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赤坎散策 本編です

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今日は、ちゃんと写真あっぷできそうです。

350年以上の歴史を持つ、”騎樓”の立ち並ぶ赤坎古鎮ですが
よく映画の撮影にも使われているようです。

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しかしこの通りの店、みんなクローズしててゴーストタウン状態なんです。

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ここは、市場があった(ある?)建物のようです。3件ほどお店が開いています。

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看板犬もいます。

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見上げると、なかなか凝った意匠の建物です。
関氏と司徒氏という2代勢力が競うように開発した名残を見ることができますね。

実は、この古い街、近々リノベーションされるんだそうです。

近くに「グランドマスター」(一代宗師)等々の映画のロケに使われた
赤坎影視城というところがありますが、こちらも改修中のようでした。

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柱に書かれた店名から、どんなお店があったのかがわかります。

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通路部分の天井にも、装飾があります。

ひと気がなくて、異次元かパラレルワールドにいるような不思議な気分。
その昔の華南の街にタイムスリップした気になれました。

きっと今度来たら、ピカピカの遊園地のような観光地になっちゃってるんだろうな。

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ここは、リアルに活動していると思われる場所。少年宮です。
中国の少年少女の課外活動の場です。今でもあるんですね〜。

赤坎古鎮予告編

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今日は、開平のあとに訪れた赤坎古鎮の様子をupするつもりだったのですが
写真をあげるとグルグルが延々と続き何も出て来ず、諦めたころ
やっと一枚できました。

疲れたので今日はここまで。

YAHOO Blogダメなんですかね〜、それともウチの問題?(泣)



開平訪問記2

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開平楼閣を訪問後、煲仔飯のランチ予定でしたが
楼閣近くのお店は、どうやら夏場はやってないようで閉店状態。

そこで、プラン変更で街の餐廳へ。

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お昼時を大きく回ってて、店内はひっそり。
でも、こちらのガチョウの滷味美味しかったんですよ。
さすが広東のお味!

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こちらの海苔のスープもね。さすが珠河デルタ。

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こんなローカルなレストランでも、 Free Wifiがあります。

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実は、香港から開平までって、東京から浜松ぐらいまでの距離があります。
移動中の車窓から、深セン、南沙、珠海、中山という大きな街を見ることが
できました。思った以上に発展した街、次々と建てられていく高層マンション。
広い高速道路。フリーの運転ナビアプリ。

インフラがすすんでも、人々が豊かになっても、様々な矛盾をはらんだ国ですが、
良しにつけ悪しにつけ、日本の報道では見れないこの国の姿を
垣間見ることができました・。

いろんな意味で、日本人は世界を知らず、内向き志向におちいってる。
私ももっと外に出て、世界を知らなければならないことを実感しました。

開平訪問記1

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遅くなりました。8月の開平訪問の記録です。

開平楼閣と村落は、広東省唯一の世界遺産です。
この街出身の華僑や香港・マカオ住民は75万人を数えるそうです。

故郷に戻った華僑が競うように作ったのが、碉樓と呼ばれる
東洋風とも西洋風ともつかない、この不思議な建物です。
社会的な混乱があった19世紀末から20世紀初頭が、最盛期でした。

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この楼閣群、映画の撮影に使われることも多くて、「グランドマスター」にも
登場します。

以前から行って見たかったんですが、広州からでも意外と遠く
短い滞在でどうやっていこうかと思ってたのです。

数年前に某現地発着ツアー手配会社に問い合わせを入れた所
その時は他に希望者がなくて、結局行けずじまい。

で、今年はネットで検索したところ、STW Resort & Weddingという
旅行会社を発見。香港支店の石井清史さんに、香港からの開平行きの
日帰りツアーを催行していただきました。

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開平の楼閣群は自体は世界遺産とはいえ、ずいぶんのんびりとした感じでした。
見学ができる大きな建物の中は、ひっそりとしています。

その建物の周りは、いまでも農民の人たちの生活が続いています。

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観光地としては、まだまだ洗練されていない感じでしたが
今やディズニーランドと化しているようなところと比べたら
とっても素敵。

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年に一度は、今まで行ったことのない土地に足を踏み入れることを
自分に課しています。

でも、今年に入っていろんなことで忙しく、以前のように自分で
調べる時間も自力でたどり着く気力もなく、
かといって、人手に頼って旅する自分に対する罪悪感を感じていました。

結果的にはすごくよかったと思います。やはり、地元や国の事情をよく
知る方と一緒に行けることは、貴重な体験になりますね。





私が初めて降り立った海外の地は、上海でした。それも、晴海から3日がかりで船で行った上海。
1981年3月のことでした。
 
朝起きると揚子江河口付近に船が近づき、それまでネイビーブルーだった海の色が、河から流れる
水と混じった濁った茶色になっていました。
 
団体行動で、上海の学校を訪問したり、上海雑技団を見たり、動物園でパンダを見たことぐらいで
あまり街の様子は覚えていません。その時の写真の中にも、上海の街の様子はみあたりませんでした。
中国の開放政策が始まったころとはいえ、まだまだ人々は人民服姿で街の百貨店ではショウケースに
品物が並んでいますが、手に取ることはできず欲しいものはたのんで出してもらい、お支払いは紙を
持ってお支払いの場所へ、なんて感じだったのを覚えています。
 
その後、上海の地を踏んだのは、1994年12月。当時の地図を見ると、初めての地下鉄路線がまだ工事中。
社会主義市場経済体制の元、街の様子はだいぶ賑やかでしたが、まだまだ発展途上。マックやケンタッキーが
進出し始めたころで、行列ができていました。スタバはまだなし。普通においしいコーヒーを飲むために、
ホテルに行くって感じでした。
 
そして、3回目の上海は2005年8月。すっかり発展した上海を目にしました。
 
1994年12月当時の外灘の様子はこんな感じ。
 
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そして2005年8月の外灘。
 
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ビルが増え、冬と夏というさもあるかもしれませんが、人々の様子も明るくあかぬけた感じをうけました。
 
そして、1994年当時の浦東。
 
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何にもありませんが、明珠台のタワーだけが出来上がっていました。
 
2005年の上海。もちろん、高層ビルが立ち並ぶ浦東。でもこの写真も、すっかり昔の写真になっています。
“せんぬき”ビルがありませんよね。
 
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開放政策の先鋒として、急激な発展を遂げた上海。この30年あまりの変化は、日本の戦後30年あまりに
匹敵するだけの変化であったことでしょう。政策も思想も経済も、考えられないくらいの変化があったでしょう。
 
そして、上海万博が開幕。いろいろな報道がありますが、おもしろいなあと思ったのは、街中の洗濯物の話。
相変わらず、街中に洗濯物だの布団だのを干しまくっているようで、政府からの指導が出ているらしいですね。
 
1994年当時、モダンな花園飯店を望む街中に、どうどうとパンツ干してあったのを思い出しました。
スローガンと、パンツと、花園飯店の取り合わせが面白くて、写真撮ってました。
外からやってくる思想や経済なんかは変わってしまうものですが、人々の生活感や習慣なんていうものは
意外と変わらないものなのかもしれません。
 
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