宇宙創造の秘密

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純粋経験の性質2

第三段落後半:純粋経験の性質
 次に、かかる純粋経験の綜合はどこまで及ぶか。純粋経験の現在は、現在について考うる時、すでに現在にあらずというような思想上の現在ではない。意識上の事実としての現在にはいくらかの時間的継続がなければならぬ。すなわち、意識の焦点がいつでも現在となるのである。それで、純粋経験の範囲はおのずから注意の範囲と一致してくる。
 しかし、余はこの範囲は必ずしも一注意の下にかぎらぬと思う。我々は少しの思想も交えず、主客未分の状態に注意を転じて行くことができるのである。
 例えば、一生懸命に断岸をよずる場合のごとき、音楽家が熟練した曲を奏するときの如き、全く知覚の連続といってもよい。また、動物の本能的動作にも必ずかくの如き精神状態が伴うているのであろう。
 これらの精神現象においては、知覚が厳密なる統一と連絡を保ち、意識が一より他に転ずるも、注意は始終物に向けられ前の作用がおのずから後者を惹起しその間に思惟を入れるべき少しの亀裂も無い。
 これを瞬間的知覚と比較するに、注意の推移、時間の長短こそあれ、その直接にして主客合一の点においては、少しの差別もないのである。
 特にいわゆる瞬間的知覚なるものも、その実は複雑なる経験の結合構成せられたものであるとすれば、上二者の区別は性質の差ではではなくして、単に程度の差であるといわねばならぬ。
 純粋経験は必ずしも単一なる感覚とはかぎらぬ。心理学者の言うような厳密なる意味の単一感覚とは、学問上分析の結果として仮想したものであって、事実上に直接なる具体的経験ではないのである。

[考察]
 ここで、「現在」というのは、数学上の点のような一瞬のことではなく、実際上の経験の「現在」であり、ある程度広がった「現在」のことである。
 すると、純粋経験は記憶ではなく「今」の経験であり、「今」とは一注意のもとにあるので、純粋経験は一注意の範囲に限られてくるものと考えられる。しかし、西田はそうは考えず、音楽家が一曲を演奏する場合、注意の推移があっても一曲が純粋経験と見做す。それは、意識の流れが反省などによって中断されることがないからである。
 心理学者には感覚が純粋経験と考える人がいるかもしれないが、そんなものは無いと考える。視覚だけの経験とか、聴覚だけの経験は想像上のものとしてその存在を否定する。

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