暑さに負けて第一砲台から、売店のある所まで戻ったのがそもそも良くなかったようです。
再び足元の良くない山道を登る事になりました。

登っていか程、山間に切り通しの石垣がありました。
奥は直ぐに左直角に曲がっています。

クランク状の葛折りを進んで行くとこの様な建物跡が見えて来ました。
造りが明治期の物なので昔の城のように白兵戦を想定した物なのでしょうか?

島で貰った地図には記載がありませんがここは、火薬庫のようです。
何故か建物の4分の1程が残っていました。
土壁に漆喰の純和風の造りで土蔵のような感じです。

何故、建物の一部しか無いのかわかりませんが、建材が無いところから自然崩壊ではなく、人為的に取り壊されているように思えます。

残っている部分は土間になっていました。
構造的に違っていたのでしょうか。
レンガ造りの基礎は高床式になっていました。火薬に湿気が来ないようにする為でしょうか?
引き返して、次に進みます。
|
こういう軍事施設は長らく機密事項になっていたところが多いので、後になって探索してみても、本当のところ何に使われていたのか判然としないものも結構ありますね。関門海峡沿いにある“下関要塞地帯”も同様なのですが、今の時代、これら施設を再利用するはずも無く、もうそろそろ情報公開して欲しいですよね。その方が、保存に向けての活動もしやすいだろうし・・・
2007/5/11(金) 午前 9:51 [ Kitaro ]
あつさん>そうですよね。この手の資料はなかなか無いのが現状です。もっと酷いのは、その記録自体無い物も有ります。大阪の砲台マンションやタチソ地下工場群は、軍の記録にも無いのですよ。
2007/5/15(火) 午前 1:01