この点は知覚的経験においても、表象的経験においても同一である。表象の体系が自ら発展するときは、全体がただちに純粋経験である。ゲーテが夢の中で直覚的に詩を作ったというごときはその一例である。 あるいは知覚的経験では、注意が外物から支配せられるので、意識の統一とはいえないように思われるかもしれない。しかし、知覚的活動の背後にも、やはり或る無意識的統一が働いていなければならぬ。注意はこれによりて導かれるのである。 [考察]
西田幾多郎は、純粋経験を一切の思考を差し挟まないあるがままの経験と定義したのにもかかわらず、知覚を純粋経験とするのには、「知覚的活動の背後に無意識的統一があるから」と定義をずらしている。 |
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