宇宙創造の秘密

最初から読んでくれれば嬉しく思います

全体表示

[ リスト ]

現象と実在

現象と実在
(1)現象と実在
現象とは、実在が何らかの媒介によって、意識に現れた姿のことである。即ち、人間が見ているのは、実在そのものではなく実在によって引き起こされた現象を経験しているのである。実在とは、現象の背後に隠されたものだと思われている。

しかし、何が実在であり、何が現象であるかは様々な見解があるのでそれについて考察してみよう。

(2)現代科学の主流の考え
現代科学の主流は唯物論の立場に立ち、物質が実在であり、意識は現象であるとされている。五感に映る物質を実在とし、3次元空間を占有することのない意識は現象としているのである。特に、思考は脳という物質の活動としての現象であり、思考も理想的には脳生理学で説明できるものとみなされている。

人間が経験するものは、物質に限らず、意志や思考や感情もある。それにもかかわらず、物質のみ実在とみなされるようになったのは、ニュートン物理学により、実在のすべては、3次元空間のなかを占有する質点や剛体のみで説明できると考えられ、膨大な現象をそれで説明することに成功したからだろう。

しかし、物質とは五感に映ったものである。五感とは何かということは、今でも解明されていないので、五感を鵜呑みにするのは五感を盲信したことになるだろう。五感に映ったのは実在ではなく、その背後に実在があるとして、五感の映像は現象とするのが正当であろう。即ち、我々が見ている色形ある物質は実在ではなく現象であると考えられるのである。

このような考えは現代物理学にないわけではない。量子力学では、実在は古典物理学のように色形ある物体ではなく、波であるとともに粒子でもある量子とされている。量子を実在としたのは哲学的には大きな進歩である。この考えは、つじつまあわせの机上の空論ではなく、十分実験的に証明された理論である。例えば海の波を考えてみよう。実在するのは波ではなく海水である。海水は上下運動を繰り返しているだけである。しかし、波は進行しているように見える。だが、波は実在ではなく海水の運動の引き起こした現象である。一方、海の波と量子力学を比較してみると、例えば電子のあり方は電子波という波でもあるとされているが、電子波はその背後に海水に対応する実在がありそれが引き起こした波であると考えられそうだが、そうではなく電子波そのものが実在とされている。即ち、量子力学は現象と実在が区別できない現象即実在論の立場に立っているのである。

(3)主体としての理性
思考即実在とするのはヘーゲルの立場だがその考えは科学者には突飛で滑稽な考え方に映る。というのは、科学者は普通観測されるされないに関わらず客観的対象があり、それを捉えたり捉え損ねたりするのが思考であり、思考は実在ではなく人間の主観であると考えているからである。特に、思考に関しては、脳が実在であり思考は海水が波を引き起こしたように脳が引き起こしたものと考えられるのが普通である。しかし、私は真理は逆であり、五感に映る物質が現象であり、認識力の源である理性が実在であると考える。これからそれを説明しよう。

物理学者は、物理の法則は絶対的なものと考ていて、なぜ物理の法則があるのかという問いを無意味な問いと考える。しかし、物理の法則の背後に人間を超えた理性があり、それが物理の法則を決定しているのではないだろうか。私は、物理の法則は現象であり、その背後にある理性が実在であると考える。

また、極めて合理的に出来上がっている生命体も、今は進化論が主流であり、自然淘汰によって偶然に進化した結果出来上がったものと考えられている。しかし、物質の運動にのみ着目するのは、表面的な見方であると思う。この表面的見方は例えると、人間がビルを建てたとき、偶然石が秩序的に分布し始め、ビルが出来上がったとは考えることに相当する。しかし、人間という物体の背後に理性があり、その理性の認識力と判断によってビルができたと考えるのが正解であろう。これと同じように、生命の進化もその背後に人間を超えた理性があったと考えるのが正当であろう。そして、その理性が実在であり生命はそれの引き起こした現象であると考えるのである。

人間の思考が実在とするのはヘーゲルの考えであるが、それはどういう意味かを考えてみよう。普通は脳が考えるとされているがそれはどういうことだろうか。普通の教養では、脳に神経パルスが伝わっていくときに考えている状態になっているとされている。しかし、なぜ神経パルスが考えている状態なのだろうか。そもそも、物質が考えるとはどういうことだろうか。実際は、唯物論では「考える」は定義できないのである。あるのは、あくまでも原子の運動のみである。我々が考えるというとき思い浮かべるのは、視覚的には人の考えている表情であり、聴覚的には人の考えた内容の発言であったりする。しかし、「考える」を客観的には定義していない。

人間以外の動物、特に低級になればなるほど、その活動は本能によって決定される。人間は理性的動物であり、本能に逆らう活動もする。即ち、自分はなにをしているかの自覚をもって主体的に活動できるのである。したがって、人間の活動の主体は思考にあると言える。人間の歴史を支配しているのは、思考の産物である思想であると言える。ある人がある思想を持つとその人の行為の傾向性が決まるのである。ある思想が広がって多くの人の所有するところとなると、社会現象となり、それが歴史を造るのである。即ち、歴史の主体も思考にあるのである。思考はそれが主体であると言う意味で実在と言える。

世界の運動は大きく分けると、物理現象と生命現象と精神現象になる。今まで述べてきたように、物理現象の背後には物理の法則を決定している理性があり、生命現象の背後にも生命を進化させている理性があった。そして、人間の活動である精神活動の場合もその主体は思考即ち理性であった。即ち、一切の現象の背後にそれを決定づけている理性あるいは思考がありそれが主体であり唯一の実在であり、その他は現象であるのである。

閉じる コメント(4)

顔アイコン

デカルトが問題提議をしてカントが確立した「物自体」ですね。物そのものを認識しているのではなく、こちらの主観で受け取っているのだという。五感の認識に限界を設ける事によって、実はさらなる飛躍をなし得たと思います。

2006/11/26(日) 午後 8:16 [ G.W.F.HEGEL ]

はじめまして。昨日、偶然に貴ブログに出会い、最初からここまで拝読し、非常に精緻で興味深い仮説だと感心しております。有り難うございます。また、ご存知かもしれませんが、インドの伝統哲学アーユルヴェーダ(生命の科学)の世界観との共通性・親和性にも驚いております。http://www.ayurvedalife.jp/basic_theory_of_ayurveda.aspx

2014/2/27(木) 午後 6:31 [ 松原 ]

顔アイコン

松原さん
はじめまし。旧jyuudou3104の現nakamura3104です。

現在は新しく科学革命というブログを書いています。

宇宙創造の秘密はかなり以前の思考で現在はかなり進んでいます。

私は宗教はあまり勉強していないのでインド哲学も知りません。

哲学は主にヘーゲルと西田幾多郎を勉強しています。
大学の専攻は素粒子理論です。


最初は物理の法則から出発してそれがいかに意識の存在とともに破れるかという方向で認識しようとしていたのですが、最近では先ず純粋に意識の法則を確立して、物質もその本質は意識として、両者を統合しようと思っています。

最終目標は科学、哲学、宗教の統合ということになります。
現在は認識力は高まっているのですが考えたことをそのまま記事にしていたら三者から理解されるのではなく誤解されると感じています。認識するだけでも非常に難しいのですが説明するのも難しいと思っています。
自分ではなかなか満足のいく記事は書けませんが、ぜひ「科学革命」に来てください。

2014/3/9(日) 午後 7:41 [ nakamura3104 ]

顔アイコン

つまりは脳内にとどまるか否かと言う簡的な事に集約されることのようですね。

2018/7/6(金) 午前 11:47 [ o ]


.
jyu*do*3104
jyu*do*3104
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事