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2005年08月15日、終戦記念日に和歌山県の友ヶ島に上陸しました。 ここで、友ヶ島について簡単に説明すると、江戸幕府の頃から大阪湾に出入りする船舶を監視する役目を負っていたらしい。その頃の遺構は、あまり残っていないようですが、大阪城を築城した当時の石切場は残っているようです。 明治21年には島は陸軍の軍用地となり、国を守るために対岸の加太町深山に兵隊が住む兵営が作られ、ここ友ヶ島と加太町深山に砲台が築かれました。 その後、この一帯は由良要塞地帯として、太平洋戦争が終わるまで一般人は近づくことも禁止されていました。 終戦後は、各砲台は取り壊され、進駐軍がしばらく演習地として使っていましたが、後に返還されその後、瀬戸内海国立公園の一部となって以後からは、観光地として開発が進められました。 友ヶ島は、小さな島々から構成され、それをまとめて友ヶ島と呼ばれているそうです。 その内、中心の沖ノ島と虎島の要所には第一砲台から第六砲台まで6つの砲台が築かれています。 太平洋戦争中は約かなりの兵隊が駐屯していたらしいです。 砲台跡はレンガ造りで鉄筋コンクリートの丈夫な土台や弾薬庫は残されたままで見学することができます。特に有名な第三砲台跡は大規模で、弾薬庫が残されています。 建物の隙間から、カメラを入れて内部を撮影しました。 木材が所々炭化しているところから、火災があったみたいですが、それが原因で閉鎖されたのでしょうか? 位置的にも良い場所にあるので、整備して資料館にでも転用して欲しいです。 現在、島には資料館はありませんから、尚更そう思いました。 |
友ヶ島
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こんな要塞の島があるのですね。HPも拝見しましたが、探せばまだまだ戦争の遺跡が残っていそうで面白そうなところですね!
2007/4/15(日) 午前 11:53 [ Kitaro ]
この島、どこかで見たと思ったらこういちさんのHPのトップ画像じゃないですか?? この島は、色々なサイトにて拝見します!私も是非行ってみたいですね〜!そそられます。
2007/4/15(日) 午後 6:14
あつさん>そうなんですよ。この島の対岸やらにたくさんあるんです。ちっと遠いいのが難点です。
2007/4/16(月) 午前 3:47
ももてんさん>そうですよ。HP版の方に載っていたものです。それをブログに再掲載しました。なぜ、再掲載したのかは想像していただけたらと思います。
2007/4/16(月) 午前 3:50