奄美大島の紬日記

奄美大島の魅力を・・・大島紬・自然・人

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消え行く伝統

ご無沙汰しております。 
久しぶりに投稿します。

 本場奄美大島紬の代表的な柄と言えば龍郷柄と秋名バラです。
そして、男性用が亀甲柄です。
その柄とは↓になります。


龍郷柄

イメージ 1



秋名バラ
イメージ 2


亀甲
イメージ 3

 その中で、秋名バラは1昨年に最後の生産者が製造を辞めてしまいました。
今は品が全くない状態になっています。
 
 そして、次は亀甲が残り数人でしたが1名になってその生産者も止めるらしいです。
何年も前から流通や後継者等様々な問題が言われてきましたが行政をはじめどこも解決できないままここまで来ています。
機械化もいいでしょう!何が正しいのか分かりませんが、日本が培ってきた伝統が消え行くのは寂しい限りです。
どこの伝統産業も似たような話を聞きますがこのままでいいのでしょうか?
力のない自分を情けなく思います。

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ご無沙汰しています。
えっ〜・・・・・絶句! そんな状況になっているのですか!
大島然り、手描き友禅然り。

本当に良い仕事をしている職人さんたちが、仕事に見合う収入にはならず、やむなく廃業されてゆくことを、悲しく思います。

そしてまがい物だらけの着物業界にはうんざりです。
名無しさんが仰る通り国を挙げてなんとかしないと、日本文化が守っていけません。

日本を守るということは、このような文化が守られ、そこに働く弱い人々が守られることにこそあると思います。

着物業界に限らず、あらゆる職人さん、農業者、漁業者など
ひとりひとりの力は小さいですが、素晴らしい日本文化を守り
豊かな心を育む仕事だと思います。

大きな企業が世界市場を制覇し、経済力が高いことを誇るだけでいいのでしょうか?
本当に豊かさとは思えません。

本当の豊かさのある時にこそ、このような文化が花開くのではないでしょうか?

そのような世になることを、心から願ってやみません。

2013/5/27(月) 午後 0:53 kimono_koubou_2 返信する

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奄美群島と日本本土とは、縄文時代・弥生時代・古墳時代などを通じて活発な交流が行われていた。

宇宿貝塚(奄美大島)からは、南島起源の宇宿下層式土器と共に九州の縄文後期の市来式土器や種子島・屋久島が起源の一湊式土器が出土している。
また本土の瀬戸内海系の里木式系土器が神野貝塚(沖永良部島)で出土するなど多くの遺跡で北方ものが確認されている。

『日本書紀』には657年に「海見嶋」、682年に「阿麻弥人」、『続日本紀』には699年に「菴美」、714年に「奄美」とあり全て奄美群島のことだと考えられ、当時から日本の中央と交流があったことがわかる。
733年(天平5年)の第10回遣唐使は、奄美を経由して唐へ向かっている。
735年(天平7年)に朝廷は、遣唐使の往来上の利便のため碑を南島に建てた。
『延喜式』雑式には規定が書かれており、島名のほか停泊所や給水所が書き込まれ、奄美群島の各島々にこの牌が建てられたとしている。

貴駕島は現在の喜界島と考えられており、城久遺跡が発見されたことにもより、これが大宰府の出先機関と推定されている。

2014/7/26(土) 午後 1:50 [ 海洋文化交流・貿易振興 ] 返信する

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