奄美大島の紬日記

奄美大島の魅力を・・・大島紬・自然・人

出会い・思い出(男気・・・)

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忘れられない出会い!ありませんか?

今まで出会った人とのふれあいの中での忘れられない出来事、
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思い出の場所

 9月24・25日に大阪の商工会議所青年部の近畿ブロック大会で大阪の八尾市に行きました。
八尾市は四年間過ごした第二の故郷です。

 
 そこで有人に無理を言いまして、夜に車で思い出の景色が見える場所に連れて行ってもらいました。
まずはその時の思い出の記事を読んでいない方は必ず読んでみてください。
きっと感動頂けると思います。
その記事は↓



 今でも暗闇に写る電光掲示板はそのままの景色でした。
私の瞳の中には、あの場所での○リーダーの姿がはっきりと見えるようでした。

 自分も九州の会長という大役について半年が過ぎ、今月末にはいよいよ1000人の仲間を奄美に向かえる事になっています。
この時に○リーダーが教えてくれた私製を今こそ心に刻まなければいけないと思っています。
偉い大役についている時こそ大切な事であり、当たり前なんですが難しいことです。
「実るほど頭をたれる稲穂かな」
「頭は低く目は高く、口慎んで心広く、考を原点として他を益す」
思い出の景色で決意を新たにした一日でした。

男 気

 私は今でもなにかにつけて思い出す、22歳の時に目に焼きついた場面があります。

 僕は高校を卒業してから大阪の大学に行きました。
奄美の高校生は卒業すると9割はそれぞれ何処かに旅立ちます。

 大阪に行き、僕は大学生をしていましたが、すぐに佐川急便の夜間でアルバイトをはじめました。

その思い出といいますのは、佐川急便を去るときの思い出です。

 そこで出会った仲間には凄く4年間お世話になりました。
話しきれないほどとても衝撃的な出来事からたくさんの経験をさせて貰いました。
そこでの人との出会いは僕にとっては今でも大きな宝になっています。

 その出会いのなかでも1人の上司との思い出です。
その上司は○リーダーと読んでいました。
正確にはその時はそこの課長です。
○リーダーは一言で言うと「男!」って感じの人です。
部下は自然とついてくるし、自ら動いて周りを動かす魅力、そしておもしろく普段はどこかぬけている一面もあり顔が多方面に広い。
助けられた事から思いでは数知れませんが、そのなかで最後の別れの場面です。

 私はなんとか両立させながら大学も卒業でき、とりあえずしっかりと進路は決まっていないながらも島に一時帰る事になっておりました。
かなりこの会社から残って社員になるように説得されていました。
そんなに役にもたってないのにありがたい話しでしたが、悩んだ結果帰省を決めました。
 
 大阪から去る一日前の話しです。
私はその上司含め会社の皆さんに挨拶に行きました。
会社は球場を2つくらいの大きな敷地でしたが、その正門まで帰る私と一緒に○リーダーは歩いてきてくれました。
私は恐縮してしまい
「もう、ここで!」
と何度も言いながら、それでも一緒に歩いてきてくれるのです。
その間もいろいろと今になっても参考になる私へのアドバイスを頂きました。
そして表の正門につき、
「本当にいろいろとありがとうございました。お体にきをつけてお元気で!さようなら」
と私が言うと
○リーダーは少し笑みを浮かべて
「さよならとか言うもんやないで!これからもよろしくや!お前はこれからもお願いしますやろが!」
と言いながら私に近づき両手でしっかりと握手をしながら
「がんばれや、今までほんまにありがとう」
と言って深々と頭を下げてくれました。
私も
「ありがとうございました。」
と同じように頭を下げて
「失礼します。」
と言い振り向いて歩き出しました。

 そこは正門から駐車場まで100メーターくらいの距離です。
仕事帰りにいつも仲間と騒ぎながら帰っていた思いで深い道です。
周りはすっかり暗くなっていました。

 私はいろんな思い出を巡らせながら歩いていました。
そしてちょうど中間に小さなコンビニがあります。
そこで仲間と軽く買い食いをして会社を見ると会社の上に佐川急便と大きな文字に電気が点って見えるのを思い出し、立ち止まり振り向きました。
「これをここから見ることもないだろうな〜」
そう思いながら立ち去ろうとしたその時です。
車のライトが一瞬正門を照らし、そこに人影が写ったような気がしたのです。
よく見てみるとそこにはまだ○リーダーはいたのです。
 私は背筋に電気のようなものがはしったのをよく覚えています。
そこにはまだ深々と頭を下げたままの○リーダーの姿が行き交う車のライトに映し出されていました。
私は涙が溢れてきて止まらず、声が出るほど泣きました。
そして気付かぬふりをして駐車場に泣きながら歩き出しました。
「この人の下にまだいたい、いるべきだった」
そう思いながらも戻ると怒られるのはわかっているし、振り向かずに歩くので精一杯でした。

 現在、なかなか人に頭を下げれる人のいない中で、何百人の部下を抱える企業の幹部が、たかが数年働いただけの田舎物の自分にそれだけ感謝をあらわすことはなかなかできる事ではありません。

 私がこのブログ内で尊敬する人物として何度か紹介している新極真会の世界代表で第5回世界無差別級極真空手チャンピオンの緑 健児さんが故、大山総裁の言葉としてよく口にする言葉があります。
「頭は低く目は高く、口を慎んで心広く、孝を原点として他を益す」
本当に大切な事だと思います。
偉くなればなるほどに頭は低く目標は高く持ち続ける。
なかなかできることではありませんが、大切な事です。

 考えてみると以前紹介しました緑さんのエピソードも似たとこがあります。
 
 私は今でもなにか苦しいことがあるとあの時の○リーダーの頭を下げた姿を思い出し、
「期待を裏切らないようにがんばろう」
と励みにしています。
いつか、私もしぜんと人に思い出してもらい、励みにできるような行動をとれるよう、あの気持ちに応えられるようにがんばらなければと思います。

追 伸
○リーダーはその後、みるみるうちに出世したのは言うまでもありません。

↓緑さんとのエピソードです。読まれてない方はよかったらどうぞ
 http://blogs.yahoo.co.jp/jyuzakenji/archive/2007/02/08

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新極真会代表・緑 健児

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今日の写真は「第3回奄美緑球会旗争奪少年野球大会」の夜に行われた懇親会での緑代表と選手三名等の挨拶の様子です。そして、初登場です!僕もいます。
さて、どれでしょうか?

今日は、ついでと言ってはなんですが、このブログでも何度か紹介しましたが、僕の尊敬する奄美の大先輩、緑 健児さんをあらためて紹介と、この奄美緑球会のきっかけともいえる思い出の夜を紹介したいと思います。
これを読めばこの人がどんな人か分かって頂けると思います。
僕の宝物の思い出です。
感動して頂けると思いますので是非最後まで読んで、できれば感想をお聞かせ下さい。文に自信がありませんが・・・そのへんはご理解お願いします。
まずは簡単に紹介します。

緑 健児(みどり けんじ)-六段-
1962年奄美大島生まれ。78年空手修行の為上京。極真空手91年第5回全世界大会・優勝。身長165cm70kgの小柄な緑が、2mを越す巨体の選手が出場する全世界大会で優勝した実績は世界から『小さな巨人』と絶賛される。2000年NPO法人極真会館の代表理事に就任。2001年IKO(全世界)の会長に就任。2003年NPO法人全世界空手道連盟新極真会に名称を刷新。現在は世界63ケ国の新極真空手支部の運営支援・大会運営といった業務を中心に骨髄バンク支援や青少年指導を行う。

軽量級での無差別級世界チャンピオンはこの人一人で、もうでないだろうと言われてます。

当時千葉ロッテにいた成本さんが奄美大島に初めてプロ野球選手として自主トレで来島してから二年目に無理にお願いして緑代表に会って頂きました。
その時は正月もかねてたまたま緑代表も帰島しておりましたが、翌日東京に行かれるとゆう事もあり、急なお願いでもあった為に地元瀬戸内町の子供達との約束もあったようで忙しくしておりましたが、移動の合間に少し時間を貰い紹介する事になりました。
そこで緑代表や選手皆が意気投合してしまい結局深夜まで飲み続けました。
深夜に別れる時に僕は
「お忙しいのに申し訳ありませんでした。結局遅くまでつき合わしてしまいまして」
とお礼を言いました。
すると代表は
「楽しかったよ、しっかり最後まで自主トレの手伝いしてあげなさい」
と温かい言葉をかけて頂きましてその夜は別れました。

自主トレでの成本さん達プロ野球選手はだいたい2週間滞在してました。
それも残り数日とわずかになった頃に緑代表から連絡が入りました。
「急なんだけど予定とれたから、一旦帰るから選手連れて一緒に瀬戸内行こうよ」との連絡でした。

瀬戸内町とは緑代表の出身地で現在の奄美市・旧名瀬市からは車で1時間半くらいかかる、緑代表自宅のあるところです。
海がとても綺麗で最高な所です。
他にも元ちとせの出身地でもあります。

連絡を貰い選手に確認したところ
「せっかくなんでお邪魔しよう」とゆうことになりました。
選手をお願いしたらいいかと思っていましたら私も誘っていただき、一緒にお邪魔しました。
昼は町内を案内頂き、夜に招待頂いたのは瀬戸内町からは船で30分程渡ったかけろま島とゆう小さな島のペンションでした。
そこで島民の子供から皆を集めて宴会を開いてくれました。
本当に庶民的で優しい人だな〜と僕は見ながら感じてました。

夜も深夜になりお開きの時間が近づいた頃に、緑代表は明日の朝に急遽旅立たないといけなくなったらしく、深夜に船で瀬戸内町古仁屋まで船で渡る事になったらしく閉めの挨拶をする事になりました。
まずは皆に
「今日のこの出会いを忘れずに一年間この選手達のがんばりを見ながら自分のがんばりにかえれるように応援しましょう・・・・」
等と挨拶をし
今度は選手達に
「奄美大島に来てくれてありがとう。又来年もここで自主トレにこれる様に一年間がんばって、又来てください。皆が応援してる事を忘れずに・・・」
等、本当に素晴らしい挨拶で皆から拍手がおこり僕も(さすがだな〜)と感激していたその時です。
終わりかと思っていたらその時です。緑代表から
「最後に○○君、今日のこの素晴らしい出会いをつくってくれて本当にありがとう」
そう言って皆の前で、僕に頭を下げて握手してくれたのです。
僕のような田舎の単なる普通の後輩に、世界チャンピオンで極真空手の世界代表を務めるような人がです。

自主トレに来るプロ野球選手がこういいます。
「あの人は野球界で言えば長嶋茂雄・王貞治なんですよ。」と。
それくらいの人なのです。

故大山倍達総裁が言った言葉として緑代表は
「頭は低く目は高く、口を慎んで心広く、孝を原点として他を益す」
と言う言葉を挨拶でもよく使います。
偉くなればなるほどに、強く成ればなるほどに頭は低く皆に優しくして、そしても目線はつねに高い目標に向かうとの意味だそうです。
緑代表はそれが実践できている人で、僕もいつもはなんとなく聞いていたのがこの時に体にしみるようにわかりました。
今でもあのときの事を思い出すと体が震える気がします。

これを話しても「なんだ?」と思う人も多いかもしれません。
しかし、今は普通の人でもなかなか妙なプライドで頭を下げれる人は少ないと思いませんか?
細かいようでも本当に人として大切なことなんだと僕は思います。
人間として、男として、男が男に惚れ込んだと言える瞬間でした。
気持ち分かってもらえる人はいたでしょうか?

この、「奄美緑球会」も空手だけでなく野球をする子供達の為に緑代表が愛情をそそいだものです。
僕達もかげながら支えていきたいと思います。

↓これが緑代表の新極真会のHPです。活動方針とかよく分かります。
http://www.shinkyokushinkai.co.jp/

↓で、これはたまたまみつけたページですが、緑代表の現役時代の動画が見れます。
http://budo.blog81.fc2.com/blog-entry-73.html

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