの彼岸


  この母は 昔は栄華を極め、絹のとばりに錦の几帳を出入りした
 のを、どうやって耐えようか、この地獄の責め苦。餓鬼と変じて
 千年もの生き死に、口より千回も舌を抜かれ、胸は百度も鉄犂で
 耕される。骨・関節・筋・皮、随所に断たれ、刀剣を借りずして
 自ずから崩れ散る。瞬く間に千度も死んだが、その度に生きよと
 怒鳴られまた蘇る。この地獄では人はみな同じ責め苦。貴賤も公卿
 も同じこと。

 このような残忍な責苦を見せ場とする地獄巡りの場面は〈目連救母〉
の発展の中で、さらに詳しく くどくなっていく。南宋あるいは元代の
ものと推測される『仏説目連救母経』なるものが京都に、また全く同じ
内容のものが朝鮮王朝にも残っており、野村伸一は、「 13世紀から
15世紀の東アジアでは、『仏説目連救母経』の系統の目連経がかなり
流布していた 」と推測している。
 この『仏説目連救母経』は、絵図を文が説明するといったかたちで
展開されているのだが、吉川良和によれば、その絵図は三十一個の場面
にわけることができるという。そして、地獄巡りの場面は、そのうちの
十二番目から二十七番目までが費やされている。
 また、金代の演劇には『打青提』(青提は目連の母の名)と題されるものも
あり、そのタイトルから やはり母親が地獄で受ける責苦の数々を描く
ことに重点を置いたものであると推測されている。
この『打青提』の系統の演劇は その後も好まれたようで、明の嘉靖・
万暦期(1522〜1620)の初めにも、『青鉄劉氏游地獄』という演目が
あり、同類の演劇のようである。
 また,今日でも上演される,福建省泉州の木偶戯における『目連救母』
は、いっそう執拗に残酷で、母親は、石臼でつぶされ、刺又で刺され、
蒸し器に入れられ、刀でめった切りにされ、再び石臼でひかれ、最後に両目を糞で塞がれる、という。

 では、この地獄巡りという一見したところ現実の生活とは何の関係も
ない、荒唐無稽ともいえるモチーフには いかなる意味あるいは魅力がある
のだろうか。
 従来 研究者たちは、〈目連救母〉が元来は仏典の中の話であったこと
などを踏まえながら、このモチーフは 地獄の恐ろしさを知らしめて善
を積むことを勧めるためにある、などと考えてきた。
 しかし、〈目連救母〉が、仏教的な信仰の場から ある程度離れて
芸能化し世俗化しても、この部分は変わらないどころか、むしろ母の
悪行が強調されるとともに地獄巡りと責苦の描写がくどくなり明らかに
物語の中心をなすようになった という歴史的な変化は、こうした従来
からの説では まったく説明できない。

 なぜ、荒唐無稽かつ残忍すぎるように見えるこの場面が かくも好まれ
たのか。
 まず言えるのは、物語の最も表層の部分は 母を救おうとする親孝行
な行為に終始するのであるが、その具体的な行為としての「地獄巡り」
は、道徳的規範に則った行為というよりは、最愛の人を探し求める、
より深い愛の行為であると感じられる、ということである。
 地獄という舞台は、森や山、あるいは海と同様に、日常世界とは
異なる、より深いレベルの感情、とりわけ 母への感情を表現するに
ふさわしい。そして、この非日常的な舞台において母を尋ね歩きながら
母には あと一歩のところで出会えない、というモチーフが繰り返される
ことによって、目連が探し求めているものが、そう簡単には得ること
のできない貴重なものだという印象がいっそう強められる。
 地獄において、最愛の人を取戻したいが取戻せない、というモチーフ
は、古代ギリシア神話の『オレフェス』や『古事記』の「イザナギと
イザナミ」など長く語り継がれてきた物語にもみられる。
〈目連救母〉もそうした文化を超えた普遍的なモチーフによって、
最愛の人に辿り着きたいという 普遍的な感情を描いているのだと思われ
るが、〈目連救母〉においては その普遍的な愛の感情の正体が より直裁
に示される。それは、「乳哺の恩」(授乳してくれた母の恩。「乳哺懐胎の恩」
という表現もみられる)という、すでに『仏説盂蘭盆経』にみられ、その後も
よく使われる表現に直接的に表されているように、子と母の原初的な
関係における愛情にほかならない。あるいは、目連が責苦に苦しむ母の
身代りになって 自らが地獄に堕ちたいと願うモチーフがよくでてくる
が、これもまた 目連にとって 母が一心同体の原初的な関係にあること
が示されているように思われる。そのような愛し愛される最も基本的な
愛情関係に立ち返りたいという、決して果たされることはないが切実な
欲望が この地獄巡りには見事に表現されているといえるだろう。

 しかし同時に、この地獄巡りにおける母に対する責苦の残酷で執拗な
描写に接すると、そこには、母を罰したい、攻撃したいという欲動が
あることが感じられる。
プロットの表面上は 目連が地獄巡りをするのは母を救うためであり
ながら、説話的・演劇的に実際に表現されるのは、地獄で過酷な懲罰を
受ける母の姿であり、その描写が〈目連救母〉という説話・物語の
クライマックスであるのは明らかである。
 逆に、母が最終的に救済されるシーンは ごく簡素であり、救済な形態
も、人間に戻ってから忉利天に昇ったとか勧善夫人に封じられたとか、
演目によって様々で、おざなりな印象は拭いがたい。
 要するに、〈目連救母〉を貫くのは、すでに死んだ母が地獄で苦しみ
続ける様を見て楽しむ、というかなりサディスティックな嗜好であり、
それゆえに〈目連救母〉とは 一種の「母殺し」の物語なのだ とさえ
いえるだろう。

 ちなみに、母殺しの物語として著名なものとして、『阿闍世』が
ある。これも古代インドで行われた物語で、東アジアでは仏典を通して
知られた (なお、この物語にも目連が登場する)。仏典によって プロットが
かなり異なるが、精神分析の日本におけるパイオニアである古澤平作と
その弟子の小此木啓吾は、おおよそ次のように語り直している。

  王の妃・韋提希は三年後に仙人の生まれ変わりを出産すると知った
 が、待ちきれずに仙人を殺してしまった。かくして生まれた阿闍世
 に対して 両親は恐れて殺そうとして失敗する。成長した阿闍世は、
 知人からそのことを聞かされ 唆されて 父王を幽閉し何も食べさせ
 なかった。ところが、母は秘かに全身に蜜を塗って父に舐めさせた
 ので、父は生き延びた。そのことを知った阿闍世は震怒して、母を
 殺そうとするが、大臣らに諭されてかろうじて思いとどまる。
  そして 阿闍世は 父を殺害して王となる。しかし 阿闍世は 父を
 殺したことを後悔し、そのあまり全身が腐り始めた。母が懸命に
 看病してくれたが治らなかった。そこで 母は釈迦に救いを求めて
 その教えに触れた後に、再び看病すると、阿闍世は、すっかり具合
 がよくなり、偉大な王となった。

 古澤平作は、この『阿闍世』を分析して、この物語の中に フロイト
のいう、父を殺害し母と結婚しようとして果たせない「オイディプス・
コンプレックス」の深層にあるものとして、よりいっそう濃密な母への
情動、すなわち 原始的な口愛サディズムとしての母殺しの欲望と、
にもかかわらず 母に許されたために生じる原初的な罪悪感とを見出して
それを「阿闍世コンプレックス」(阿闍世錯綜)と名づけた。
 〈目連救母〉もまた、残忍な攻撃性を包含する、母への深い愛憎を
表現したものなのだから、古澤の古典的な説に則るならば、一種の
「阿闍世コンプレックス」を表現したものだといえよう。
しかしながら、〈目連救母〉は このコンプレックスの内実がより根深い
由来をもったものであることを示していると考えられる。とりわけ、
目連が差し出した飯を母親が口にしようとすると飯が忽ち猛火となって
炭となるという、数々の〈目連救母〉において たいていは登場する
モチーフは、この原初的なコンプレックスの内実をよく描いている。
 一般的にいって母親は、「乳哺の恩」を子どもに施すのであるが、
逆に 母乳や食べ物を十分に与えられなければ、子どもにとって それは
何よりの苦しみであり 激しい怒り・失望を引き起こすであろう。
〈目連救母〉にあっては、まさに この母の「乳哺の恩」が語られながら
も、十分に「乳哺」されなかった原初的な怒りが、母が食べられず飢え
て苦しむ、という主客の転倒によってルサンチマン的に表現されている
のだと思われる。
 最初の『仏説盂蘭盆経』において すでに母が、飢えに苦しんで骨と皮
だけになって痩せこけて餓鬼となっていることもまた、この主客転倒
のルサンチマン的表現ととらえることができよう。
つまり、十分に授乳されなかった苦しみを母親にも味合わせようという
無意識的な復讐の欲望が充足されている、ということになる。
換言すれば、この〈目連救母〉のモチーフとは、忘れられたはずの、
最も原初的な母子関係における子どもの貪婪な口唇的な欲望と怒りの
再演なのである。
 因みに、盂蘭盆で 飲食を供する対象は 元来は現世の僧衆であったが、
いつの頃からか日頃 冥途で腹を減らしている亡霊に代わっていく。
このことからも、〈目連救母〉が口唇的な貪欲さをテーマにしている
ことがわかる。

 子どもから母へと投影された、口唇的な貪欲さが満たされない苦しみ
は、例えば、『広州民間故事』の中の「羅卜的母親」という民話に
とくによく表現されている。

  羅卜は生まれながらにして 精進料理しか食べなかったのだが、
 その義母は 義理の子どもたちに酷薄で、色々と悪さをして人に
 恨まれて死んだ。羅卜は 地蔵王となって この義母を九層地獄の
 さらにその下の刀山で刺されているのをみつける。閻王は 地蔵に
 免じて 彼女を生まれ変わらせることにする。豚に生まれ変わっては
 どうかと言うと 彼女は人に殺されるからと嫌がり、犬なら人に
 嚙みつけるから犬がいい、といって犬に生まれ変わった、という。

 このように、この民話は、最初から最後まで口唇的なモチーフに
貫かれているのであるが、それは母親よりも乳幼児の欲望のありかたに
ふさわしい。〈目連救母〉の中には、母親を「糞池地獄」に堕とすもの
さえあって、これも極めて幼児的な憎悪の表現だと思われる。


(3)原光景の再演

 つまり、地獄巡りのモチーフには、自らを生み 食べさせてくれた最愛
の人と再会したいという欲求と その同じ人物に サディスティック に復讐したい
欲求という相反するかのような原初的な愛憎が満ちているわけだ。

 そして、さらに、この強烈な アンビヴァレンス の根底にあるのかもしれない
もう一つの隠されたテーマが〈目連救母〉にはあるように思われる。
それは、母親が 女として 夫(あるいは他の男)と性交していることを目撃
した幼児の複雑な感情である。
当然ながら、プロットの表面にあっては、母親は性交したりはしない。しかしながら、彼女が地獄で峻烈に罰せられることになる「罪」とは
性交したことであることが 随所に暗示されている。当初、目連の母の
罪は「慳貪」「慳妬」などと抽象的に表現されるにとどまっていたが
(抽象的だからかえってその罪の中身が気になるわけだが)、時代が下って
物語が膨らんでくると、彼女の罪が具体的に描写されるようになる。

 よくあるのは、目連が依頼した僧侶への伽を怠ったこと、夫の喪の間
に誓いを破って肉食をしたこと、僧侶を罵ったこと、などである。
だが、これらの「罪」は、彼女の苦しむ過酷極まる「罰」と釣り合う
ほどの「罪」ではないはずだ。
にもかかわらず、彼女が過酷な罰を受けるのは、実は他の罪、すなわち
姦淫の罪を犯しているからなのだ、と考えられる。
 プロットの上では、管見の限り、母親が姦淫をしたという記述は
ただの一度もないのだが、しかし 姦淫が重い罪であることは 通常の仏典
以上に〈目連救母〉には執拗に描写されていて、例えば、『大目乾連
冥間救母変文』では、銅柱鉄床地獄という地獄の説明として、「 世に
あるとき、女が男を、男が女を誘って、父母の床にて淫行をなし、また
弟子が師の床で、奴婢が主人の床で淫行をなして、この地獄に堕ちる
のだ 」とされる。
父母の床にて淫行をなす とは 字義通りには 息子・娘たちの淫行を
さすが、言葉の効果として「父母の淫行」を想起させる。
また「 女はその血で日月星を汚すので血の湖に陥る 」(『目連救母勧善
戯文』)といった「血の池地獄」についての表現にみられるように、目連
の母が地獄に堕される原因となった罪は 血の穢れのためとされることも
多い。
 血の穢れ故に 女は地獄に堕ちるという発想は、近世以降の〈目連
救母〉だけではなく、十世紀の『血盆経』の影響などによって 近世中国
には広くみられたようだ。血の穢れとは、もっぱら、月経や出産、産死
や堕胎といった女性の生殖に関わる事象を指しており、このことからも〈目連救母〉にあっては、明言はされていないが、母親の姦淫が何より
の罪とみなされていたことを暗示しているように思われる。
  さらにつけ加えるならば、「地獄巡り」の中で、劉氏は しばしば蛇身
に変じているが、世界の多くの文化圏と同様、中国の神話・民話世界においても、蛇は しばしば淫乱な女の隠喩的な象徴である。

 ところで、フロイトによれば、ある時期の子どもには「 自身の極めて強い性的好奇心の的である母親が ひそかに不実をはたらき、秘密の情事
にふけるといった状況を想定することによって 快を味わいたいという
思い 」があって、そのために性愛的な要素の強い、様々な「家族物語」
を空想するのだという。
〈目連救母〉にあっては、母親の「秘密の情事」が、彼女が地獄に
堕とされた理由として暗示されるばかりではなく、その情事そのものが
実は かなりあからさまに描かれている。それは、〈目連救母〉の中核的
モチーフであるところの、劉氏が地獄で責苦を受けるシーンである。
子どものファンタジーの中では、目撃した両親の性交を父による母への
いじめ・暴力であると しばしばみなしていることは 広く知られているが、目連の母が地獄で苦しむさまは、観る者のファンタジーを刺激して
母(と父)の性交、つまり いわゆる「原光景」をはっきりと暗示している、
と思われるのである。
 目連の母は、ほとんどの〈目連救母〉において、地獄で太い棒状の
もの(太い釘や棒)で刺し貫かれるのであるが、これはより端的に性交を
想起させる。例えば、『大目乾連冥間救母変文』では、目連が母に最初
に再会するとき、母は次のような状態であったという。
「 その身は上から下まで四十九本の長い釘で鉄の床に打ちつけられて
応えることもできなかった 」
先に引用したフロイトの図式に則るならば、母親(と父親)の性交への
好奇心と怒りとが、〈目連救母〉における地獄巡りにおいて母が過酷
に罰せられる苦しみに悶えるという、サディスティックかつ性愛的な
ロマンスを生み出し享受し続ける原動力となった、ということになる。
  1950年代頃まで上演されていたという、川劇の目連戯は、さらに
あからさまで、目連の母は、首の両側、両脇下に加えて、股の間も
挿し􄼹に刺されており、この場面に「打􄼹」という名前がつけられて
いることからも、一つの見せ場であったようである。

 なお、先の『阿闍世』は〈目連救母〉よりも、父母を殺害しようと
する欲求をあけすけに言明することをはじめ、全体に偽装していない
率直な物語といえるが、とくに母への直接の殺意が、父母の性的な関係
に由来することを、やはり明確に語っている点が興味深い。
 阿闍世によって幽閉された夫を助けようと阿闍世の母は、全身に蜜を
塗って夫に会いに行き その身体を舐めさせるのである。この端的に性的
な行為を知った阿闍世は震怒して母を殺せと家臣に命じるのである。

 こうしたことから、我々は端的にいって、〈目連救母〉における地獄
での責め苦のシーンは、母の情事│そして父母の情事│の隠喩的表現
という側面をもつと考えることができる。
〈目連救母〉の聴衆・観衆 は、母の性交を覗き見する快楽と それを
罰する悦楽とを楽しんでいる、というわけだ。


                (続)
目連救母の精神史
中国文明における母殺しの彼岸
                       川田耕
一 はじめに

〈目連救母〉は、中国文明における、「母」なるものをめぐる、闇のなかに
沈む精神史を浮かび上がらせるものである。
目連という名の仏陀の高弟が亡母を地獄から救済するという 西晋(265〜316)
にまで遡ることのできる古い起源をもつこの物語は、東アジアで広く行われ
てきたいわゆる「お盆」(盂蘭盆会)の由縁となった説話である。

 近世以降(=宋代以降)になると この説話は演劇としても発展し 全国各地で
上演されるようになり、上は 清代の宮廷演劇の代表作になるほどの大演劇
になり、下は 南方の中国を中心に農村部で広く演じられるなど、中国文明
を代表する演劇にまで成長する。

 しかしながら、〈目連救母〉は 通常の演劇とは 大きく異なる特殊な演劇
である。それは、この演劇が 多くの地域で 夜間にのみ演じられたことに
よく現れている。
例えば、安徽の蕪湖一帯では 冬期に 一夜あるいは三夜か七夜かけて上演されまた紹興では 三夜かけて上演され「夜の目連夜の鬼」ということわざもある
という。
 この「夜の演劇」は、表面的には、あらゆる犠牲を惜しまずに 母を救おう
とする健気で偉大な親孝行の物語のようであって、その内実を分析すると
見えてくるのは、血なまぐさい死に方をして幽鬼となった者への恐れであり
あるいは、亡母が地獄で責め苛まれる様を楽しもうとするほどに残忍な、母親
への秘められた ルサンチマン などといった、いわば「闇」の精神なのである。

 本稿は、他の文化・文明圏以上に早くから 国家化・集権化され高度に
文明化されていったはずの近世の中国社会の裏で、どのように 人々の闇の
精神史が展開していったのかを示すべく、およそ千七百年にわたって様々に
変奏されてきた、この〈目連救母〉の歴史的発展を跡づけながら、その内実
において表現されているもの、とりわけ 人々の母なるものに対する深く暗い
アンビヴァレンツとそれを乗り越えていく過程を分析的に明らかにしようと
するものである。


二 〈目連救母〉の起源

 今日記録に残っている最初の〈目連救母〉の物語は、西晋時代のものと
される『仏説盂蘭盆経』という、全文八百字余りのごく短いものである。
よく知られたものだが、その前半の概略を示す。

  ある時、仏陀は舎衛国の祇樹給孤独園におられた。大目乾連は六つの道
 に通じたので、父母を済度して 乳哺の恩に報いたいと思った。そこで、
 道眼をもって見たところ、亡き母が飢鬼の世界に堕ちて、飲むことも
 食べることもできずに骨と皮だけになっているのが見えた。目連は
 悲しんで、鉢に飯を盛って母のもとへ行った。しかし、母がそれを口に
 しようとした途端に、飯は燃えて炭となって食べられなかった。

  目連は泣き叫んで、仏陀に助けを求めたところ、仏陀は仰られた。
 「 おまえの母は罪が深く、おまえ一人がどんなに孝順であっても、天地
 の神や邪魔外道であっても、どうすることもできない。十方の僧たちの
 偉大な力を借りれば解脱することができる。七月十五日の、十方の衆僧の
 自恣(夏の修行)が終わる日の相互批判の行事の日に、七世の父母と現在
 の父母のために、百味の食事と五種の果実とを盆中に入れ、香油・蠟燭・
 敷物・臥具などこの世で最上のものをそろえて盆の中に入れて、十方の
 大徳の衆僧を供養せよ。そうすれば、現在の父母から七世の父母、そして
 六種の親族までも三途の苦から脱出し、無量の快楽を得るであろう。」

  仏陀は「 さっそく十方の衆僧に、施主の家の七代の父母のために祈願
 し、食を受けなさい 」と命じた。
  目連も集まった菩薩たちも大いに喜び、目連の母は一劫も続くはず
 だった餓鬼の苦しみから逃れることができた。

 これは「原・目連説話」というべき記述で、誰であっても 七世の父母を
救うために自恣の日に衆僧に施しをするべきことを仏陀が説いた後半の部分
も含めて考えれば、この『仏説盂蘭盆経』とは、親孝行の話であるという
よりは、むしろ、僧侶に布施をすることを勧めながら 盂蘭盆会の由縁を説く
ことに重点があることがわかる。
 実際、隋唐代には この説話と結びつきながら 盂蘭盆会が、皇帝を施主と
するものをはじめ、盛んに行われたそうだ。

 偽経もふくめて インド・中国の仏典は 想像力豊かな物語の世界的な宝庫
であるが、後世にいたるまで語り継がれ発展した物語はごくわずかである。
その中にあって、この「原・目連説話」は その後 流行したようで、敦煌石窟
で発見された文書には、いわゆる「変文」(仏教伝道のために絵を示しながら唱った
ものの台本で、この唱導芸能は 唐代中期から盛行)をはじめ 講経文・縁起など様々な
形態の、説話としては 最多の十六点もの目連説話が確認されており、数ある
物語のなかでも、目連の物語が かなり広く行われていたことを伺わせる。

 その一つである『大目乾連冥間救母変文』は「変文文学の白眉」とされ、
その後の〈目連救母〉の最も有力な原型となったようである。ここでは 
その梗概を紹介しよう。

  そもそも 七月十五日は、衆僧の自恣の日で、盂蘭百味(盂蘭盆で備える
  食べ物)を三尊にお供えすれば、倒懸(地獄で逆さ吊りにされること)の
 苦しみが救われる。
  仏陀が世におられた時、弟子の目連と申すもの、出家前の俗世では 羅卜
 と名乗っていた。ある時、商用で遠方まで旅に出ることになって、羅卜は
 財産を母に預けて、仏法僧はもとより 乞食にも施しをしてほしい と母親
 に言い残して出立した。ところが、母親は慳貪の心を起こし、財産を隠匿
 してしまった。
  羅卜が帰ってくると、母は「 お前の望み通り斎を設けて善業を積み
 ましたよ 」と言って聖人を欺いたため、命が果てて 阿鼻地獄に落とされ
 て苦しみを受けることになった。
  羅卜は 三年の喪に服した後、仏陀を頼って出家し、阿羅漢となり、目連
 と名づけられた。そこで、神通第一の天眼をもって 天宮に父母を訪ねた。
 在世の時に 十善五戒を修めた父は すぐに見つかったので、母の行方を問う
 と、「 生前の罪が多かったので、地獄に堕ちてしまった。閻浮提の冥土
 魔獄を尋ねるとよい 」と父は応えた。
  そこで、目連は 冥府へ向い地獄を巡ることになった。目連は、閻魔大王
 に会い、地蔵菩薩に母の行方を問い、奈河のほとりで死者たちに母の行方
 を問うが、わからない。 五道将軍に問うと、母青提夫人は 阿鼻地獄に
 連れていかれたという。そこで、目連は、刀山剣樹地獄から銅柱鉄床地獄
 をへて、夜叉王のもとにまでいくが、それでも母はみつからず、目連は
 世尊のもとに帰って、母が阿鼻地獄で苦しんでいるらしいことを訴える
 と、世尊は錫杖を授けてくれた。
  目連はその威力をもって阿鼻地獄の鉄城に到着した。第一の隔から
 尋ねて、ようやく第七の隔で、母を見つける。母は、千年の罪により、
 口より千回も舌を抜かれ 胸は百回割られ、骨も筋も断たれ、千度も死ん
 では蘇らされ、七つの穴から血の汗を流し、口からは猛火をはいて、骨
 と皮だけになっていた。
  目連は母に代わって苦しみを受けることを申し出るが、獄主が許さない
 ので、目連は再び世尊に助けを求める。世尊が自ら地獄に入ると地獄は
 崩壊して罪人はみな昇天するが、目連の母だけは罪が重いために、餓鬼道
 に留め置かれる。目連が飯の鉢を与えると、母は横取りをされてはならぬ
 と、左手で鉢を塞ぎ、右手でつかみ喰おうとする。すると飯は口に入らぬ
 さきに猛火となって燃えてしまう。
  悲嘆にくれた目連が 再び世尊に訴えたところ、世尊は「 七月十五日に
 盂蘭盆を盛大に営めば、飯を食べられるであろう 」と言った。
 そこで、目連は 王舎城のほとりで盛大に盂蘭盆を営んだ。すると、母は
 飯を食べられるようになり、転生して 王舎城の黒犬になり、便所で人の
 不浄を食べていた。目連が仏塔のまえで、七夜大乗経典を読み懺悔念戒
 をしたところ、母は女人の姿を取り戻し、天女たちに導かれて、忉利天に
 迎えられ、安楽を享受することになった。


三〈目連救母〉の深層へ

(1)目連の道徳性
 〈目連救母〉は、このように、死んで地獄に堕とされた母親を懸命に
 救おうとする息子の話であり、一般の人は これを息子の母への偉大な孝行
 の話とみなして少しも疑ってこなかったようだし、研究者も「目連戯」
 には 済度・鎮魂(とくに女性と非業の死をとげた人の鎮魂)の意義があるなどと
 してきたが、これも要するに 母親の救済という主人公目連の親孝行な意図
 の延長線上での解釈である。
  確かに、目連の行為は 終始一貫して道徳的で、その傾向は 近世以降
 いっそう強まりゆるぐことがない。〈目連救母〉は 近世以降には、寺院
 における講唱といった仏教的な場面を離れて、『東京夢華録』にある
 通り、盛り場でも演じられるような一般民衆向けの芸能としていっそう
 よく知られた物語になっていく。
 吉川良和が「 中国の目連物は、変文の世界が持っていた目連の超人性が、
 宋代ぐらいから変質し、わが国の孝行息子形と類を同じくする 」と言う
 ように、この近世の目連は、父の遺志を忠実に守って善行を積み、また
 母を懸命に救おうとするのであるから、家父長制的なイデオロギーに
 より忠実に沿う道徳的な人間になっている。

  一般的に言って、社会が集権化の力学のなかで文明化していくと、人々
 の「超自我性」が高まる、つまり両親の教えや社会からの要請に忠実に
 応えようとする強迫が高まる傾向がみられる。
 中国にあっても いわゆる「近世」、すなわち宋代になると、貴族の没落等
 を背景として、皇帝を頂点とした著しく中央集権的な国家が形成され、
 そのなかで、一元的な認識と強い規範的体系をそなえた、いわゆる宋学が
 形成された。
 より民衆的な心性を表しているであろう、当時の代表的な芸能である雑劇
 や説話の類をみても、元雑劇の代表的悲劇である『竇娥怨』(無実の罪で処刑
 された女が幽鬼となって復讐を遂げる話)や「包公説話」(清官の包公が 不当に陥れら
 れた庶民を救い悪人を罰する話)などに典型的に現れているように、主人公たち
 は以前の時代の物語に比べて、より健気で曲ったことをしない、道徳的で
 超自我的な人間として描かれるようになっている。
  かつて、マックス・ウェーバは、中国文明の本質を捉えようとして、
 「 徳が絶対に全能なのだという教義 」の重要性を指摘したが、これらの
 物語が示しているのは、まさに「徳」が すべてを解決するという願望で
 ある。〈目連救母〉における目連という主人公も、宋代以降には、より
 いっそう「徳」に満ちた超自我の強い性格として造形されるようになった
 のである。

(2)地獄巡りの心理学
  しかしながら この話を多少なりとも分析してみるならば、〈目連救母〉
 の核心部分は、主人公目連が 一貫してゆるぎなく超自我的であるにも
 関わらず、「孝行」や「済度」「鎮魂」ではとうてい説明できず、むしろ
 そうした社会規範からは 大きく逸脱するものであることがわかる。
  すなわち〈目連救母〉は どの ヴァージョン においても母親が地獄で様々な
 責苦に苛まれるシーンが 明らかに物語のクライマックスになっており、
 その描写の内容と執拗さをみるならば、それがサディステッィクで性愛的
 ですらある嗜好によるものであることは 容易に感じとれる。
 つまり、一見したところの道徳的な振舞いの裏側には、それと相反する
 ような情動が蠢いていることが読みとれるのである。

  この、いわゆる「地獄巡り」のモチーフは、〈目連救母〉の最初から
 中心的であったわけではない。『仏説盂蘭盆経』においては、話の中心
 にあるのは、目連の懇願に応えて母を救ってやる仏陀の偉大な慈悲で
 あり、また盂蘭盆会の縁起を説く部分であって、母が地獄で苦しむ様子は、
 痩せ衰えた母が飯を食べようとした途端に燃えて炭となったという例の
 モチーフぐらいで、他には描写されていない。
  ところが、先にみたように、唐代の変文では すでに「地獄巡り」は長く
 なって、そこで母が苦しむ様子も執拗になっている。
 例えば、『大目乾連冥間救母変文』の次のような箇所である。



                 (続)

小室直樹 - 「日本教」



     



     [桜H26/2/8]
      稲田朋美(弁護士)潮匡人(評論家)遠藤浩一(評論家)
      高森明勅(拓殖大客員教授)富岡幸一郎(関東学院大教授・「表現者」主筆)
      橋爪大三郎(東京工業大教授)秦郁彦(日本大講師・現代史家)
      松本健一(評論家・麗澤大教授)       司会:水島総
    
   
          


  岩上安身の島根大・大阪工業大名誉教授 井上寛司氏インタビュー
        1日目 古代編  2016.11.22
      

       吉田兼倶による神道理論の体系化、その意義とは?
       2日目(中世・近世編)  2016.11.23
      

       3日目(近代・現代編) 2016.12.15
      




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