友ヶ島上陸し、西側奥に進むと第二砲台にたどり着きます。

島には、軽自動車サイズの道路が連絡道として残っており、その道を西に進みました。未舗装で所々コンクリートで補強してある足場の悪い道をしばしアップダウンしているとその先に第二砲台跡があります。

レンガ作りの重厚な入り口が開いており私を誘います。しかし、思ったより小さな入り口です。昔の日本人の標準的なサイズなんでしょうか?

中に入ると直ぐにT字路になっており意外に中は浅かったです。床の中央に穴を塞いだ跡がありました。
これは、下から砲弾を上げていたシャフトで「揚弾井戸」と呼ばれてました。

左の方に進むとすでに崩壊しつつある要塞の姿が露わになりました。その先に砲座の固定ボルトが見えます。
大きさからして対空機関銃の台座でしょうか?

この崩壊は、戦後に行われた GHQによる爆破処理の為なのか、度重なる台風などの自然崩壊なのか…60年の月日は何も語ってはくれません。

砲台の至る所にこの対空機関銃の台座らしいボルトの金具が見られます。古い砲台の為か上空からの攻撃に対する防御は低く航空機からは施設は丸見えになります。

反対側に内部に通じる入り口がありました。左右対称の造りなら崩壊部もこれとは対称形の物があったのではないでしょうか?立派な入り口です。

この入り口は直ぐに行き止まりでした。小窓から外の日差しが差し込んで薄暗く中を照らしていました。
床には堆積物が溜まって見えにくくなっていますが、床には円形の穴の跡があり、ここにも現役時には揚弾井戸と呼ばれる砲弾供給用の穴があったようです。

いよいよトンネル横の階段を下りて、地下構造部に進みます。台風が運んだかかなりのゴミが溜まっていました。使われていた頃はこの階段を多くの人が行き交ったんでしょうか?

側の階段から。地下に降りました。奥まで人が擦れ違うのもやっとの通路が続いています。
床には、台風に吹き飛ばされて来たのか発泡スチロールの屑が散乱しています。振り返ると悪夢に出てくる通路のようです。

その通路の壁には あつさんのブログで紹介された 矢筈山砲台跡等で紹介された施設の入り口によく似た弾薬庫の入り口がありました。
同世代の他の戦争遺跡の弾薬庫の入り口はこれに似たものが多いので基準規格として批准されているのでしょうか?

中に何故かベッドの残骸がありました。これは当時の物とは関係無いと思いますが不気味です。そのままでは運び込むのも難しいぐらい大きいので中で組み立てたのでしょうか?
撮影会か何かの跡かも知れません。
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外を見ると、夏の日差しが眩しい…

南側、奥に行くほど崩れてきています。何も知らないと地中海風の建物に見えてこないでしょうか?

更に奥は崩壊がひどく進む事が困難になります。引き返すことにしましょう。自然崩壊ではここまで破壊は難しいような気がします。

壁のアーチ部の下にはこのような穴が有ります。これは大砲発射時に過熱した砲身を冷やす為の水を汲み上げていた井戸だそうです。
島では水の確保が大変だったと思います。

レンガと石の施設にも、時間が経つと共に生命の息吹が芽生えてきていました。二度と死の世界にならないように…

ここからの海の眺めは最高でした。それでは次の施設に向かう事にしましょう。
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