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八体地蔵を右折れ(東行)して100米程行くと、瀬戸川を跨ぐ小さな石の橋がある、その橋の手前を右に入った所が寂庵である。月に一回のお説教には遠く地方から人が集まって来られる。
又もとの道を東に300米程行くと、大通りと交差するバス通りだ、京都バスが通っていて、ここは大覚寺道停だ。右は嵐山経由京都方面行き、左は、弁天前、鳥居本、愛宕念仏寺を経て清滝へ行く。この広い通りは、昔京福電鉄の清滝行きの電車が通っていた跡だ。この角に湯豆腐の美味しい「ちくりん」がある、嵯峨には豆腐やさん(製造元)が沢山あるが、どこも美味しい、嵯峨の水が美味しい為だろう、だが湯豆腐は店によって味が違う、それぞれ個性が出ている。
嵯峨野巡りの地理は、この(「ちくりん」]のホームページにある地図を見れば良く解る。 この角から10分程東に行った所に大覚寺がある。正式には「旧嵯峨御所大覚寺門跡」名前の通り嵯峨天皇の離宮跡である。のちに正子内親王(淳和天皇の皇后)が父嵯峨天皇の供養の為お寺に改修したのが始めと言われる。又半世紀にわたり南北(朝)に分裂していた天皇家(朝廷)の両朝合一の和議が成立した講和の場所がこの寺の正寝殿と言われる。
万灯会8月20日 大覚寺を出て右(西)側の道を少し行って(先きた道を50Mほど戻ることになる)北へ行くと田畑が広がるのどかな道に出る、その道を10分程歩いた竹林と木々に囲まれた静かな佇まいの庵、が、直指庵だ、
中国から、日本黄檗宗の禅開僧、隠元禅師を招き教えを受けた独昭性円(どくしょうしょうえん)が、黄檗宗の正統を「直指伝心」するということから建てた寺である事から(直指庵)と称される、その後多くの伽藍が建つが、明治13年(1880)に焼失する。その後尊王攘夷派の公家、近衛に仕えていた津崎矩子(村岡局)が再建(今の草庵)浄土宗の庵寺となる。村岡局の墓が境内にある。晩年里の子の教育に尽くした彼女の功績を称え、大覚寺の大沢の池畔に石碑が建ち、先に紹介した亀山公園に、銅像が建てられた。
又ここ直指庵は、現代の駆け込み寺とも言われて、本堂の控えの間に置かれている[想い出草]のノートに,女性の日頃の悩みや苦しみが書き込まれて来たが、最近はノートにもきれいな表紙が出来て、訪れる人も、若い女性観光客がほとんどで、内容も嵯峨野巡りの楽しい一日を書き残す人が多くなっている。この[想い出草]ノートは、境内にある「想い出草観音菩薩」像から名付けたものだろう。座敷から庭園を眺めながら、想いに耽るのもまた心が和む・・・・ 「窓近き竹の林は朝夕に心を磨く種とこそなれ」(津崎村岡) 秋は紅葉がきれいである。竹林も美しい、・・・ 。 |

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