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先週、大相撲の千秋楽に両国に行ってきました。
だから、いま両国と言われる下総の国隅田川の東側のことは
東両国、または向こう両国と言われる場所でした。
両国駅は、かつて千葉方面へのターミナル駅でした。ここから内房線、外房線の
特急・急行が出ていました。1972年に総武線快速が東京駅地下駅に開通して
以来、房総方面への特別電車が減少、1982年にはその役目を終えました。
現在居酒屋の入っているこの駅舎は、関東大震災で焼失した旧駅舎にかわって
1929年に営業を開始したものです。居酒屋の中に土俵があるらしいですよ。
普段は閑散とした印象の両国駅ですが、この日はさすがに大勢の人が。
両国国技館は、今場所は、白鵬の記録がかかっていたこともあって、
連日満員御礼だったようですが、外国人にも人気。国技館の外にも中にも
ちゃんこ屋にも、外国人観光客の方がいっぱい。
中国人、欧米人のみならず、私の隣の席には、モンゴルからいらしたと
思われる方が座っていました。モンゴル人力士の勝敗に一喜一憂。
実は私も、仕事の関係で南アフリカ人連れで行ったのですが、かなり
楽しめたようです。日本での異文化体験の、最たるものといえるでしょう。
それだけでなく、最近は女子にも人気のようですね。力女とかスー女とか
いうそうで、そういえば遠藤にお姫様だっこ、話題になっていましたねえ。
一緒に行った私の同僚ですが、相撲には興味がなかったけど、楽しめたようです。
お尻がかわいいって、いってました。
全勝優勝の白鵬、翌日の発言は物議をかもしていたようですが、
優勝インタビューでは、”強い男の影には、賢い女がいる。”と、奥様への
感謝も忘れていませんでした。連れの南ア人も共感していたようですが
こんなところが外国人にも女子にも人気が出てきたところの一因かも。
相撲は守るべき日本の伝統でありますが、ともすると閉鎖的という批判が
されがちですが、今や力士も日本人だけではありません。時代とともに変わって
いかなければならない部分もあるのでしょう。
千秋楽結びの取り組みに出た61本の懸賞金、これもそんな時代の
流れなのかもしれません。
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ちか旅
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先日、戸越銀座に行ってきました。
戸越の名前の由来は、ここが江戸越えの村だったからなんだそうです。
そう、ここから先、自分ちの方は江戸じゃあなかったんですねえ。
時々、テレビなどでも紹介される、東京一長い商店街、戸越銀座。
実は、関東大震災の後、この辺の低地を銀座の瓦礫を埋め立てたのが
始まりなのだそうです。そして全国にある「⚪︎⚪︎銀座」の始まりでもあるのです。
以前、地方からきた友人とこの辺を歩いたことがありましたが、
その人の地元の商店街は、閑古鳥がないている状態で、戸越銀座の
繁盛ぶりをみて、やっぱ東京だなあと感想を漏らしていました。
戸越銀座も、停滞していた時期もあったようですが、地元の人々の
努力によって地元だけではなく、遠くから人が集まるようになりました。
生活に密着したお店から、おしゃれな雑貨やレストラン、ちょっとあやしげな
ディスカウントショップなどなど、様々なお店があります。
昔ながらの荒物屋さんとか、おもちゃやさんとか、今では大型店に
席巻されて、他では見られなくなってしまったようなお店もあります。
フォトカノンっていう、オシャレな写真屋さんもあります。
私はそこに35mmフィルムを出しにいったのですが、カメラがらみの
雑貨や中古のフィルムカメラ、ギャラリーもあります。
江戸から昭和までの記憶を止める街、とでもいえるでしょうか。
それだけじゃないんですよね。別の広がりがある。それも世界中に。
龍輝の小籠包、美味しかったなあ。
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夜景撮影講座のため、晴海埠頭へ行ってきました。
この辺、以前は殺風景なところでしたが、今は立派なターミナルができて
周りに公園もあります。
この日は停泊している船もなく、ロビーはほとんどひとけがありませんでした。
”歓迎光臨”ってかいてあるバナーがぶら下がっているところを見ると、
中国から入ってくる船が結構あるんですね。
そういえば、以前は見本市会場といえば晴海でしたねえ。自動車業界の
社会人になった当初、モーターショーなんかここでした。
日中国交正常化してから'70年代後半に、大きな中国展が晴海で開かれたのを
を覚えています。そこで買ってもらった中国製の鉛筆の品質の悪いことには
びっくりしましたねえ。木の硬さが一定でなく、鉛筆削りでうまく削れないの。 でも、そこで手に入れた品々から漂う異国の感触や匂いに、刺激を受けたのを
覚えています。
実は私、初めて海外に出たのは晴海からだったんです。
高校生の時、東京都が高校生対象に2週間船上でで行う海外研修をしたんです。
それに参加して、中国に行きました。晴海から客船に乗り込んで中国へ。
それが初めての海外でした。
友達が見送りに来てくれて、船に紙テープ投げてくれたのを覚えています。
中国のものが入ってきたり、中国に出て行ったり。晴海は私の中華文化経験の
はじまりだったんですねえ。
船で中国行ったのは’80年代初めのことだから、そりゃ今と比べたら風景も
全然かわってますよね。バブルがあって湾岸の開発が始まって、’90年代
レインボーブリッジができたり、お台場や有明が発展したり。
東京湾の地理も風景も一変しました。
こんなことを考えながら、夜景を撮っていると、結局早く香港にいきたいと
思ってしまいました。変わらないもの、変わってしまったもの、変わって
しまうもの。早く写真に収めておかないと。
夜景撮影のコツも教えていただいたことだし、今度こそちゃんと三脚立てて
夜景撮るぞ!早く行かないと!
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最近なんだか、懐かしい物が眼についてしまいます。
浅草にいったからなのかと思いますが、浅草にはかつて見た懐かしい物が
いっぱい。
子供の頃の休日の記憶といえば、銀座や日本橋のデパートの屋上とか
レストランで食べたグラタンやパフェの味。
縁日の屋台や、近所の商店街のざわめき。
懐かしいものっていうのは、結局子供の頃見たり体験したりものなんですね。
さて、昨日銀座で見た懐かしいもの。
餃子で有名な銀座の天龍。ここは昔からのお店でありますが、
未だに昔ながらの厚紙のチケットを使っていらっしゃる。
レジで前払いでお支払いすると、昔の駅に置いてあったような
クリップがたくさん並んでいるような棚(?)から、挟まっているチケットが
はずされて渡されます。そのチケット、テーブルにつくや否やぴっと半分に
切られて、片方は厨房、もう一方はテーブルの上に残されます。
未だにこんなチケットを使っているお店があることに感心して
肝心の餃子の写真を撮ることをすっかり忘れてしまったのでした。
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黄金週も後半ですね〜。どこも観光地は人が出ているようです。
さて、久々に汐留のシティ・センターにいったら、見つけちゃいました。台湾めし。
店の名も、そのもの。「台湾担仔麺」。なかなか、他では見ない台湾庶民メニューがならんでおります。
干し豆腐と台湾ピクルス。腸詰とか、ピータンとか、小皿物が充実していましたよ。
友達は担仔麺。煮たまごをつけることができますよ。
私は、るーろー飯。この、肉みそがたまらんです。なぜかたくわん付き。
これらの碗物も小ぶりなので、いろいろたのめてうれしー。
もちろん、定番の小龍包もあり。
今年は台湾に行くことが出来なかったので、ほんとに嬉しかったです。
BGMも、台湾Popsで感じよし。
汐留シティ・センターB1です。同じフロアにある海南鶏飯と同系列のお店みたいですよ。
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