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大島紬の歴史・概要編 (4 )
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奄美群島と日本本土とは、縄文時代・弥生時代・古墳時代などを通じて活発な交流が行われていた。
宇宿貝塚(奄美大島)からは、南島起源の宇宿下層式土器と共に九州の縄文後期の市来式土器や種子島・屋久島が起源の一湊式土器が出土している。
また本土の瀬戸内海系の里木式系土器が神野貝塚(沖永良部島)で出土するなど多くの遺跡で北方ものが確認されている。
『日本書紀』には657年に「海見嶋」、682年に「阿麻弥人」、『続日本紀』には699年に「菴美」、714年に「奄美」とあり全て奄美群島のことだと考えられ、当時から日本の中央と交流があったことがわかる。
733年(天平5年)の第10回遣唐使は、奄美を経由して唐へ向かっている。
735年(天平7年)に朝廷は、遣唐使の往来上の利便のため碑を南島に建てた。
『延喜式』雑式には規定が書かれており、島名のほか停泊所や給水所が書き込まれ、奄美群島の各島々にこの牌が建てられたとしている。
貴駕島は現在の喜界島と考えられており、城久遺跡が発見されたことにもより、これが大宰府の出先機関と推定されている。
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